歴史の中

20歳の頃だったか、山崎朋子の「サンダカン八番娼館」の劇を観た。
感動した。
同時に、そうした運命に翻弄された女性の数は、
生半可な人数ではなかったことも同時に知って唖然とした。

貧農の口減らしに身を売られ海外の娼婦館「サンダカン八番娼館」で働く、
実在の女性をモデルにした物語である。

元からゆきさんだった老婆と山崎の劇的出会いから、
明治期、貧しかった日本をあとに東南アジアに娼婦として身売りされていく「からゆきさん」を調査、取材し、一冊の本にまとめた。

日本に出稼ぎにくる外国人女性をさして「じゃぱゆきさん」
などという造語があるが「からゆき」つまり唐行き(からゆき)に対しての造語なのである。

最近、日本の近代史に興味があっていろいろ読みかじりしていると
海外に居住していた日本人への興味が高まざるを得なくなってきたのだ。

でも、さらに時代をさかのぼれば、山田長政に代表される、
古の昔にも日本を離れアジアを舞台に活躍した日本人がいた。

その数は予想をはるかに上回る規模であったようだ。

戦国時代、特に関が原や、大阪夏冬の陣であぶれた武士集団…浪人集団の国外逃亡など行き先は日本人町のあった東南アジアであったと聞く。
当時の国王の傭兵として雇われるものも少なくなかったようだ。
江戸幕府のキリシタン弾圧を逃れた、宗教難民も多い。

それらの末裔には、知り得る範囲だけでも
現地で名門家として残っているという。

単純に500年と言うことは、
おおざっぱに15代続いていると考えて、
一人が3人産んでその子供がまた3人と単純に計算しただけでも
15代続けば、なんと478万人に増えることになる。

あまりにも大雑把すぎて聞くに堪えられない諸兄もいるだろうが、
代が連なると言うことは、これほど大きな事なのだ。

そこには若くして死滅したり、独身で通したり、病死、虐殺、天災などの要因で、はるかに少ないかもしれないし、3人の子供という計算は少なすぎるということもある。

が、日本人町というコロニーが国を越えて存在していたということが、ダイナミックに感ずる。
そして同国の血を引く末孫がそこにいるということが不可思議でならないということなのだ。

先の大戦でも、終戦を迎えながら、植民地からの独立を助けた部隊もあり、そのまま帰国せず現地で結婚し留まった日本兵もいると聞く。

考えると、
なんだか国と言うレベルは、どこに行ってしまうんだろう。

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