床屋のはさみ

祭りが終って気持ちの切り替えに1000円床屋に出かける。

ここ最近、あっちにもこっちにもこの手の床屋が浅草にも姿を現しつつあるけれど、
僕は決まって吾妻橋を渡って雲子ビルの根本に行くことに決めている。

1000円で整理券を受け取り、数分待つことになった。
暇そうにしていた髪ぼうぼうの長男を引っ張り出してつき合わせたから、逃げられぬよう奴を先に席に着かせたから、少ない店員のここでは、こういう状況になるのは必然なのだ。

女の店員さんが気を利かせて前の人をすばやく終えてくれた。
僕は正直なところ男性店員のほうが気に入っているから、後でもよかったのだが。

そうとはいえないもの。

席に着くと即チョッキンチョッキンと髪を切り出した。
刈ってもらいながらも、やはり男性店員の順番を待てばよいと後悔した。
恐る恐る髪にはさみを当てるとでもいうのか、思い切りがよくないのが髪を伝わって解るのだ。

上さんにこんな話をすることはできない。どうせ・・・
「細かいんだから」と馬鹿にされるだけだから。

でも、刈られる側というのはそんなものなのだ。

はさみの音ひとつで、感情やキャリアや体調が伝わってくるものなのだ。
うまい人、元気な人、地震のある人が刈ってくれたあとは、多少下手でも店を出た後気持ちよい。
そんなことを期待して床屋に入る人もあまりいないかもしれないけれど、僕は子供の時からそうなのだ。

だから、

「刈る側」と「刈られる側」、原因者と結果者とでは違うものなのだ。

とまれ。
よく考えてみると、僕も店で販売や念珠の製作をしている立場で、同じことをしていないだろうか

理容室ばかりにあてはまるのじゃないものな・・・

かゆいところに手が届く、お客様のニーズを満足してもらえる販売、製作ができているだろうか・・・

気づかせてもらった・・・。