仏像盗難に思う

仏像の盗難が相次いでいる。
そしてついに御用となった。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090303/crm0903030140001-n1.htm

テレビを見ていても盗んだ言い訳に「信仰心がさせた」
という言葉に機敏に反応した。
自らの欲望を満たすための我心と利他心の信仰心を作為的に使ったのか・・・
面白いこという人だと思った。

と同時に
天台宗開祖の最澄が説いた「山家学生式」の一説が頭をよぎった。

国宝とは何物ぞ

宝とは道心(どうしん)なり

道心ある人を
名づけて国宝と為す

故に古人(こじん)の言わく
径寸十枚(けいすんじゅうまい)
是(こ)れ国宝に非(あら)ず

一隅を照らす

此(こ)れ則(すなわ)ち国宝なりと

国の宝とは何かと問い、最澄は人の心であると言及しているのである。
ではどういう心を人には必要とするのか・・・

さらに読み進むと

悪事を己に向かえ

好事を他に与え

己を忘れて他を利するは

慈悲の極みなり

と結んでいる。
「忘己利他」の心は慈悲心から湧きいづるのである。
つまり慈悲心を持つものが国宝なのだと最澄は痛快までに説いている。

決して人々の安寧を祈るために仏像が必要なのでも
ましてや多くの祈りの心の沁みこんだ対象を掠め取ることが信仰心なのではないのである。

言い訳の片隅にも使って欲しくないことばであった、

かもめの水兵さん

朝の隅田川は気持ちがいい。

もともと水辺が好きで、生まれてからこのかた水辺以外で暮らした事がないぼくとしては、水が生命線でもある。

横浜にいたときとやや違うのは、かもめの種類くらいだろうか。

手すりのオブジェかと思うほど、整然と並びがバット群れているカモメたちにドッキリしながらヒッチコックの映画の主人公になったような気持ちで鳥をよけながら歩いた。

「かもめの水兵さん♪

   並んだ水兵さん♪・・・」

全く違う歌が口から漏れた。

ちなみにこの歌は、「村の渡しの船頭は今年60のおじいさん・・・♪」(船頭さん)や「赤い帽子白い帽子仲良しさん・・・♪」(赤い帽子白い帽子)
で有名な、作詞家武内俊子が、横浜からハワイに布教に出る叔父の見送りに行った横浜港のメリケン波止場で詠んだ詩が元になっている。

久しぶりの懐かしい歌詞である。

さらに言えばこの叔父という人は、大谷探検隊にも参加した明治の探検家であり僧侶でもある渡辺哲信師である。

こんな所で浄土真宗の坊さんが現れるとは思いもよらなかった。

今度、隅田川の川面にぷかぷか浮ぶカモメたちを見るときには、
そんなことを思い出しながら見つめてみようと思う。