浅草猫

ブログを書いているせいか

目的地にまともについたためしがない。
いつもネタ探しになってしまう。
そして、
必ず横道にそれてしまうのだ。

たった、何百メートルか移動するだけでも
30分40分平気でかかってしまう。

猫を見つけた。
野良のような、そうでないような。

僕(ニャーニヤー・・・こっちゃこー)
猫(うるさいなあ、あっちに行けっちゅうの)
僕(振り向けよ)
猫(無視したろ)
僕(はぐれもんは、寄って来んなあ…)
猫(・・・おまえこそ)

こうして、次の獲物を見つけに、自転車を転がすのであった。

ちなみに猫占いでいくと僕はこうなるのだそうです。

ちょっと意外でしょ。
野次が聞こえてきます…

40年目の主張

どういう訳だろう…、
まあ原因は僕が作ったことに間違いないのだが…。

僕の耳の話なのだ。

この一週間、右の耳が痛い痛いと思っているうちに、
鈍痛でおさまらなくなってしまった。

本格的に治療を要する痛みになってきたものだから、
消毒液と化膿止めの軟膏を合わせ鏡で覗き込みながら、
恐る恐る治療することとなってしまった。

もともと化膿しやすい体質であるし、
幼少時より目、耳、口、鼻の病気には事欠かない歴史があるので、
因果は良く分かるのだ。

どこをどうすればよいかは、下手な新米医者より感覚的に分かる。

が、この痛みはどうしても合点がいかない。
外耳なのでさほど心配せずにいたのだが、
それでも痛みが長引くと、気候も丁度良くない時期だし、
自己治療も潮時、そろそろ医者に行くかと思っている矢先、
痛みが急にひいてしまった。

そこで患部を覗き込みながら、考えてみる余裕が生まれた。

患部は脂肪の吐き出し口
(つまり指で押すとチューと脂肪が出てくる所だ)
が、ある場所だった。

どうやらそれが耳掃除していたときに、
傷つけて菌が繁殖したのだろうと言う結論に達した。

小学校頃までは溜まった脂肪を定期的に押し出して、
母親にとってもらっていたのだ。

中学にあがると、母親に甘えるにもストレートにできなくなり、
溜まってるなあと思いながらもおざなりにしていた。
そのうちいつしか頭から離れていたのだ。

どう考えてもそこしかない。

すると、小6で12歳だから…
おーーー40年。
40年目にして自己主張をしたのだった。

そんなに黙っていなくてもよかったろうに…
脂肪口と言っても妙に愛おしさが湧くものだ。

それそのものは、生物学的な器官の一つに過ぎないのに
やたら同情心を感じる。

そこが、「母親との接点」ということもあるのだろうか。

親の言葉だったと思うが
「相手の醜い部分こそ、そこがいとおしく感じる。
なぜなら、その場所は、心配し続けた親の愛情が
ことのほか詰まっている場所だからね」
と、思い出された。

改めて体中には、いくつかそんなスポットがあることに気付かされた。
親不孝しているからなあ…

こうして痛みを伴ってまで、想起させるのだ。

じゃあ父親との接点ってどこにあるんだろう…

フッと想い出すそんなときに最適かなあ