なにごとにも興味アリ

交通委員会の帰り道、

三時を回っていたけれど、外食は好かないTONは近くのコンビニでパンを買い雷門通りを吾妻橋に向かうかたちでお店に帰ろうとすると、雷門前は、雨にもかかわらず黒山のひとだかりだったのであります。

途中に信号はないから、人混み嫌いなTONはこの場合いやでもその中を突っ切らなければならなかったのでありました。

なにやら街頭演説のよう。

ここは、演説のメッカだからね。

と、自民党の垂れ幕。
見上げると、小泉jr.

一度聞いてみたかったこともあり、傍聴者のひとりとなったのであります。
が、いかんせん雨。しかも本降りになってきた。何よりも傘がない。

コンビニの袋を頭にかぶせるわけも行かないし。
目の前を見ると子供が保育園の頃から仲良くしてもらっていたA君のお父さん。
交通整理要員で駆り出されていたのね。

見るに見かねて何人か横に傘を持つ人がいてその中に案内してくれました。

これで濡れずに聴けるかなと安堵もつかのま、
なんと傘と傘の合間に立たされてしまったTONなのであります。

僕の存在を知って知らずか、相合傘になりたくなかったのか・・・

さあどっちの陣地に入ればよいのやら・・・

両方の傘に集まる雨水を谷間でもろに受けて、ますます水浸し。
濡れねずみならぬ濡れTONと相成ったわけです。

結局傍聴どころではなく、その場を急ぎ立ち去ったのでありました。

浅草にちんちん電車

と言っても、都電の延伸ではない。

ちんちん電車。
今どきは、LRTという。

浅草に逢いに初めて足を運んだのが、高校時代。
都電に乗りたくて学校を病欠し、神田からの28系統に乗ったのがそもそもの縁。

もちろん浅草は伝助や芸能の発信地として、物心つくころからの行きたいNO1の場所として幼心に擦りこまれて育った下地はあったにはあった。

が、真面目?な学生がそこまで行動を起こしたのは、鉄(鉄道マニア)の血の芽生えと共に・・・であったわけで、深川や浅草への憧憬は鉄の血によって実現されたということだ。

神田神保町の交差点から柳島福神橋までの車窓は、少年の心に忘れることができないものとなった。おかげでその後の人生の展開に大きく影を・・・いやいや、おもしろく転がっいったのだ。

しかし、昭和47年に旧東京市電は全廃されてしまった。

時は流れ・・・

スカイツリーが川向こうに計画されて、過去にもあった都電の延伸計画とは全くことなる浅草のLRT計画が噂された。

にわかにその噂を聞きつけ、おかしな縁にて参加するとができた。

なんだか不思議な気がする。

それにしても走るといいなあ・・・


こんなかわいい連接車構想


架線を必要としないLRTもある