チャレンジ
どうでもよいことなんだけど・・・
一時期手相に凝ったことがあった。
随分昔の話のことゆえ、どの線がどういう意味を持っていたかなんて、とうに忘れてしまっている。
と、思っているのだけれど・・・
仕事上、ネットで販売するお客様に対して、商品を手のひらに乗せて写真を撮る機会が多い。
見てもらってokをもらうためだ。
そんなときはなるべく指紋が見えないようにアングルに気をつける。
自分の手を広げるのは、なんだか恥ずかしくなる。
でっぷりしてるとか、しわが多い、とかそういうことじゃあない。
見透かされちゃう。なーんて思ってしまうんだろうなぁ。
そんな眼が心の根っこにまだ残っているようだ。
手のしわは、最大の個人情報だと思っているからなのだろう。
スケールが判らなければ
浅草のそら
商いのかたち
ネットの仕事をしていると、大企業ではないだけに(と誇らしげにいうことでもないのだが)ホームページの更新から商品撮影まで全て一人で行っている。
最近は外注する御仁が増えたが、どうもその気にならない。
ついていけない、というのか自分(の一部)を表現するのに他人の手を借りたくないという気が強い。
そうだから俄然、自分のカラーになってしまう。
でもそれでいいと今は思っている。
無理に美しいページにしたいとも思っていない。
ガバチョガバチョと儲けようとも思っていない。
手を出すとしたら、より多くの人との縁を持ちたいなと思ったときなのかもしれない。
自分の手の長さで収まる人とのお付き合いができればそれでよいと思う。今は。
必要以上に作りこんで、モールに出して、宣伝していけば、比例して売り上げもトントンと伸びた。それはしっかり体験した。
でも比例して楽しくなくなった。
この感情って、以前も味わった。
とにかく根が真面目だし、猪突猛進のところがあるから、一生懸命やる。
やればやっただけの見返りもそれなりにあった。
けれど人がお財布に見えてきたとき、人に命を感じなくなった時、全てやめた。
己の動機に不順を感じたらいつでも撤退できる。
だからお客様も自分も楽しいと思えるようでありたい。
そう思う自分の接し方、商いって何だろうといつも模索している。
答えが出た時には時代遅れになってしまうかも知れない。
けれど模索してみようと思っている。
オーダー確認
紫と茶、よさそうです。
鳳眼菩提寿みかん玉