気づいたこと

自転車で秩父に行ってから早や一年が過ぎてしまった。
サラリーマン時代なら、何度でも思い立てば、出かけたものだが今はままならない。
行きたい気持ちがあればこれまたあっという間に出かけてしまうたちの僕が、そんなもんで気持ちを納めてしまうのだから、考えてみれば、歳を取ったのか、めっぽう忙しいということなのかなのだが・・・

書店で立ち読みを良くする。
立ち読みをすると必ず一冊や二冊は衝動買いしてしまうのだから不良客ではないとわれながら思う。

歴史書から始まって、政治や国防関連、スポーツ関連とランダムに興味が走る。
その中でも自転車本の多さに最近驚いている。
昔は、ニューサイ誌(ニューサイクリング)とサイスポ誌(サイクルスポーツ)の二冊しかなく、上級者は前者、初心者は後者と大体すみわけされていた。特に前者は店頭に並んで数日の内に完売となるので(もともと発行部数が少なかったのだろう)マニアは即、手をつけなければならなかった。

両者とも紀行文が中心で、小旅行、キャンピングなどと今とは偉く違う編集内容だった。
旅行記を読みながら、僕は峠紀行がライフワークに染まっていくのだが。
この時代この両誌に感化されていったのは少ないと思う。

自転車乗りのスタイルは実に多用だった。
もともと日本にサイクリングという概念を輸入したフランス系統の自転車遊びの世界やイギリスのパターソンのツーリング絵画の世界に魅了された人たちの紳士の遊びの延長にあったムードサイクリスト派と走ってなんぼの実力派がごちゃまぜになった、何とも言えぬ黎明期のよさがまだ漂っていた時代(本当の黎明期はずっと以前なのだが)実に楽しかった。
走って何ぼの世界に僕はいたような気がする。

ツーリングがしたくて、レースで体を鍛えるそんな答えを自分の中で出していた。
そんなことはどうでもよかった。
とにかく走りさえすれば楽しかったのだから。

そんなガンジス川のようになんでもありの時代を経験しているだけに、レース一辺倒、体調管理のための自転車術、エコ運動の一環、どうも今の風潮にぼくはついていけないのかもしれない。
自転車は純粋に遊びなのだから自由でいいのだ。

機材が豊富で実に多様なスタイルが町には闊歩していて、うらやましい環境があるのも確か。
けれど、なんだかワンパターンに思えてくるのは何故かな・・・

ともあれ、どこかで時間を作ってまた秩父を走りたい。

あ。そうだ。
経お客様から東海観音霊場の話を受けて思い出した。。
すっかり忘れていた。

そういえば近場にはいくらでも自転車で回れる霊場は数々あるんだっけ。

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