思いは

昨日でちょうど父親が鬼籍入りして50年(50回忌は去年)だった。
ふと、姉に知らせてやろうと神妙な気持ちとなって、
夕方の買い物途中ながら連絡をしてみた。

「ツー・ツー・ツー」

「ちぇ、お話中か・・・」

しばらくして折り返しの電話が入る。
姉「お前今日何の日か知ってる?」

Boo(挨拶もなく突然の本題・・・あいかわらずの上から目線・・・)
 「親父の50年だろ」
姉「知ってたの?」ホーおまえが・・・という風に聞こえた。

姉弟で同時に思い続けていたということか・・・
Boo「二三日前に急に思い出してさ」
姉「あたしはずっとだよ」

(おみそれしました。姉は姉だね)
血は水よりは濃いか。ちょっと近いものを感じた。

あるがまま

数日前、店から自宅に戻る途中、浅草観光で来られた親子なのだろう、二人で仲良く、観光センターのからくり時計を眺めている姿を目にした。
時報にあわせて壁に仕込まれている三社祭りの神輿の人形が演奏に合わせてせり出してくる、観光名所でもある。

どこにでもいる、仲の良い母娘だ。
ちょっとだけ違っていたのは、連れのお嬢さんが、(たぶん)重度の小児麻痺なのかな・・・車椅子を余儀なくされていたことだった。

口もうまく回らないようで、言葉がうまく出てこない。
母親は、そのたどたどしい言葉を先回りするわけでもなく、一言一言を受け止める。
観光地に来た興奮からか、落ち着かない彼女を当たり前に介護する。
あまりにもさりげなく。

不覚にも熱いものが込み上げて、公衆の面前にもかかわらず涙腺から零れ落ちてしまった。

相手には何とも失礼な話なのだが、僕とてこんな感触はめったにないことなのだ許して欲しい。せめて気付かれまいと上を向いて足早に自宅へ戻った。

それほど爽やかな母親の表情だった。

いかなる事象をも自然なこととして、あるがままに受け止める。
生易しいことではなかったはずだ。

教えてくれて、ほんとうにありがとう。