友、逝く

友というには申し訳ないほど年上なのだけれど…
20年近くお付き合いしていた、
高岡銅器の卸元の営業が亡くなった。

彼の代わりに営業に来ていた、
若社長の報告で初めて知った。

去年の早春、時ならぬ雪のなか、
高岡まで見舞いに行ったその人だった。

自分のオヤジのような歳だった。

古いタイプの営業マンで、とにかく取引先に尽くす人だった。

物を売る前に、まず相手の声をよく聞いた。

合うたびに、昔はね…と懐かしそうに、
夜汽車に揺られ高岡から上野まで重い荷物を抱えて、
営業に来ていた話をするのが彼の定番だった。

職人よりも仕事を知っていた。

否、
「知る努力を惜しまなかった」と、言うほうが正しいだろう。

だから、職人でもない営業マンの彼の要求には、
頑固職人たちが、いとも簡単にうなずくのを見た。

仕事とはこうするもんだよと教えられた気がした。

二周りも三回りも年上なのに、小さなことにも、
全身で感動することを忘れなかった。

強面の顔がそのときだけクシャクシャになって喜ぶ。
その落差が面白かった。

「会社では、うるさいと煙たがられていますよ」と、
いつもこぼしていた。

そうだろうなあと僕も思った。
彼の営業マンとしての周到さや研究熱心さは、天下一品だった。

後輩がついてこれないのも当たりまえと思いつつも、
「大久保彦左衛門だね。そういう人が必要なのよ」といつもからかい励ましていた。

妙に気が合った。

「高岡に泊まりに来てよ。魚が美味しいからさ」と、

自分がでかい魚を吊り上げた写真を見せびらかしながら、
再三再四、聞かされた。

あまりにも僕の腰が重いので、最後には、
「じいが死んじゃったらどこも案内してあげれないじゃない」
と、冗談交じりの本気とも取れる言葉を口にしていた。

約束を果たせたのは、病に冒され、入院した
去年の早春が最初で最期の訪問だった。

自慢のクルーザーに乗せてもらうことも、ついにかなわなかった。

海の音が玄関先まで聞こえて来るんだよ…
泊まりにきてよ…

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