浅草のそら
あ!そうか今日は通化事件のあった日本人として忘れてはならない日だ。
一日に浅草寺境内にある母子地蔵を掃除してきたばかりというのに・・・
満州からの引揚者が3000名以上(さらに多い説も)悲惨な殺され方をした大事件。戦後に当たる昭和21年1月3日今日という日は日本人が決して忘れてはならない日。
浅草のそら
コロナウィルスの影響でしょうか。。。
浅草寺点描
冬時間の勤行に合わせて朔日は浅草寺境内の掃除を行う。
地元の商店主立ちによる恒例の行事は何十年続いているんだったけ・・・
TONが30代前半からのお決まりコースなのだから三十年以上続いていることは確かなことだ。
いつも朝ランでは五時起きなのだから6:30の勤行なんて軽い軽いと油断したのが間違い。二度目に目が覚めたのが6:30。
慌てて走って雷門をくぐると、昨日まで飾られていた正月飾りは綺麗さっぱり片付いて目通しがすっきりとしていて物足りないくらいの空間が広がっていた。
五重塔前でお辞儀をする人は数が少ない。
する人は、そこがどういう場所なのかを知る地元の人と見た。
もうすでに観音経が始まっていた。本当はその前の声明が朝を告げるにふさわしい響きを感じて聴いていたいところなのだが既に時遅し。。。
本堂内は撮影禁止なので、美的に衝動に駆られるのだがおとなしく導師の手元を伺うのみにした。
勤行が終われば、それぞれチリトリと箒を持って携帯に散らばる。
今日は生憎と言ったらよいのかなんなのか、清掃が行き届いていてゴミひとつ見当たらない。
TONはいつもの持分(自分で勝手にそう思っている)母子地蔵内を履き残した隅を突っつきながらくまなく掃き清める。
満州からの引揚者の悲惨さは伝え聞くが、戦争体験を持たないTONでも、母子の表情に胸を突かれる。何度繰り返し見ても・・・
二尊仏の背には江戸期の阿弥陀如来を始め地蔵が並ぶ。
こことて以前は朽ち果てることが目に見えて進んでいた箇所だが以前の貫主猊下の時代に全て環境整備されておまいりしやすい姿に戻った。
浅草寺本堂の重奏な屋根にも関わらずどことなく軽快なのはそのアールのうつくしさからくるものなのかな等と思いながら目を凝らしていると今は邪魔者にされてしまっている鳩たちが「すんません」と数羽、羽根休めをしているのが遠望された。
もうちょっと左に寄ればあったかいよ。。。とのテレパシーは通じなかった。
掃除はそこそこに終了。
一緒に歳を重ねてきた先輩たちと茶話会だ。
ちなみに、このお茶を提供している浅草駅前の増田園の三代前は、大砲の弾を作り水戸藩に納めていた。勝海舟とも縁浅からぬ家柄なのだが戊辰戦争後、静岡に移り住み食い詰めた侍たちのために茶畑経営を始めこの商売になったのだとか。
聞いてみるものだ。。。
浅草のそら
2月らしい寒さになりました。。。