生きる言葉

持ち出しで、ずーと続けている道楽がある。

写経会。
ただ、年月だけは二桁になっってしまった。

「忙中閑(ぼうちゅうかん)が大事だよ」と師匠のような父親のような恩師の言葉を実践するつもりではじめ、今まで続けてきた。

もうやめようかと何度、思っただろう。

けれど、そんな思いをもちながら、会に臨むと
決まって誰かの口から

「ここがあるから助かったのよ、ありがと」
「来れてうれしかった…」
などと、耳にする。

必ずである。

お店の運営にも同じことが多い。
この仕事も決して順調なわけではない。

「世の中不景気でも仏具屋は、景気知らずだからいいね」
などと無責任に聞こえる一言を、ぽんと投げかけるお方が
いらっしゃる。
「じゃ、やってみたら」などとは口が裂けても言えない。

世の中そう簡単ではない。

それは、昭和の中くらいまでの話だろう。
食えなければ、はじめにカットする経費は
見えざるものへの経費なのだ。

「ご先祖さんは後ね。生きて働く人が大事だもの」
と言うではないか。

見えざる部分から、まずカットするのが常套手段である。
本当は、逆なのだけれどね…。

もうだめだ。そう思ったっことは数知れずある。
なのに、月末になると、不思議と救われてきた。

「あんたのお店があってよかったよ」
「会えてよかったよ」コールをいただくのである。

労働価値説なんてどこかの誰かが、昔いっていたけれど、
労働以上に大切な何かを感じる。

労働へ、いざなう「意欲」に価値があると思う。
意欲を持たせる「一言」に価値があると思う。
・・・・・・

その一言を、一人からでも、いただけるならば、
まだまだ、この仕事を続ける価値があるのだろう。