こんなこともやってます。

打ち叩きの部分はおリンとの擦れでどんどん痛むもので、黒檀などの銘木を使っているのに捨てるに捨てれませんと持ち込まれます。

音の優しいセーム革(鹿革)もいいけれど、現状復帰ということで金襴を巻きました。

まず金襴を剥がしてっと。。。

元の大きさに合わせて金襴を切って接着剤を塗って乾きすぎないうちにリン棒に巻きます。

で、完成!

簡単でしょ。

仏壇の用品もDIYしたら良いと思うけど、まだまだ専門店任せですよね。ご先祖のことだもの、手をつけてバチが当たるわけがないのにね。

清々しくお盆をお迎えいただきたいですね。

炭の忍者・・・とな。

炭の忍者

商店会の仲間のお店に展示してあった。

へーーーよくできている。

忍者の修行をしているお客様もいるので今度教えてあげよう。。。

よくよく見ないと面白いものでも見過ごしてしまう。けれど、つくづく仲間内でも知らない事だらけだなと思ったしだい。

お客様に教えられるの巻

色合わせって案外難しい。

自分で選ぶと同系色ばかりになってしまう。

ぶっ飛ぶような色の組み合わせってなかなか手が伸びなんだ。

そんな時にお客様が選んでアドバイスなしでそのとおりに作ることにしている。

案外おもしろいものが出来上がる。

だから楽しみながら糸を組む。

勾玉ストラップ
勾玉ストラップ
勾玉ストラップ
勾玉ストラップ2

一言言ってくれれば。。。

今日、お付き合いしている掛軸屋さんが訪ねてくれた。

で、話題になったのが、手塚治虫氏生誕90周年記念の掛け軸ということ。手塚治虫が生きていれば90歳というのもちょっと意外な気持ちだったが(もっと高齢だったと思っていたので)じゃぁ、売れっ子だったときは何歳だったの?と思う気持ち半分。

よく描けていたので、しかも墨でね。しかもしかも立派な表層を施して。

治虫氏の手によるものがあったのかと治虫世代のTONとしては食指が動きそうになった次第。

白道という画家による模写と分かる。へー!とばかりに驚いた。

TONは聞いた。「ブッタはあるの?」

担当者は赤面して「ありません」と言う。。。学(ガク)。

手塚治虫が仏教に傾注していたことは作品の流れを見ていればわかるでしょうに・・・ブッタ。描いてほしいいな。

手塚治虫氏の記念掛軸
手塚治虫氏の生誕90周年記念掛軸なのだ。

喜びは力。

金剛菩提樹のお直し

お直しで念珠を持ち込まれるお客様は、案外多い。

遠くから伝手を頼ってこられたり、あちこちの仏具店で断られ、たまたまうちを見つけ飛び込まれる方も多い。

長期間のお預かりを余儀なくされたり、高額だったり、新品を勧められたりで、ここもそうかなと思われつつあきらめ顔で尋ねられる。

手が空いているときは、その場で直す。

紐房や、本連の中通しくらいの直しなら、ガヤガヤした環境の中でもわけもない。以前は込み入った仕事もその場でこなしたけど、お客様の入店次第で中座しなければいけない小売の現場では、集中できないことが多い。なのでやめた。

ただ、他では1ヶ月かかるからと、うちの門を叩いてくださったのだから待たすわけには行かないじゃん。

「10分もかかっちゃいました」屈折した言い方だったかな・・・

「いや・・・ありがとう。父親の形見だったんだけど、母親の葬儀で出棺の時にパラパラと・・・」まだ法要は続けないといけない時に、念珠を必需品と考えていらっしゃる方には、なくてはならないもの。

喜びの顔。

ほんのちょっとしたことなんだけど力の元なんだよね。

常ならん。。。

スウェーデンからのお客様
スウェーデンからのお客様と。(TON店長撮影)

