ぼくの好きな風景

日の出日の入りの日がとっぷり傾いたときの影は
なんとも言えない趣きがある。

写真を撮りまわっていたころも必ず夕方の時間を狙って、
被写体を追いかけていた。

自転車に乗るようになってからは、
とにかく影を追いかけた。
影法師は、なんとも哀愁を放ちぼくを誘うのだ。

お日様が地平線にスポット隠れる前の数分間の影が
なんとも言えない情緒を感じる。

影法師はお日様だけの特権でもない。

月明かりの中にもすてきな影が現れる。

街灯にも、車のヘッドランプでも瞬間ではあるがせわしく現れ消える。

友人とつるんで走るときは、その光景を見るだけでもあきない。
カメラを構えてアングルを求めながら疾走する。
がぜん両手ばなしとなるから人には、とても勧められない撮影方法である。
もう30年も前の話だから時効と思うが・・・

でも今でも・・・やっぱり、夕方のこのアングルが一番好き。

決めた

10時間寝たあ。

狭い所にひっくり返えっていたから
ほとんど寝返りできなかった。

腰がめちゃくちゃ痛かった。

絶対寝たきりにならないと心に決めた。

ひかれるままに・・・

仲良くさせていただいているSさんの紹介で知り合うこととなった
元特攻隊のMさん。
上さんの郷里とMさんの実母の郷里が同じでもあったことは驚きでもあった。

90に手が届こうとしているとは思えぬ闊達さと
物腰の柔らかさにいつも感服している。
僕のつたない質問に快く答えてくださるのだ。

戦争を知らない子供たち世代の僕には、
皇国少年だった世代は当たり前なことでも、驚きの連続なのである。
明治生まれの父が生きていれば聞けることであろうが、
あいにくそれもかなわないまま冥界に行ってしまったから、
聞きたいことは山とある。

まして、志願して国の桜花になろうとした方はどんな心境だったのかと。

はなしの種にと、熊本に戻った際、
お互いの共通項になるモニュメントを訪れた。

無事生還されたとき、郷里長崎が原爆の被害にあい図らずも訪ねた実母の郷里。

そして思い出の橋

今は架け直されてはいたが、存在した。
目的の家はとうに消滅していたようで、影も形もなかった。
しみじみ思いながら橋の周りを散策した。

橋際に慰霊堂を見つけ、これも縁とおまいりした。

この土地は軍人墓の多いところである。
そこに建つ墓もすべてがそれであった。

ちなみにMさんの話では熊本の兵隊は勇敢だったという。
弾が飛んで来るのも何ら恐れず飛び込んでいく。
だから戦死者も多かったのだと。

墓標を読むと陸軍・・・之墓とある。

Mさんと同名を発見した。
この地方にはきっと多い名前なのだろうと手をあわせた。

最近Mさんとお話しする機会があり、
「同じお名前のお墓がありましたよ」と報告すると。
「ホー」とため息とも思える声を発した。

「それは兄です」

計らずも、Mさんの実兄のお墓まいりをさせていたのだった。

お互い目を丸くした。

沖縄の香り 月桃

沖縄産の月桃(げっとう)を基軸に香りを調整しています。

月桃はに登録されている沖縄産植物。
古来より漢方草として、防虫草として、広く利用されています。

聖火に思う

やっぱり!
こうなると思った。

http://mainichi.jp/select/today/news/20080419k0000m040103000c.html

ここにきて聖火を巡って問題が噴出している。
国策の如く、権威まで振りかざさなければ、その火が守れないとは・・・
嘆かわしいとしか言葉が見つからない。

聖なるオリンピアの火が、まるで疫病神扱いされているのは、
いかがなものだろうか。
見るに耐えないものを感じる。

地に落とした原因は難だろうかと考える。

チベットというキーワードにどれだけの人が、
今に至るまで関心を持ってきただろうか。

今に至るまで、人権侵害に対して世界が無関心だったことが、
チベット進攻の暴挙に等しく原因なのだと思う。

世界が見て見ぬ振りをしてきたつけが、
オリンピックという大祭の火であぶり出されてきたと思えてならない。