三十三観音の念珠
三社祭
今年の三社祭りは、5月14日(金)から16日(日)まで。
本社神輿が担ぎ出されてくるのは16日です。
浅草寺縁起によると、今から1380年程の昔、隅田川で漁労に精を出していた檜前浜成・竹成の二兄弟が魚網の中から一像を持ち帰り、土地の文化人である土師真仲知に一見を請うたところ、土師はこれは尊い聖観音像であり、自分も帰依する所の深い仏像であると二人の者にその功徳を諄々と説き、自邸に堂舎を構えててらとし、三人共々厚く聖観音像をお祀りするようになったという。
これが浅草寺の期限であり、後世この三人が浅草の開拓者として、三社大権現の尊称を奉られ祭祀されるようになった。それは権現思想(仏が神の姿をかりて現れる神仏同体説)の流行しだした平安末期(約800年前)だろうといわれる。その後明治6年三社権現の名称は廃され、現在は浅草神社と呼ばれている。
その大祭の神輿渡御は江戸第一の荒祭りとして浅草人の血をわかせその賑わいは府外随一として全国に喧伝された。
また、現在の社殿は徳川三代将軍家光が慶安二年(1649)に建立寄進した、江戸初期の代表的権現造り建築で、幾多の災厄をのがれ、国の重要文化財に指定され、昭和38年と平成8年に多額の国費の補助を受け創立当時の姿に修復された。
と、三社祭りのしおりに書いてあった。
ところどころ修正したい部分が散見されむずむずしてくる。
江戸期まであれほどおおらかだった日本の宗教事情はどこへいってしまったんだろう。
明治の神仏分離令(廃仏毀釈)によって、狂ってしまった神社と寺の関係が修復されないかと願うのは決して少数意見ではないと思うのだ・・・
浅草のそら