ネックレスからの仕立て替え。
親玉と露玉を足しての製作。
白切子の足りないところは紫切子をデザイン的に足してみましたが、白一色よりちょっと華やかになってよかったように思います。
もとがこうだったとは、よもや思えませんね。
※ネックレスの場合、玉穴が小さいので、中通し糸が入らない場合もあります。
そのときには一苦労。場合によっては穴の開けなおし工程が入る場合もあります。
ネックレスからの仕立て替え。
親玉と露玉を足しての製作。
白切子の足りないところは紫切子をデザイン的に足してみましたが、白一色よりちょっと華やかになってよかったように思います。
もとがこうだったとは、よもや思えませんね。
※ネックレスの場合、玉穴が小さいので、中通し糸が入らない場合もあります。
そのときには一苦労。場合によっては穴の開けなおし工程が入る場合もあります。
「通行中の皆様・・・」
昔なら鐘をならすと子供たちがワーと集まったものですが、
始めのうちは、道行く人もどうしてよいかわからないと言う風で、通り過ぎます。
いざ始まると・・・
昔の子供たちも懐かしがって集まりました。
こういう姿が紙芝居の場には似合うんだけど・・・
道路交通法だの何だのと、規制の中に閉じ込められて、本当に窮屈な世の中だなあと感じざるを得ないのが実感とするところ。
子供たちの表情を見ていると、指先だけのゲームでは得られない笑顔が印象的でした。
また公園に、子供たちが戻ってくるのかな・・・
吾妻橋のたもとには、こんなオブジェが現れました。
僕らの仕事はいかんせん葬祭ごとにつながる。
念珠は法具だから、葬祭というより行道であたるし、お香にいたっては、香の道や気分をリフレッシュするためのルームフレッシュナーとでもいうべきもので、葬祭とは縁もないとなるのだけれど、大きく、くくれば、人の生き死にに縁は深い仕事となるのである。
ご進物のお線香やお返し物を取り扱う関係で、ご霊前とは、ご仏前とは、ご神前とはとまず始めに覚えなければ仕事にならない。
蛇足になるが、慶弔ごとの包装紙の包み方は、異なることもこの業界にかかわって初めて覚えさせられた。
ちなみに言えば、喜びごとの包み方は、幾久しく慶びが続きますように、畳まれた包装紙の下端が受けの形になっている。
反対に忌ごとの場合は、同じく下端が開いていて、悲しみは早く抜けるようにと祈る形を取るように包装紙を折りあげなければならない。
日本人の相手を気遣い嗅げながら祈る良さだといつも誇りに思う。
これが店舗販売でまず覚えさせられる第一歩。
で、包装をしかけ紙をし表書きを書くと言うことになる。
四十九日以前にご使用になる場合なら、表書きは
「ご霊前」
それ以降ならば
「ご仏前」
が、一般的なのだが、これは仏式の場合に使われ、しかも厳密に言えば浄土真宗以外の宗派ということになるのだからちょとややこしい。
真宗では、霊の存在を説いていないのだから、ご霊前とはならないから、始めから
「ご仏前」ということになる。
キリスト教では(お線香は持っていかないが・・・)
「献花代」「お香代」
本当に様々だと思う。
で、今日宿題をいただいた。
ある有名な俳優さんの「偲ぶ会に参加するのだけれど、表書きは何と書いたらいいのかしら」という質問だった。
そういう会に参加したことはなかったので、はたと困った。
そこで調べてみた。
あえて無宗教の形をとっているのだからそれにふさわしい表題はなんだろう・・・
ありましたありました。
「御香料」「御花料」「御偲」「御香資」「御香奠」「志」
なるほど・・・
と、してみると、香(花)ということがいかに万国共通・・・万宗共通かがしれよう。
これがSASAKUSASU
スカイツリーを膨らます。
止めればしぼむ。動的オブジェがこれ。
「子供のパワーにまけてます」
と、製作者の弁でした。
子供は基本的に元気なのだ!
「ハードルが高いですから」
とちょっと苦しい弁。
まあ小学校のバザーに押された感も否めませんが・・・
仕事の関連で高知に出かけた。
いくつか有名な観光地を歩かせてもらった。
自分なりに盗み取りたいものがあって参加したのだが収穫は充分だった。
和蝋燭と漉き和紙を全面に押し立てて町おこしを行なっている地域を見学した。
昭和53年に歴史的保存事業の国の補助事業指定を受けて、
ちょうど、中仙道の妻籠宿のように街道に沿った民家を昔の状態に戻している。
景観を保持すると言うのは大変な仕事だと思う。
そこに住むものは、街道に面した部分には、好きに手を加えることはできない。
漆喰壁の連続する通りは、歩いているだけでも癒されるし、先人の知恵に驚かされることもしばしばだった。
六代も続くと言う古い和蝋燭の工房を覗き、説明を聞きめったに見られない櫨(はぜ)の実から取り出した原蝋を触ってみたり、最近はめっきり減ってしまった京都の町屋に似たつくりの土間伝いに坪庭があり、生活の場がその後ろに控えている鰻の寝床ように奥行きのある空間を楽しんでみたりといろいろ見学させてもらった。
その店を出、バスの乗り場へ急いでいると、とある店の店主が観光客相手に熱心に説明をしていた。
バスの出発時間も迫っていたこともあり素通りしても良かったのだが、立ち話が耳に入ってしまった。
「ここの町は和蝋燭なんてやっていなかったんだよ・・・」
「新参のものが古くからいるような顔をして・・・」
「観光会社もいい加減なことを」と言わんばかりにわざわざ、自分でこさえたのだろう、ちらしに、しかも、ご丁寧にラインマーカーまで施して、熱心に説明していたのだ。
よほど後から移動してきた産業(というほどのことか)が脚光を浴びることが腹にすえているという体なのだった。
代々同地点に店はなかったとしても、地場の産業として根付いたものだとすれば、それもありかな・・・
さらに言えば、事実、結果として観光客が増え、その恩恵はその店とて何らかうけているのであろうに・・・
何も知らない観光客に向かって、「これは違う。間違っている。」と、一人ひとりに口説いている姿には、一観光客としてきた自分には、そりゃあんた内輪の話を外来者に愚痴言ってどうするのと、懇切にお話ししても良かったけど、しかたないよね。時間もなかったし・・・
実にいい勉強をさせてもらった気がした。
ったがで帰り