浅草のそら 朝ランは東京慰霊堂

今日は3月10日。

と言えば、少なくとも東京都民ならば忘れることができない慰霊の日。

まだまだこんなに肌寒いその夜、下町一帯をB29の大編隊から投下された焼夷弾で10万人以上の非戦闘員が焼き殺された日である。江東区の知り合いのお寺の老師に伺ったことは町内に寺があることで、町内外のご遺体を境内に持ち込まれ うずたかく積み重ねられたという。その光景は忘れることができない。昨日のことのようだと言われた。一家全滅というのも珍しくなく、当然戦後のどさくさもありだれも引き取り手はなく、行き着く先は東京慰霊堂の納骨室に落ち着いてしまうわけだ。

慰霊堂の管理団体職員だった関根さんにはお世話になり、慰霊堂に伺うたびに納骨室に案内された。天井まで何段にも重ねられた白い瓶には緑町何番地誰々と言うように名前まではっきり書かれているお骨もあれば、本所何丁目辺り何遺体と大雑把な書き込みに遺体数が記入されたご遺体もあり、人知れず殉難されたことが歴然の白瓶もある。想像を張り巡らせる必要など全くない、超リアリズムの世界がそこには凝縮されている。

そのご遺志の線上に自分は置かれているだろうか?置いていないとしたらこの方々の犠牲はどこにつながるのだろうか。と考えさせられたのを何十年も前のことなのだけふっと思い出される。

子供の時にテレビのドキュメントで知ってから横網町はTONの心の原点になったのだ。

今日も大祭の準備に早朝から忙しそうに係りの方々が動き回っていてどこか雑然とした空気の慰霊堂前だった。