世の中どんどんインターナショナルになってくる。それに伴ってお客様の嗜好も思考もめまぐるしく変化する。

そのへんかについていかれなければ、置いてきぼりを喰らうだけなのだが、商売をしている以上、あ、そうですかでは済まされない。日本人がなんで外国語なんか習わなければならんのだ。なんて屁理屈こねてサボっていたTONでさえ必要に迫られればご肢言語でチャレンジさせられる。おかげで度胸だけはついてしまった。

海外のお客様の嗜好はこれまた難しい。まぁ当たり前なことで、文化的背景が・・・つまり宗教性が違うのだから、違うと思ってかかる必要がある。今までは季節物と思っていた商材も日本人の視点を一回こっちに置いておいて見直す必要があるなぁとつくづく考えらされる今日この頃のTONであるのであ~る。

ちなみに今回は、盆提灯をお買い上げいただいた。

 

一期一会

そうっかぁ~~~

もう10年以上たってしまったんだ。

 

「覚えていますか?」若い男女のお客様がTONを訪ねてきてくださった。

詳細をお伺いしてもピンとこなかった。

「母は賑やかな人だったから」印象的な人だったようであった。から覚えているだろうと考えられたのだろう。

本人がお世話になったから、ここにしなさいと言われていたらしい。お位牌を作りに来てくださった。そう。ご本人が鬼籍に入られたのである。

名は体を表すその通りのお戒名を写させていただいて、一部の文字の確認のためにお葬式のときの裁断の写真を見せてくださった。

「あ!M子おかあさん・・・」つい口から漏れてしまった。

絶句した。

つい最近、どうされているかなぁ・・・と思っていたお客様だった。

僕の仕事はこんなことの連続なのだ。

もうこんな時期

花祭りの四月

もう4月を迎えます。なんと早いことでしょう。

4月8日はお釈迦様のお誕生日。灌仏会(かんぶつえ)一般には花祭りのほうが通りがいいですね。

西暦のお世話になってはいるがキリスト生誕の日(はっきりしないらしいが)クリスマスや、わけのわからない化物を祭るハロウィンを盛大にするならば、せめて仏教文化の恩恵を受けてきた私たち日本人は、その開祖の生誕日をもう少し祝っても良いのではないだろうか?と、ふと思うことがある。

 

今日は堂上げ

「どうあげ」と漢字変換すると「胴上げ」としか変換してくれない。

浅草で「どうあげ」と言ったら、「堂上げ」なのだ。

三社祭りで氏子が我先に担ぎたがる浅草神社の神輿、一之宮、二之宮、三之宮のご祭神、つまり今から1400年前に浅草浦から観音様を拾い上げ、自分の屋敷に祀られた功労者である土師中知(はじのなかとも)、檜前浜成(ひのくまのはまなり)、檜前竹成(ひのくまのたけなり)の三者(三社)を神社からその氏寺である浅草寺に戻っていただく行事なのだ。

戻る。

そう。もともとの居場所なのだから。

明治以降の神仏分離がなければ神社とお寺は今でももっと密になっていたはずなのだが、明治政府の政策が文化の糸をこんがらがらせてしまったわけだ。

土師という姓もこの明治のドサクサの中、使用することをはばかれる事件が起きて、いまに至ってしまった。

151年。

今年は明治151年だという。この間、土師氏は「土師」を名乗らなかった。正確に言えば明治政府に気兼ねして名乗れなかったというべきなのか。

明日は「堂下げ」の行事がある。上がったものは下がる。行ったものは帰ってくる・・・のだ。で、神社境内に三神の碑が建つ。そこに合わせて現宮司が姓を「土師」に戻すことになった。

元はといえば、浅草寺を司ってきた専堂坊(土師中知の公孫)が神仏分離令に従って、神社の宮司にならざるを得なかった時点からのややこしい問題。土師死を名乗ることの意味を今一度考えていきたい。

と、思うTONなのだ。