浅草のそら

新型コロナウィルスが猛威をふるっている。

日本の感染者の数が45名になった。そのうち20名は英国船籍の大型クルーズ船の乗客。

ふと思ったが、この二十名は日本の感染者にカウントされるんだ。ということ。ま、確かに先の25名にしても日本国籍を有し国内に在住していると全部が言えあるわけではないのだからたまたま、日本に寄港したクルーズ船内の感染者が日本の感染者の数にカウントされても矛盾はないのかもしれないが、怖いのは数字だけが独り歩きすることだと思う。数字には必ずその根拠や背景があるのだが、その意味まで深掘りする人は少ない。風評がこれから先ついてまわらなければよいが。と思うのはTONだけではないだろう。

ワイヤーでネックレスに。

以前は、結構頻繁にワイヤーを使った作業をいただくことが多かった。

本当!久しぶり。

新規ではないけど、やっていないとぼけちゃうからね。

かなり大きい出雲型の本翡翠の勾玉が入るので警固に作らないと中糸が伸びちゃう。

なので、ワイヤーの二本通しにすることにした。

ルチールと虎眼とムーンストーンと四神獣まである。

四神獣の配置は東西南北があるので変えられないから、その他の石をオーソドックスにグラデーションにしてみることにした。

主役は勾玉だから、奇抜な配置は主が死んじゃうかなということでポイントに目が行くようにした。

あっという間に終わってしまう仕事だが、練習するような細工ではないから、まず仕事でもなければやらないだろう。腕が鈍らないためにもいい機会をもらえた。。。かな。

浅草のそら

あ!そうか今日は通化事件のあった日本人として忘れてはならない日だ。

一日に浅草寺境内にある母子地蔵を掃除してきたばかりというのに・・・

満州からの引揚者が3000名以上(さらに多い説も)悲惨な殺され方をした大事件。戦後に当たる昭和21年1月3日今日という日は日本人が決して忘れてはならない日。

浅草寺点描

冬時間の勤行に合わせて朔日は浅草寺境内の掃除を行う。

地元の商店主立ちによる恒例の行事は何十年続いているんだったけ・・・

TONが30代前半からのお決まりコースなのだから三十年以上続いていることは確かなことだ。

いつも朝ランでは五時起きなのだから6:30の勤行なんて軽い軽いと油断したのが間違い。二度目に目が覚めたのが6:30。

慌てて走って雷門をくぐると、昨日まで飾られていた正月飾りは綺麗さっぱり片付いて目通しがすっきりとしていて物足りないくらいの空間が広がっていた。

五重塔前でお辞儀をする人は数が少ない。

する人は、そこがどういう場所なのかを知る地元の人と見た。

もうすでに観音経が始まっていた。本当はその前の声明が朝を告げるにふさわしい響きを感じて聴いていたいところなのだが既に時遅し。。。

本堂内は撮影禁止なので、美的に衝動に駆られるのだがおとなしく導師の手元を伺うのみにした。

勤行が終われば、それぞれチリトリと箒を持って携帯に散らばる。

今日は生憎と言ったらよいのかなんなのか、清掃が行き届いていてゴミひとつ見当たらない。

TONはいつもの持分(自分で勝手にそう思っている)母子地蔵内を履き残した隅を突っつきながらくまなく掃き清める。

満州からの引揚者の悲惨さは伝え聞くが、戦争体験を持たないTONでも、母子の表情に胸を突かれる。何度繰り返し見ても・・・

二尊仏の背には江戸期の阿弥陀如来を始め地蔵が並ぶ。

こことて以前は朽ち果てることが目に見えて進んでいた箇所だが以前の貫主猊下の時代に全て環境整備されておまいりしやすい姿に戻った。

浅草寺本堂の重奏な屋根にも関わらずどことなく軽快なのはそのアールのうつくしさからくるものなのかな等と思いながら目を凝らしていると今は邪魔者にされてしまっている鳩たちが「すんません」と数羽、羽根休めをしているのが遠望された。

もうちょっと左に寄ればあったかいよ。。。とのテレパシーは通じなかった。

掃除はそこそこに終了。

一緒に歳を重ねてきた先輩たちと茶話会だ。

ちなみに、このお茶を提供している浅草駅前の増田園の三代前は、大砲の弾を作り水戸藩に納めていた。勝海舟とも縁浅からぬ家柄なのだが戊辰戦争後、静岡に移り住み食い詰めた侍たちのために茶畑経営を始めこの商売になったのだとか。

聞いてみるものだ。。。