90歳に手が届こうと言うにもをなを矍鑠たるK女史はうちの長年のお得意さん。
よき時代を語り部として教えてくださる先生のような人なのである。
カイロの草分け的存在で、この御歳になるも、学び実践し、今なお東京を中心に近郊を走り回って治療を続けている。
150cmに満たない小さな身体を独特のピッチ歩行で、他の歩行者より群を抜いて速い。
あっという間に見えなくなってしまう。
遠野の方言が全く消えない素朴さにだれも心を許してしまう。
以前はよく遠野の民話を話して聞かせてくれたものだが、東北人を母にもつ僕でさえ解析不能になることがあったせいか、最近は少々遠慮されていらっしゃるようにも見える。
女史と語り合うとついぞ時間の経過を忘れてしまう。
診察に回らなければならない身体をここに拘束してしまうので、申し訳ない。
今日はこの夏に遠野へ帰省された話をしてくださった。
毎年の恒例ではあるけれど、話を聞くのが楽しみでもあり、人生を考えさせられもするのである。
遠野の古刹の寺が実家のような女史は、「男として生まれたなら」と祖父が惜しんだと、今は笑い話として語ってくれるが、間違いなく出家の道に入ったであろうことは想像するに難くない。
住職にさせたかったという祖父の思いは、幼い女史の信仰心を研ぎ澄ます環境に育てた。
「人助けをしなさい」との祖父の命を実践したのが今の職業で、遠野にも以前の患者さんがいまもなお、帰りを待ち受けている。
様々な人間関係を話してくれた。
ふと、
「○○ちゃんは親分肌でいつも命令ばかりだったのよね・・・
私はいつも従順で言うことを聞いてばかり・・・だったわ」
ついに幼馴染の好敵手が痴呆を発症したこと、
おまけに同級生を何人も亡くしたことへの気持ちを吐露された。
そんな言葉を聴いていると、そこに幼い女の子が座っているかのような錯覚にとらわれた。
故郷の話をするとき・・・90年近くが瞬く間に逆戻りしてしまうのだろう。
考えてみれば自分の母も田舎に帰ると、邦ちゃんがどうした、よしこちゃんがあーした・・・、だのと、幼馴染にしかわからない世界にとんと入ってしまう。
同じだなあ・・・
姿形は時間の経過をしっかり顔にも手にも刻み付けられているのに・・・
故郷の話になると、人生80年を有に越えていようが、ふと幼い顔が垣間見える。
どことなく不思議さを感じもし、
時の経過というものを重ね着しているだけのことで、
故郷の記憶は、案外そうした厚着をも、簡単に脱ぎすてさせる物なのかもしれないと思った。
人の心底に流れているものは、故郷の水なのだ。な。