浅草のそら
ジンクス
26日は朝のジョギングの最中は雲の多いお天気であったけれど、なんとか持ってくれていたが、ぱらついてきてしまった。
当日は仏壇の納品が午後に予定されていたので、通常ならば心配するところだ。
が、が、店を開いてこの方、仏壇の納品に(墓石も含めて)雨に祟られたことは一度もないのが僕の自慢?なのである。
嵐の日に収めたこともある。
何もそんな日にと言われる御仁もいらっしゃるかと思うけれど、どうしてもその日しかダメというお客様もいらっしゃるのだ。
で、しかたなく叩きつける雨と風の中納品先に向かう。
お客様の家を数百メートルという時になってワイパーのスイッチを切った。
仙台まで納品したときもそうだった。
東北道は、ずっと雨。
だって台風が追いかけてくるんだもの。
早朝に仙台について、仮眠して向かうことにした。
目がさめると陽光がまぶしかった。
台風一過の日本晴れ。
虹まで見せて歓迎してくれる。
そんなことはざらにあるのだ。
雨男の僕が雨の神様を引き寄せるのかもしれないけれど・・・
先祖のお家を新築するのだから、皆(ってだれだって?)きっと喜んでくれているのだろう。
だから仏壇の納品となると天気の心配はしたことがない。
いつも安心している。
僕のジンクス・・・
今だ破られず。
どう生きるかだなあ・・・
テレビで藤野高明さん(70)のことを知った。
両眼失明、両手とも手首から先がない。
終戦間もない子供時代、河原で拾った金属筒が不発弾とも知らず、遊んでいるうちに爆発。
共にいた二歳年下の弟の命を奪い、自らも二重苦の身体となった。
腕のない氏は盲学校からも拒否された。
指先が使えなければ点字が読めないからだ。
ある日、ハンセン病の患者さんが唇で点字を読むことを知った。
彼は一念発起し独学で唇で点字を読む訓練をした。
二十歳を過ぎてようやく盲学校中学部に編入した。
現在、聾唖学校教師を務めあげ第二の人生を講演活動などに送っている。
そんな氏が、人生を振り返り、
「自らの人生は人に支えられ感謝できる人生だった。生まれてきてよかった」と語る姿に涙を禁じえなかった。
http://mainichi.jp/universalon/clipping/archive/news/2009/01/20/20090120ddm012040005000c.html
浅草のそら
紫水晶天台平玉腕輪
紫水晶8寸天台の平玉で腕輪を創りました。
この玉で31500円はお手ごろ価格だと思います。
腕にするとこんな感じ。
浅草寺の本堂も見納め
いよいよ本堂の瓦がチタン瓦に葺き替えられる。
作業足場が組まれ始めた。
これからほぼ二年間は白いシートに包まれて見事な本堂屋根のそりを見ることができなくなる。
ちょっと寂しいが、五分の一の軽さになることで本堂が経年劣化に耐えられるなら???
まあいいや。地震も心配だしね。
スカイツリーとほぼ同じ頃のお目見えになるのだろう。
二天門もいよいよ立ち上がり始めました
東参道
戦時中にこの通りは類焼を及ぼさないよう整理されたという。
戦前までは、どんな光景だったのだろう。
土産物屋が並ぶ仲見世のような風景がここにもあったのかもしれない。
古地図には寺院が並ぶ。
まったく今と異なる風情があったのだろう。
突き当たりは浅草寺。
反対に向かえば(引き返せば)隅田川に出る。
そこにはこれから船着場も建設されるという。
「東参道」も次々に手を加えられて、参道らしくなっていくのだろう。
猫のお出迎え
今日も待っていたね。