形見

お母様の形見と言うことでお直しさせていただいた。
ご本人の予想に反して、プラスチックではなく本物の珊瑚だった。
なk糸がテグス仕立だったからそう見えても仕方のないことだと思った。

直しということでは、思い出すことがある。

僕らの仏具業界で本当に全ての念珠の直し(製作)を可能とするお店は何件あるだろうか。
多くの店がお直し承りますと言っていても、自社内では直せず京都に出している。

昔、その本家本元が、手間のかかる修理をいやがり、切れた念珠は供養しましょうという戦略をとった時期がある。あながち間違ってはいないという気もしないでもないが、新しい念珠を買わせる手段としてこういう方法論をとることには、心底腹がたった。また、自分にはそういうことは言えないとも思った。

持ち主の心の問題にまで土足で入るような気がして。

持ち込まれるお客様が、心機一転新しい念珠を持ちたいとか、グレードアップしたいと思う上には何ら抵抗はない。
うちは、自分で直してしまうから、その戦略に乗ることもなく済ませることもできた。

だから、お炊き上げしてしまうということに対して、まったく逆の立場で臨んだ。

もらった念珠をどうしようかと迷っているお客様には親が子にどんな気持ちでお念珠を差し上げたのだろうか。
「そんな気持ちを大切にしてお直ししましょうよ」と。

新しい念珠は売れなかったけれど、気持ちはお客様に伝えられた。と思う。
親の思いを僅かながらも代わりに伝えられたのではないか。と思った。

お客様は、その念珠を親からもらったいきさつをそのつど教えてくれた。

おかげで何度涙を流すはめにあったことかわからない・・・
多くの思いの込められた物・・・いや。物を超越した心の象徴なのだと思った。

ぼくの考え方は正しかったと思った。