想い出の浅草

「50年ぶりに浅草に来ました」
レジで精算していた老夫婦が店の女の子と親しげに話していた。

「あなたが二回生まれ変わるくらい前の話だよ」
25歳と思ってくれたみたい。得したね(^^

「どうでしたか浅草は?」、との質問に、

「すっかり変わりましたね~~~」

「特に瓢箪池のあたりが全く面影が残っていなかった」

と、いかにも残念そうに聞こえた。
昔の自分たちの足跡を見つけ出せなかったのだろう。

70歳を少し越えたご夫婦は、
若い時代の1ページを「浅草」というキーワードでお互いをリンクしているのだ。

ここ浅草を訪ねてくださるときには、
街を見、店を見、通りの木々を目にしていても、
きっと今のそれを見ているのではないのだ。

50年前の自分たちをそこに映し、再現しながら、
トレースしているのだろう・・・
きっと…

老夫婦が発した「すっかり」と言う言葉には、
どんな感慨が込められていたのだろう。

瓢箪池は、六区の今の馬券売り場から浅草寺にかけて存在した。
戦争で焼け落ちた本堂の再建のために売り渡されたと
話を聞いたことがあるがまんざら眉唾でもないのかもしれない。

古い地図を見ると、浅草寺の一体不可分の領域と思えてならないが
ここ浅草の住民の、そして観光客にも憩いの場となったのであろうことは
想像に難くない。
http://www.edo.net/edo/asakusa/s31web/map/m1.html

池を知る人は、「あの瓢箪池を埋め立てたのが浅草衰退の原因だ」と
語る方は少なくない。
それほどの、「ほっと空間」だったのだろう。

雷門から仲見世を通り浅草寺の往復で終わってしまう今の浅草の姿は、
やはりここ最近の異様な姿なのかもしれない。

浅草が憩える空間となっていた当時が偲ばれる。

偶然見つけたこのサイトには、数少ない瓢箪池の写真も含まれている。
昭和三十一年浅草
洒落て装った町ではない。
下町のどこにでもあった等身大の姿。

そんな息遣い、町の匂いが漂ってくる。

蒔絵タイプの干支シール

梵字シールのレパートリー。

蓮も上手に使うとグッと引き立ちます。
風神雷神もなかなか渋いのだ。

来年の干支もデザインが決まりました。

これが本命なのだけれど…


ねずみ年。ちゅーちゃんと言う感じでしょうか。

こちらは、
今までの干支シールね。

バーチャルがリアルになるとき

大阪から慕わしいお客様がみえられた。
懐かしさが込み上げてくる。
といっても初対面だ。

しかし、3年半お付き合いさせていただいている。
そう・・・ネットの中でお会いしているのだ。

今までも何度こうした出逢いがあったろうか。
そのたびとても不思議な感覚になる。

お顔は初めて拝見するのに、
もう、すでに心象部分は心得ているのだ。

ネットがマスコミを騒がすときは
大概がマイナスイメージ。
自殺サイトでどうの
2チャンで炎上した云々、
事実、スパンメールは相変わらず多いし
ウィルスは日常茶飯事にお邪魔されるようになっている。

けれど、これほど時と場所を超えて
お付き合いの出来るツールがあるだろうか。

若い時代(もちろん今も若いが)、
人のつながり創りに情熱をかけていたんだ。
親友の不幸な最期に触発されて、人を孤独にさせてはいけない。
そんな気持ちが根底にいつもあった。
心のつながる人のnet創り。

今、仕事でnetを利用し九年たつ。
これほど広範囲に情のやり取りの出来るツールはないと確信している。
隣人に心を伝えるツール。
待ち望んでいたのはこれだったのかも知れないと思うようになった。

けれど、あくまで必要なのは情(なさけ)なのであって「私欲」であってはならないのだとも思う。

net環境がさらに善い方に前進してもらいたいものだ。

こんな腕輪もあります。

直しでお預かりしたものですが、
プレゼントされたものだとか。

どこかで見たことあるなあと思っていたが、
どう見ても自分の仕事だ。

どこをどう巡ってきたのかわからないけれど、
こうして再会することができた。

ふしぎだ・・・。

ゴム糸で編みこみ。

浅草の今日の空

三日連続でこの天気。
青空が恋しい。
秋はやっぱり、高ーい空が良く似合う。

まるで冬の雰囲気だ。

そして今日は、「酉の市
一の酉。

朝から鷲(おおとり)神社への道を尋ねられたり、
熊手を持った人でひきもきらなかったりと忙しい。

と言うけれど、昔と比べると、おとなしいものだ。

そういえば、酉の市のときは、よく雨が降るなあ。

千手観音

千手観音
http://www.youtube.com/watch?v=1sh6RzzMrcw

http://www.youtube.com/watch?v=YgLme7voQo0

感動した。

ちらちらと噂では聞いていたけれど、
NHKのドキュメントで彼らの身辺を伝えていた。
聴覚障害という身体的ハンディーをかかえ、
また、家庭的にも二重苦をもつ子供たちだった。
その必死の訓練の集大成だったと言うことを知った。

日本公演も僅かな期間。
行きたいなあと思うが希望で終わるかもしれない。

共産中国にあっても、
民衆には仏の心の根付いていることに力強さを感じる。
また、国策ではなく、仏策であって欲しいとも思う。