暑過ぎず…
これから急上昇するやも知れないが、
晴天の割にはすごしやすい。
読売テレビ24時間チャリティーの一環で雷門前でも
チャリティーイベントを行なって(占いみたいだ)
募金を募っていた。
暑過ぎず…
これから急上昇するやも知れないが、
晴天の割にはすごしやすい。
読売テレビ24時間チャリティーの一環で雷門前でも
チャリティーイベントを行なって(占いみたいだ)
募金を募っていた。
何年かぶり…
いや二十何年かぶりになる。
24時間テレビに関心をもっている。
番組中、ベトちゃん、ドクちゃんのその後を放送していた。
ベトナム戦争時アメリカ軍が使用した
枯葉剤の影響で、今も苦しむ人々がいることを伝えていた。
長引く戦争の厭世観と、奇襲されるベトコンの恐怖から
業を煮やしたのだろう。
様々な化学兵器を繰り出すに及んだ。
戦争のその瞬間は、一時代のものとして、
過去のできごととして置き去りにされていく。
けれど、残された現実は、
間違いなく当事者には置き土産されているのだ。
しかも代々に渡って。
昔。といっても20年ほど前のことだろうか、
たまたまつけていたラジオからニュースが流れていた。
自動車事故だった。
ある母親が運転するワンボックスカーの事故だった。
サンルーフを開けて走っていたという。
幼稚園の送り迎えだったのだろうか。
友人も含め5人の子供が同乗していた。
こともあろうに
後部座席からシートの上に立ち、
首を出して風邪にあたっていたという。
車は、人の背丈ほどの電車のガードを通過した。
車がガード下に潜り込んだ瞬間、車内は地獄と化した。
後は語ることもはばかる光景だった。
ぼくは、当時その母親の立場を思い震撼し涙した。
「生き地獄」
ニュースとして聞く側は、無責任に終えることができる。
が、当事者は、十字架を担いだ。
まだまだそれからの人生があるのだ。
時間は流れた。
時が周りの人々から、
「記憶」を「忘却」と言う言葉に塗り替えてきた。
けれど、当事者の時は止まっているだろう。
どうしただろう…
いつも気になる。
直しの念珠。
「穴だらけじゃん」などとは、くれぐれも言わないように。
案外知られていないけれど、
「虫食い珊瑚」とちゃあんと名前がある。
まあ当らずとも遠からず、かな。
見れば見るほど面白い玉だよね…
糸を通し終えたところ
これから糸を足して編みこむのだ。
そして房をつければできあがり。
未明に雨が降ったのか、
朝ようやく過ごしやすい気温だった。
むしろ、ビル内のほうが熱気が抜けず、
あっつーあっつつー。
連続40℃が続く日本列島…
融けていませんか…
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070817i411.htm
体温より高い気温なんて…
海外の話と思っていたものが、
まさか、我が国で経験できようとは、思いもよらなかった。
酷暑の言葉が採用されたとたんに35℃を超えるのが
当たり前のようになってしまう。
卵が先か、鶏が先だろうか。
40度以上の名称をきめたら、
今度は続々40℃が当たり前になったりして…
…もういい。
なかったことにしましょう。
近くの仏壇屋の奥様と従業員さんが来店された。
目的は、弟子入りだ。
と言うのは冗談だけど、
念珠の製作方法を教えて欲しいと懇願されたのだ。
ちょうどお盆あとで客足もまばらだし・・・
「まあいいか」
と言うわけで、念珠作り教室を開いたと言うわけなのだ。
生徒は、同業者の仏壇屋さんといっても念珠つくりは全くの初心者。
糸のもち方から、伝えないといけない。
「教授するくらいは簡単なもの」と、高をくくっていたのだが…
いざ伝えようとすると、
人の体を動かすのは、なかなかままならん。
あれ?右だったっけ、左だったっけ…
どっちを通すんだっけ…
男結びは、こうだったっけ…
正に悪戦苦闘の連続。
四半世紀、念珠作りをやっていると、
脳みそを通さず、体が勝手に動いてしまっている。
いちいち考えていないということだ。
それだけに、
いざ、言葉に出して教えようとすると、
いちいち自分の手に問いかけないとわからない。
「左手さん、こうだっけ」
「右手さん、紐はこっちに向けるんだったっけ」
と確認しているのだ。
あまりにも当たり前になりすぎていると、
そのありがたみがわからないのだ。
考えると「あたりまえ」は、
身の回りにいくらでもある。
歩ける「あたりまえ」、
声を出せる「あたりまえ」、
食べれる「あたりまえ」、
大小便がだせる「あたりまえ」、
汗をかける「あたりまえ」、
人のいる「あたりまえ」、
空気を吸える「あたりまえ」、
水を飲める「あたりまえ」、
生きていられる「あたりまえ」、
・・・・
挙げればきりがない「あたりまえ」。
あまりにも当たり前になりすぎて、
忘れている。
けれどいざ「不足」になると、
「当たり前」が実は、
全く「当たり前」でなかったことに気づく。
「あたりまえ」は、あまりにも偉大だったのだ。
今日は、「あたりまえ」に、気づかせてもらった。
今日も暑いぞーーー。
の予感。
地震もアリ、津波もアリ。
熱波もアリ。どうなっちゃってんだろう。
気象庁の発表する気温と現地点の気温は違うからね。
実際はもっと高いはず。
クーラー付きジャケットが欲しいところ。
雨は降らず。雷ならず。
朝の地震は、暑すぎて大地が悲鳴を上げたのだろうか。
あいにく、3や4の震度で目が覚めるほど敏感じゃないもの…
こんなこねくり回したような乾いた空を見ると
地震もありなんという気にさせられる。
朝、仕事を片付けに店に顔を出す。
昨日は昼過ぎから出かけていたものだから、
全てやりっぱなしのごーちゃごちゃ。
デスクの片付けと貯まりにたまった資源ゴミをまとめに
未明に出社した。
早朝にかかわらず、もう息苦しさを覚える。
熱気を避けるようにシーンとした店内に入る。
この時間の店内が、一番好きだ。
戸を開けて中に入ると、
昨日までの冷気が若干残っていたのか瞬間ヒヤッとした。
本当は、そんな冷気が残るはずはない。
いかに外気が常識を超える高温に達しているかなのだろう。
かび臭い外の匂いから急に清らかな空間に入る。
いつもなら戸を開けた瞬間に、
龍脳のスッとした香りが鼻に飛び込んできて、
気をシャンとさせてくれる。
けど、今日はいつもと違う。
全く違う。
何?
深炒りのコーヒー豆の香りが充満していた。
????
コーヒーのお線香が入荷したばかりの頃は
異質な香りが店内を占めたこともあるけれど…
今日は、まさしくコーヒー店に化けている。
しかも自前の焙煎をする洒落た店。
そんな感覚に陥るほど、香りが店内の隅々まで充満している。
何だろう…
あたりを見渡してみる。
小さな小包が仙台から届いていた。
お付き合いをしているネルソンコーヒーからの豆が
机の上にちょこんと乗っていた。これが原因か…
30坪の店内は、
たかだか、B5にもならないサイズの豆の為に
お香の香りも全く影を潜めていた。
すごいものだ…
小さくとも影響を及ぼせる、
存在感のある店になりなさいということか。
香りのお届け物に、朝一番悟らされた。
(注文したのは僅かなのにこんなに入っていたょ)