浅草の空にもしっかりと入道雲が。
夏の空をイメージさせられる。
もう・・・
5月なのに。
墨田の花火を近所で見かけたのをきっかけに
公園内の紫陽花園が気になっていたのだけれど、
これを機会に足を向けてみた。
案の定、紫陽花の花はいっせいに咲きそろっていた
これもちょっと早いような・・・
気もするのだけれど。
ただし、単純に感動した・・・
浅草の空にもしっかりと入道雲が。
夏の空をイメージさせられる。
もう・・・
5月なのに。
墨田の花火を近所で見かけたのをきっかけに
公園内の紫陽花園が気になっていたのだけれど、
これを機会に足を向けてみた。
案の定、紫陽花の花はいっせいに咲きそろっていた
これもちょっと早いような・・・
気もするのだけれど。
ただし、単純に感動した・・・
白檀のミニ観音
うちのオリジナルなのだ。
ようーーーーやく出来上がった。
と思ったら・・・
おやまあずいぶんできたのねえ。
愛染明王の香合仏
こちらも珍しいでしょ。
全て手彫りです。
百観音の霊場巡拝を無事満願ということで
表装にいらして下さった。
すでに10巡り目とのこと。
いやはや、徳を分けていただくことになった。
緞子(ドンス)の仕立に決定。
いつもなら、金襴の仏表装だけれど
すでに過去に何回も表装していて
飽きちゃったということ。
金糸を使うばかりが表装ではないものね。
ぐっとシックに出来上がるでしょう。
心して取り掛からねば。
こうしてお手伝いできることは嬉しいのだけど、
自分の足で巡礼に行けるのは、いったいいつのことやら・・・
讃祈歌。
といっても知る人は、
よほど仏教歌に関心のある方くらいだろうか。
すでに、故人となられてしまったが、
真言宗智山派智韻寺住職の新堀智朝尼が
世に問うた仏教歌(その範疇にはおさまらないが)である。
新堀師とは、奇遇としか言いようのない出逢いから
ご縁をいただいて長いお付き合いをさせていただいた。
智韻寺がまだ寺として格付けされる前、
つまり代々木教会(真言宗)としてあった時代からの
細に渡って、支えてくださった恩師である。
今の浅草の店の開店した際に、祝福して
詠唱団の数名を引き連れて来られて、
讃祈歌を玄関口で詠唱してくださった。
ふっと旋律が口をついて出てくる。
いとけなき子らに
よみじを照らしつつ
みてには乳(にゅう)び
たれさせたもう
南無観世音・・・・・
オンアロリキャソワカ
今日は父
明日は母よと
呼ぶ子らに慈悲の雨ふる
晴れをまたなん
・・・・・・
古来よりふくろうは、縁起のよい鳥として、
珍重されてきました。
農家の害獣であるねずみを退治するふくろうは、
福籠…福がこもると言う字を当てられるほど福の神なのです。
死角を持たないほどよく首が廻り、商売繁盛の意味を持ち、
賢者の鳥、豊かな人生のお守りとして珍重されました。
夜寝ない鳥ということで、受験生の必勝アイテムとしてのふくろう。
念珠になるとこうなりました。
二天を変えて、
希望の石、インド翡翠(アベンチュリン)。
心おだやか赤メノー。
冷静沈着な紫水晶。
深い愛の証の紅水晶。
と、4種類です。
これで彫石は、
梵字、
風水四神獣、
サッカーボール、
天使、
お地蔵さん、
それにこのふくろうと、
ずいぶん増えてしまいました(^^ ね。
観音様の下半分は、分骨も入ります。
おニューのパーツが出ると、楽しくてしかたない。
あれとあれを組み上げて、さすれば、こうなるか。
創造して、イメージどおりに仕上がると、
もう手放せなくなる。
困った性格だ。
天使の彫り。
水晶12mm玉。
キューピットなら紅水晶とのコラボか・・・
ひとひねり欲しいなあ。
でもこれって数珠?
もちろん。
念ずる珠さ。
シンガポールのお得意様。
本当に会うたび、真摯な姿に、
姿勢を正される。
沙門として生涯を仏門に捧げて生きる。
戒を文字通り実践されて生きる。
神々しささえ感じるときがある。
彼の目から見る、大乗仏教の花開いた国「日本」は
どう映るのだろう・・・
自由という名の不自由。
美という名のグロテスク。
拝金という名の貧しさ。
貫くすがたには、羨ましさすら感じる。
もう咲き出しました。
梅雨も始まっていないというのに、
もう、アジサイ?
さすが花火大会のメッカらしく
アジサイにも一工夫あり。
紫陽花の花は、好きな花のひとつ。
特に額紫陽花は、清楚で大好きなのです。
墨田の花火
額紫陽花(萼部分)が八重に咲くスターマインを思い出します。
どことなく楚々としていていながら、八重。
いいなあ…。
最近は般若心経以外の写経に興味を持つ方が
増えてきているように感じます。
中には、法華経二十八品全部を写される方も。
まあ、そういう場合は、経典を横に置いて
巻紙に写すほうが便利でしょう。
まずはこの二点。
証信偈の写経と自我偈の写経。
証信偈
自我偈