ミニチュア・・・

ミニチュアといってもいいんでしょうね。
真言宗本連の形を踏襲して、忠実に作ります。

房の結びは案外面倒です。
なんてったって、紐の太さギリギリまで締め上げていますからね。

大きさがわかりますか。

手につけるとこんな感じです。

初心・・・

お店を始めたころ店で働いてもらっていた子がおもしろい人で、当時はまだ珍しかったワインのソムリエを目指していたり、色を作らせると独特な感性で無駄を一切出さずにさまざまなレパートリーを披露してくれたりした。

「店長包めますか?」

と、きた。

商品を包むのなんて自慢じゃないが全くやったことがない。

あくまで、30年を優に超える当時はの話し。

おぼつかない手で、セロテープを駆使して包んでみた。

「違うんだなぁ・・・」

「仮留めのセロテープは使っちゃいけないの」

といって、初めの折り返しからフィニッシュまで一切セロテープを使わないで折りたたんで見せた。

ほ~~~~!

と思わずため息が出た。

彼女いわく「お客様が包装紙をあけるときに開けやすいように、止めシールを取ればパラパラって開いたらお客様に感動してもらえるでしょ。それに、包装紙を何かに使ってくださり易いようにするもんなのですよ」

今のデパートではあまり見かけなくなったが、古い時代のデパートの店員からも同じようなことを教わった。

お客様は気付くか気付かないかわからないようなことなのに・・・、
こんな細かなところに気づかいをする・・・・

そんなことが、包装している合間合間にふっと頭をよぎる。

暫くぶりに止めシール以外、仮止めテープを一切使わないで数十個包んでみた。
まだ、衰えていなかった。

締め直し

何年ぶり?だいぶ前に製作させていただいた一連が戻ってきた。

グラデーションに作った覚えはないのだが、見事にきれいにグラってる。

臨済宗に仕立てている。首に架けられていたんだね。

よくみるとこんなに表情が違う。

これは使用しての古色がでたけれど、使用しないで100年200年ほっといてけば、星月菩提樹は真っ黒になる。要するに古星月だ。

木の念珠はこれだから面白い。

御朱印を頂こと

昨日ネットサーフィン(死語?)をしていると、あるサイトで御朱印をいただくことの説明文に

「有料のスタンプラリーです・・・」と説明していた。

ふざけんな。

間髪入れず頭に血が上った。

結果を重視する最近の社会現象と考えてしまえば気が楽になるのだが、こんな説明がまかり通っているのかと情けなくなった。

廻っていない方が更の心にこんな理屈が染み込んだり、巡った方がそうだそうだと納得していたとしたら、今の風潮に警笛を鳴らさなければならないと思う。

お世話になっているお寺から送られてくる布施本を読んでいるとこんな解説が書かれていた。
少し長いが引用したい。

Q&Aのコーナーで、
「御朱印集めに熱中している。どんなことに気をつけたらよいか?}
という質問への回答だった。


以前日本屈指の絵馬の収集家の方からこんなお話を伺いました。

「絵馬を集めている事を知ってご親切に旅行先から絵馬を送ってくださる方があります。しかし、私が絵馬を集めるのはお寺参りの手段であって目的ではないのです。どんな御本尊様や伽藍だったのか。その日の天候や季節、誰と一緒にお参りしたのかなどの情報が、一枚一枚の絵馬に全て込められています。ですから申し訳ないことですが、自分で授かった絵馬と他人から贈られた絵馬とでは、思い入れが違うのです」と。
御朱印はもともとは写経を奉納した証しで「御朱印帳」は「納経帳」ともいいます。そしてそこに押される御朱印はそのお寺の御本尊様そのものなのです。古くは切手や古銭などから、最近ではスマホゲームの中で入手して使えるアイテムまで人は他人の持っていないものを、自分だけ手にしたいという欲望を持っています。しかし、「求不得苦」(ぐふとくく)といって、求めて得られないときに、それは苦しみにつながります。御朱印集めは単なる収集ではありません。お寺参りのご縁を結んでくれる手段とし、たとえ対価は数百円でも大切に扱っていただきたいものです。


とあった。

「手段と目的」
「写経を奉納した証の書」
「お寺参りのご縁を結んでくれる手段」

これだけでも心の持ちようとその所作が変わるのではないかと思わされた。