熱中症

今年は、急激に読書家になった。

まあもともと歴史物は好きだった。
しかも物語にかぶれて影響されやすいときている。
30年以上も前に龍馬や坂の上の雲など司馬ストーリーにはまって、幕末明治という激動の時代にぞっこんになった。
足を突っ込んだまま今に至る。

その後もあれこれかじり読みしてはいたが、青春の多感期ほどぞっこんにはならず、ビジネス書以外は手に触れなくなった。

必要以上に本を読みたくない。
なんといっても、目がとにかくいけない。
もともと弱視と言われてともに育って来た右目はもどもと見えないところに、唯一頼りにしていた左目がギブアップを予告してしまい、老眼が極度に進んだ感じとなってしまった。

それなのに・・・
急に本が読みたくなってしまう。

この半年間で、池波正太郎の時代物はほぼ完読し、今は山岡双八の徳川家康にぞっこんとなっている。戦時中従軍記者をしていた山岡が特攻隊兵士に「特攻することで日本は勝つと思いますか」と尋ねた場面を見てこの人の書いたものを読んでみたいとする動機となっているのだからちょっと変かもしれない。

死地に行く若人の姿を目の当たりにした彼がどんな人生観として作家として書き残しているのかを知りたくなったとでも言おうか。

案の定、「徳川家康」の文中のそこここに彼の人生観が散りばめられているのに気づかせられた。
まだ26巻中の半分にも至らないが、今しばらくは、熱中症に陥っているだろう。

冬の大敵

静電気とアカギレ
ご覧のとおり、やりにくいったらありゃしない。
手の乾燥は柔軟さをなくすのです。
だから、細くて強い正絹糸は皮膚を食い破るのでありました。トホホ。

気をつけねば

以前は500ウォンが日本の500円玉と大きさ重さが酷似していたことで、自販機に大量にみつかったと世間を騒がせたことがあったが、今度はこれが流通し始めているそうだ。

日本の100円玉と酷似した大きさ重さであるとか。
自販機に組み込まれている日本の鑑識機は優秀だから、こんな事くらい平気の平左なのだけれど、精密すぎて日本のお金すら微妙な質量不足を感知してはじてしまうのだとか。

そのためについ識別の感度を落として運用してしまう。と、こんなつまらない詐欺に合ってしまうことにもなる。

切れすぎる刃物は運用が難しいということか。
凡庸にすると、その汎用さゆえに間隙を縫って邪悪が入り込もうとする。

なんと難しい世の中よのう・・・