難波淳朗氏の墨絵

いつも座って作業をしている正面の壁から仏画が一枚お出かけした。

故難波淳朗氏の手による弥勒菩薩の像である。

写経で長年お世話になっている佛心寺の永井住職による三人展の客分として出かけることになった。

http://norikyu.com/bussinji/

「三人展」
日時:平成21年6月14日(日)  開場:12時~17時
会場:井之頭画廊 (入場無料・竹工芸及び墨跡は展示即売有り)
仏画-難波淳郎 竹工芸-田中昌斎 墨跡-永井一灯

難波氏はすでに故人となられてしまっているから、この展覧会が最期となるかもしれないと永井師はおっしゃっておられた。

逝かれるのがあまりにも早かった。
これからと言う時に難波氏の訃報を耳にした十数年前、「膝が落ちる」と言う表現が本当にあることを体で知った。

二年間のお付き合いだった。
店のカレンダーを製作するために氏の墨絵を頂戴した。
立て替える前のアトリエにも何度か訪ねた。
命を削り筆を走らすということもアトリエにて知ることができた。

もともと油彩を本業として抽象画を描いていた氏の生き様を知って感動した。
「ペトロ難波淳朗」たしかクリスチャンだった彼の仏教への心は
雷門の店をオープンした時も片肺のない体を押しながら、
テープカットと祝辞をいただいた。
そう・・・

その時は「難波淳朗個展」を企画したんだった。
仏壇のぶの字もない広々とした念珠堂画廊。

昨日のことのようだ。

「またいい仕事をしようね」
それが氏の最期の言葉になろうとは。

三度目の企画は宙に浮いたままとなった。

だから、この永井師の企画展が見納めになるのかもしれない。

墨絵のはずされた壁はしらじらとしていてどこか寂しい。

額装もいい

先日預かった写経。
額装にということで急きょ製作させてもらった。

急ぎ仕事にもかかわらずしっかり仕立てられていた。


軸回しもいいでしょ。

朝の光景


今の若い人はあまり見たことないだろうなあ。

最近の車は随分良くなった。

ぼくら子供の頃のは、ホースのジョイント部や使い過ぎのホース本体によく傷があって、小さな穴があいていたものだ。
作業のおじさんがバキュームして加圧するたびに、ホースから黄金の水が噴出していた。
それをよけながら学校に通ったものだ。

吹きかけられたことは幸いにもなかったが、車が去ったその後には・・・ご想像通りの光景が見られた。黄金の湖。

さて、この吸い取られたブツはどこに行くのだろう。

調べてみると、屎尿処理施設に持ち込まれ、無害化されて川に放流されるとなっている。

石川英輔の大江戸事情などを読むと、江戸時代までは(大正中期まではそうだったらしいが)貴重な資源として買い取り業者がいて貴重な売買の対象になっていたというのだから驚きである。
完全にリサイクルのシステムができていたのである。

大正時代、硫安など化学肥料の台頭で屎尿サイクルの輪は急速に崩れたと言う。

でも、これほどの人口を抱える大都会。食べれば間違いなく排出される黄金色を文字通り黄金にできないものなのだろうか。
いつまで、捨てるしかないという発想を持ち続けなければならないのだろうか。

臭いすら処理されている無臭のバキュームカーを前にふと思った。