3月10日に想うこと

3月になると決まって戦争の、というか、
空襲のことが頭から離れなくなる。

横浜市民でいたときは、
さほど気にも留めない話題であったのだが、

東京に、引越した初日に東京慰霊堂に出くわすほど、
過去、帝都と呼ばれていた、東京と言う町には、
爪あとが、ここそこに残っていた(る)。

横浜は、子供の頃、空襲で焼け落ちた焼け焦げたビルが、
馬車道から本町にかけて、かなりの数残っていた。

幼い頃の記憶だったからか、浜っ子には、
戦中の文化史財という意識が薄いためか、
かまわず真新しい町に生まれ変わってしまったために、
目に触れて残るものは、数少なくなったように感じる。

一方、東京においては、成人してからの記憶であり、
そしてまた、商売柄ということも一役買っているのかも知れない。

「慰霊堂」つまり「陸軍被服廠(ひふくしょう)跡」は、
当時とにかく、恐ろしかった。

訪れたのが、夕刻と言うこともあったが、
何ともいえない雰囲気を漂わせていた。

鈍感な僕でも、これくらに霊気は感じる。
そんな状況だった。

政教分離とかいうことで、東京都が直接手を出せない。
ゆえに、外郭団体をつくり、公園管理を依頼していた。
国の政策で亡くなっていった多くの命に対して、
なんともはがゆい「管理」をしていたのだ。

地元有志、仏教会が供養を続けていたが、
誰よりも一人の心ある方の頑張りによって、
供養が支えられていたことをある縁を通じて知った。

もう四半世紀が経ってしまった。

信じられないほど整備され、
何十万柱の無縁仏が眠っているなんて、
これっぽっちも感じない、
明るい公園内にわずかながらホッとするのだ。

4月15は横浜空襲。
http://www.history.independence.co.jp/ww2/index.html