人の死出の場に出くわすと言うのは、
当たり前のことだ、悲しいものである。
出会わない人は、本当にその場を経験しないで一生を過ごす。
縁のある人は、これでもかというほどに出くわす。
ちなみに僕は多い。
店に訪ねてくれた、Yさんとお話する機会があって
なんとも、不可思議なお話を伺うことができた。
話はこうである。
知人のお見舞いに九州まで足を伸ばした。
「ようこそいらしてくださいました」と病に付しながらのご挨拶。
いたわりの言葉を交わし、
「それじゃあまた」と言葉を発するか、しないかの間にスーッと息を引き取られた。
つまり、死出の最後の挨拶を受け取ったのである。
家族でもない、ましてや旧知の友人でもない、
そんなYさんに、病人は最期の言葉を託されたのだ。
行きがかり上、亡骸とも同じ屋根の下でくらし、葬儀全てをみとり、
まさしく家族同然(以上かも)の10日間を過ごす結果となった。
よほど深い縁があったのか、Yさんの人柄に安心されたことなのかわからないが、
自分に置き換え考えると、人生観に深く影響するだろうことを強く感じた。
僧籍を持つYさんゆえか、天性のおおらかさからか、
消化して受け止めてしまっていることに「さもありなん」「あ!やっぱり」の言葉がフッと頭に浮んだのは、当然の感想だと思う。
大いなる人生の伏線に、無駄はないことを思うと、
今はわからずとも、将来の役回りがあるのだろうなあと
マジマジとお顔を覗き込んでしまう、Booであった。