水晶の大平玉

最近はどこも冒険しなくなっちゃって面白くない。

仏像メ―カ―も売れそうな仏像だけしいて言えば仏壇の中に祀る本尊だけの在庫をもつのみ。以前なら、仏像を厨子に入れて祀る本来のスタイルが台頭してきておもしろい空気が漂っていた時期もあったのだけれど、コロナを境に当たり前のスタイルに戻ってしまった。
念珠の玉にしても電気石やらテラヘルツやらなんやらかんやら、こちらが望むとも言わないのに様々な種類の新作が次々と現れて目の保養をさせてくれた。
のに。。。

店の在庫が乏しくなってきたのでいざ仕入れようと思って玉の確認をすると、「すいません廃盤です」を何度聞かされただろうか、伽羅や珊瑚や琥珀類は仕方ないにしても、椰子(やし)だの菩提樹だの植物由来の材料まで同じ理屈で通そうとする。
形状がイレギュラーっぽいものも同じ理屈におとしこめる。
売れる物しか作らない、ストックしないと言う事なのだ。

水晶も無キズものが手に入りづらくなったとは聞いていたが、新たには玉に作らないようだ。
大平の水晶が流通していないのには驚いた。何とか今回は玉メーカーの在庫を全部貰ったが腕輪を作るつもりだったけどどうしようかな。。。もったいなくなっちゃったよ。

長いおつきあい

初期の頃の白檀プレートだった。

もうずいぶん年季が入っている。玉も板も。よほど身につけていないとここまで黒くはならないよ。
玉を見ればいかに大切にして凝られたかがよくわかる。正絹紐は消耗品だけどそれでも奇麗な使い方だと理解できる。
お守りとして仏様を彫ってご自分の守護仏を自覚されてということで世に出したのだけれど、物に心をこめてくださることが、つまりはご自分の身に帰ってきているのだと僕は信じる。

6年目の再開 天竺菩提樹本翡翠仕立て腕輪

中学生の頃(ん?小学生だったっけ?)から通ってくれていたN君ももう立派なおじさん。いやいや失礼、社会の中枢を担う会社員だ。

以前に創らせてもらった天竺の本翡翠仕立ての腕輪を見せてくれた。
昔、清王朝末期宮廷で使われていたという念珠を直させてもらったことがあったが真黒けでどこが菩提樹なのかわからなかったほどだったのを覚えている。身も蓋もないほどのまっくろけ。
本来使い込んでいただいて年数が20年を越えていくと、始め白かったよちよち歩きの菩提樹の実も、いっぱしの顔になって年相応の風情が染み出してくる。
N君の天竺菩提樹は6年?と言うには古風な装いに変化していた。
光り輝くのは使ったその日の労を夜な夜なねぎらって乾拭きしてあげているからと直感的に感じさてくれる。

翡翠はジェード(本翡翠)だ。これだけの発色の良い玉は宝石の部類と考えてもいいくらい。滅多に出ない。数億年の結晶の緑と菩提樹の果実(天竺菩提樹)の組み合わせが年を取るほどに輝きを増してくる。

また6年たったら見せてもらおう。と冗談を言い合えるのはありがたいものだ。

その時TONは何歳だ。。。

思考、試行中  

梵字は既に彫り込んでいるので上下のスペースをどう利用するかです。

白檀平玉の応用

108本連の腕輪用にと思って磨ってもらった老山白檀の平玉だけど、老山がこう高騰しちゃうと108玉にするとえらく高価になっちゃうので半繰(54玉)にしてみました。

いっそ親玉、二天もポイントにしてみようかなと本翡翠を差し込んでみました。

王の石というだけあって貫禄は十分。

琥珀だと同系色でいいかも、一石飛ばしに小玉を差し込んでも面白そう、はたまた・・・次から次に想いつきが暴走しようとするのでいい加減にストップ。

基本は。このへんまでだよね。

極小玉を使用しての片手念珠

オーダーではあるが、ちょっと面白い念珠を作らせていただいた。

元々は108本連の腕輪にする水晶みかん玉を使い片手にできないかということ。

手元にはかろうじて作れるだけの在庫があったのでなんとか繋いでみることにした。

子供用や大人用でも携帯に便利なようにコンパクトにまとめることはあったがこの形に仕立てたのは初めてかな・・・いや何度かあった。でもこの種の玉を最近は作らないのでそう作れないのだが、まあまあ面白い表情に作れたと思う。

親玉ももちろんいつもよりぐっと小さい。

なかなかいいよね。