久しぶり
2009年2月3日の日記にこんなことを書いた。
http://http://http://ton.wp-x.jp/wp-content/uploads/image/ton.wp-x.jp/wp-content/uploads/imageblog/c/10719226.html
珊瑚にまつわるお客様との不思議な出来事(僕的には当然なのだが・・・)を書いたのだ。
そのSさんが突然現れた。
お化けではないのだから現れたと言う表現は不適切かも知れないが、本当に驚いたと言うことに関しては、引けをとらなかった。
何故って・・・
前の日記の主人公、話題の主になる、彼の赤ちゃんを抱いての登場だったからだ。
彼はそういう意味ではいつも脅かして・・・驚かしてくれる。
180cmを超える長身に鳶の仕事で培ったがっしりした身体に、ねんねこを首からかけてカンガルー父さんになっていた。
童顔がさらに笑みでほころんで挨拶をくれた。
しっかりものの奥さんは、すっかりスリムに戻っていた。
以前とは感じが違うなあと思うそのギャップは、やはりおかあさんとしての貫禄から来るものなのだろう。
母親は父親より、親としては1年先輩なのだから、二人並んでいると、童顔と言うことをこっちにおいていても、女性に分がある。
「一ヶ月たったんで、やっとお礼に来れました」
開口一番のSさんの言葉だった。
今どきの若者同士に一見するが、子供にかける思いは、人一倍強かった。
店長に見せたかったという言葉に、思わず涙腺がゆるんだが、彼には悟られなかったろうな・・・
TONの上さんがちょうど店の手伝いに来ていた。あのSさんだよと噂の主の来店を上さんに告げた。
彼女の興味の対象はSさんもあるだろうが比重はもちろん赤ちゃんであったのだろう。
十数年ぶりに抱く乳飲み子の感触。
メロメロやなあ・・・
孫とはこんな感触なのかもしれない・・・
などと、上さんにそっと言いながら、心配する若夫婦を横目に老夫婦は、しばらくの時間、孫の擬似体験をさせていただいたのだった。
また来てね。
懲りてなければ・・・
浅草のそら
三十三観音の念珠
三社祭
今年の三社祭りは、5月14日(金)から16日(日)まで。
本社神輿が担ぎ出されてくるのは16日です。
浅草寺縁起によると、今から1380年程の昔、隅田川で漁労に精を出していた檜前浜成・竹成の二兄弟が魚網の中から一像を持ち帰り、土地の文化人である土師真仲知に一見を請うたところ、土師はこれは尊い聖観音像であり、自分も帰依する所の深い仏像であると二人の者にその功徳を諄々と説き、自邸に堂舎を構えててらとし、三人共々厚く聖観音像をお祀りするようになったという。
これが浅草寺の期限であり、後世この三人が浅草の開拓者として、三社大権現の尊称を奉られ祭祀されるようになった。それは権現思想(仏が神の姿をかりて現れる神仏同体説)の流行しだした平安末期(約800年前)だろうといわれる。その後明治6年三社権現の名称は廃され、現在は浅草神社と呼ばれている。
その大祭の神輿渡御は江戸第一の荒祭りとして浅草人の血をわかせその賑わいは府外随一として全国に喧伝された。
また、現在の社殿は徳川三代将軍家光が慶安二年(1649)に建立寄進した、江戸初期の代表的権現造り建築で、幾多の災厄をのがれ、国の重要文化財に指定され、昭和38年と平成8年に多額の国費の補助を受け創立当時の姿に修復された。
と、三社祭りのしおりに書いてあった。
ところどころ修正したい部分が散見されむずむずしてくる。
江戸期まであれほどおおらかだった日本の宗教事情はどこへいってしまったんだろう。
明治の神仏分離令(廃仏毀釈)によって、狂ってしまった神社と寺の関係が修復されないかと願うのは決して少数意見ではないと思うのだ・・・
浅草のそら