江戸の三大鐘楼のひとつ寛永寺の時の鐘
「花の雲 鐘は上野か浅草か」と芭蕉の句にもなったその鐘楼だ。
精養軒に用事で出かけてたまたまその前を通る。
改めて近辺を見渡すが、どう見ても境内地だな・・・
ここは。
明治の廃仏毀釈の嵐は、全国の寺院の領地を召し上げられた。
特に徳川の庇護の下にあった、大寺院を襲った嵐は大きかった。
浅草寺もそうであったし、ここ寛永寺も東叡山と山号にあるように西の比叡山に匹敵する広大な境内地と塔堂伽藍は召し上げられ公園地と化した。
浅草寺は、長い闘争の末に寺に僅かながらも取り戻すことができた。しかし、上野はそうはならなかった。
こだわるわけではないが、不忍池も公園内にある堂宇もそれらを見ていると、広大な東の比叡山を歩いている気がしてくるのにここは公園地。
時とともに変わりきたのだなあと・・・栄枯盛衰を感じざるを得なくなる。