生きると言うこと

「ヒトはいつヒトになるのか」と親しい人に問われ反射的に
人と交わることで人となると答えた。

人は考える葦であるとか、笑いは人のみがなせる業とか様々なことエが用意されているだろうが、人類学的にどうこういうわけではなく自分の経験値がそういわせたのだと思う。
交わるにも僕の言いたいのは、人の縁、人と人のつながりのことだ。

自分のまだ決して長いとは言えない人生でもそれを振り返ってみると、それなりに山と谷を何度も上り下りしてきた。
いや、谷底をさ迷う時間のほうが、山上を歩くよりはるかに長かったような感もある。

人は1人で喜ぶこともできる。

しかし対象があって、その対象を喜ばせようと思考しそれを実現するときの、無類の喜びは言葉に表せない。人が感動したり喜ぶ姿を見れば、喜びは二乗にも三乗にもなって帰ってくることを経験する。
その喜びの根源がどこからくるのか知らなくても。喜びにはパワーがあるのを体感する。

僕は作家のやなせたかしの隠れファンである。
今はアンパンマンの作家として有名になったが、僕が始めてその名を知ったのは、中学時代悩みの極地にあったときからだから、比較的長い。
姉が大切にしていたマグカップの絵柄にあったたかだか数行の詩に救われたことに始まる。出逢いである。

アンパンマンの世界でお金が流通したのを見たことがない。
それもそのはずで、喜びが通貨の世界なのだ。
極楽トンボゆえにそう思うのかも知れないが、すばらしい世界だと思う。
本質的な喜びが価値を決める。

便宜上、代価がついて回ると考えたらよいのだ。
ただ、残念なことに本質を見失った金銭価値が物の本質を見失わせ横行している。

そろそろものの価値観が変化しないだろうかと思うのだ。