0系引退

0系新幹線引退!

・・・知らなかったッス。

http://0kei88.com/

昭和39年のオリンピックにあわせて開通した新幹線は、夢の超特急の名がすべてを表現している。
小学生の僕の目にも特急つばめを除けば流麗なシルエットに国鉄のイメージを払拭するほど天地がひっくり返る驚きだった。

東神奈川からの横浜線もまだまだ小豆色のローカル電車。
新横浜の周りは目の高さほどの青草に覆われていた。
田園地帯を疾走する0系。

40年の冬休みに神戸へ行くとき初めて乗ったあの滑るようなロングレールの快感。心配していた乗り物酔いも全く心配ない頼もしい存在だった。

あれから44年かぁ。

どうりで。

北帰行

流氷を見たくて冬の北海道に出かけたのが高校2年の冬。

毎日の昼飯代と日曜日のバイト代をコツコツ貯めた。
周遊券の冬割と学割で交通費は5000円、ユースホステルを利用して1週間全てひっくるめて15000円前後だった気がする。今思うと信じられない安さだが、それでも予算ぎりぎりの旅だった。

途中、札幌で山岳部の親友と合流し、1泊だけユースを共にした。
あとは一人旅だった。
親を安心させる為、二人で行くと理由にした手前の方便でもあったのだ。そのくせ現地で落ち合ったときの安堵感はたいへんなものだった。これほど人恋しくなったのも一人旅の仕業だろう。

残念ながら、流氷とは会えなかったが、函館、札幌、旭川、仙台とチンチン電車の写真を撮り歩いた。特に旭川は、廃止予定を知らないで数日前に出くわした。最北端の地に根付いた鉄魂に片鱗に触れることができた。

北風の吹く時期になると、「コトン、コトン」という北行きの線路の音が聞こえてくるのだ。