雨に考える

とっても不思議な日。

雨は、人を選別してくれるみたい。

天気がよく、人の出がよければ、浅草という観光地は好立地となる。
それに伴って、入店してくださるお客様もがぜん多くなる。
それはそれで、新しい出会いの場が醸造されて楽しいものである。
じゃあ、それが、売り上げにつながるかと言えば、必ずしもそうではない。
これは出逢いなのだとつくづく思う。

個人的には、人混みは避けたい口だし、
ただ、お客様をマネーの対象に見る商売の仕方は、
身震いするほど嫌悪感を感じてしまう。

「損得より善悪を考える商売をせよ」とは、古人の言であるけれど
当を得ている未来永劫の原則だと思う。

商売をし始め、少し慣れてきた頃のことを思い出した。

商売スタート当初は、全く未知の分野であり、
対人(嫌)恐怖症に近くもあったのだからおのずと、
薄氷を踏むような仕事ぶりであったはずだ。

そんな、恐る恐るお客様に接していたものが、
多少の自信がつくと、やる気満々が度を越して
かなりの増長慢になった時期があった。

何をやってもうまくいくのだ。
そんなときの自分は、
お客様を見ると、一目で心のうちが、伝わってくる。
何をしたいのか、家族構成は、血液型は、出身地は、懐具合は・・・
何もかもが、心に浮かんでしまう。
それをそのままお伝えするだけで、
成約につながることが多かった。

不思議な話しだと思う。
人間そう単純ではないらしい。
また、慢心にはちゃんと、奥底にある良心が警告をしてくれるようだ。

いつのまにか人の顔をみると、相手のお財布が優先するようになってきていた。
そうすると、徐々に、商売そのものまで嫌気がさしてきた。

「おはようございます」と挨拶すると、この方はいくら持っている。
と顔が円に見えてしまうのだから、これはショックである。
たまったものではない。
縁を大事にしたいと始めた仕事が、円を先に考えるようになっていた。
唖然とした。

このままじゃいけない。
あせればあせるほど空回りしてくる。

結果、一切、手を引いた。

一からやり直した。
この経験がありがたいと今は思える。
僕にとっての商売とは・・・と、心底、心に焼きついた。

お洗濯しばらくぶり

以前は寺の内陣クリーニングや、
仏壇のお洗濯(クリーニング)もずいぶん施工させてもらってきた。
清掃には少々自信がある。

けど、しばらくご無沙汰していた。

考えもしないで仕事を引き受けはしたものの
手元がおぼつかないと困るなあと引き受けた後で考える。
いつもそうだから、今回も何とかなるさ。であった。

はじめはこんな状況。
30年近くたったお位牌と言うことで、真っ黒け。

お洗濯後は、こんな感じです。

新品にする必要なくなってしまうね。
位牌を売る仏具屋としては、
痛し痒し?って?

まっさかあ。
頑張れるものはもっと頑張ってもらいたいもの。

よく売れてまーす。猫

うちの売れ筋商品。

マンハッタナーズ画家久下貴史の猫的世界と伝統的日本の香りとのコラボレーションなのです。

猫好きの人にはもちろんですが。

猫好きの友人へのプレゼントや
ちょっと、「うふ!」と言わせたいときのハートフルギフトに、

ちょうどよいのでしょう。

とてもかわいいでしょ。


こちらは香皿も替わります。

左から、白檀・竹・梅・ボタンの香り。スティック

右側の猫変化シリーズは、
ミント・ティアフラワー・グレープフルーツ・キンモクセイと、
ぐっとハーブっぽい香りでう。

お三時

三社の時は、店の子たちにも無理を強いてしまったから、
甘いものが食べたいな、といわれるまま、スポンサーとなる。

ショートケーキかチーズケーキ以外、
買ったためしのない僕の選択とちがって、これこのとおり。

なんじゃらかんじゃら、訳のわからないものを買ってきた。

ここに買いに行きました。

で、僕のはこれだとか。

瀬戸物の容器ゆえお茶でもいれようか。

ん? 口が開いてない…

ケーキだものね。
なんの容器につかったらいいの?

けれど、
味は、なかなかのもの。

いちごの酸っぱさと甘さのはーもに~。

歴史

子供の時から歴史物が好き。
世界史より日本史が好き。
特定の人物と自分を重ね合わせて読むのが好きなのだ。

でも、最近になって、若いときの読みかたでは得られなかった、
歴史が、ぐっと身近に感じるようになった。

明治維新も江戸時代も鎌倉時代も平安時代も・・・
ぐっと近づいてきて、当時が生きいきと感じるようになってきた。
なぜだろう。

考えてみた。

今、51歳。言葉を替えれば半世紀。
これの倍生きれば一世紀。

ということは、その4倍で江戸時代。
その9倍で鎌倉時代・・・

あ。たったそれだけなのだ。
と、換算値が身近になったためなのかもしれない。

歴史は断片じゃないんだよね・・・
連綿と連続しているもんなのだ・・・

当たり前なことなのだけれど、
今更と思われるかもしれないけれど、

妙に実感させられているのである。

戦い終わって・・・

祭りの後の朝の空気は、独特のものがある。

祭りの多い浅草は、日が替わると、
どこ吹く風というほど、
昨日を引きずることはない。

けれど、
三社だけは、異なる。

地面から気が立ち上っているようにムンムンする。
人のエネルギーが残っているようだ。

ぽつんと持ち主を失って取り残されている。

わしゃあ、見ざる聞かざる言わざるじゃ。

本社神輿 

いよいよクライマックス。

本社神輿がお目見えすると祭りも最高潮を迎える。

バックヤードは大変である。

祭りの雨

久しぶりに飛行船。
空から映すのね。
上から神輿を見下ろすものじゃあないよ・・・

何たって神様じゃけんね。

子供山車が通ります。


かわいい時期。DNAに染み込みます。
うちの子もこうしていたんだけどなあ・・・
ちょっと前までは。

子供神輿が通り過ぎたとたん、
どっと落ちたる、春の雨粒
「ひょう」かと思うほどの痛いほどの雨粒。

竜神さんだー。

祭りの空気

今日も朝は、浅草寺をぐるり一周してきた。

今日からが本番とあって、まだ平常。
けれど、そこは祭り期間中。
非日常の空気が充満していた。

神輿の通過に備え提灯はすでに捲り上げられていた。

本社神輿の上に乗ったら来年は、本社神輿は、出さないとのお触れは果たして守られるだろうか。