ちょっと反骨

「東京タワー」といってシャンプーをつけた髪の毛を立ててあげると
「ぼくも」「ぼくも」と子供にせがまれたのを
コマーシャルを見ていて、ふと思い出した。

タワーには特別の感触、思い入れがある。

濱っ子の僕にはマリンタワーいつも見える。
心の内にも誇りとしていた。

世界一(当時)の東京タワーに大しても、
「マリンタワーがあるじゃん」
といつも、敵愾心をもっていた。

映画「三丁目の夕日」で昭和30年代が脚光を浴びているが
タワーの建設途中の姿を見るにつけ、
ちょっと斜に構えていたそんな時代の郷愁を感じる。

ふくまる旅館も総動員?!

「西田がいるー」
若い女の子の通りすがりの一言。
ん?と振り返ると、

良く見た顔がいる。


え、まさかね。

いつも菊花展と合わせて開く野点のような茶店。
今年は、ふくまる旅館になってる。
何でも動員されちゃうんだね。

浅草寺で観音霊場の出開帳があると聞いたのが遅かったためとっくに跡形もなかったが
人の出の多さには辟易するほどの状態だった。

人の出には特に外人の多さが目に付く。
バックパッカーの中高年もはとバスの観光客も
とにかく、人種の坩堝(るつぼ)と化していた。

ブーム・・・とは思えないのだけれど

台湾に初めてでかけた12~3年前、
一番初めに驚いたのは、熱気。
日本とは緯度の関係で、亜熱帯の蒸し暑さであった。

二番目に驚いたのは、家族の結束の強さと信仰心。
日本のお寺は夕刻になれば、おしまい。
下手をすれば門まで閉じられてしまう寺院すら多い。
けれど、泊まっていたホテルを抜け出し夜店見物を兼ねて町にくり出すと、
観音を祀る台北の寺院には夜10時を過ぎても参拝客の足が途絶えず、
線香の煙で大変な状態になっていた。

何かのお祭り日になっているのかと聞くと、日々こうだという。
日本に住む台湾人の友が一日中仏前に線香を切らさなかったのを思い出した。
何も特別なことではなかったのだ。
随分お線香が売れるだろうなあ…などとは思わなかった。

三番目は、腕輪念珠の大きさ。
道行く男女を問わず、道行く人の腕にしっかりつけていた。
ブレスレットかと思うほど腕輪念珠が一般化していた。

15~20mmはあろうかと思う腕輪念珠をきゃしゃな女の子が腕につけてる。
日本ではまだ目立たない小さなサイズしか売れない時代。
いつか日本もこうなるかななどと少し思った。

タクシーのルームミラーには、
やはり念珠がかけられてお守り代わりにしているという。
しっかりと仏教(道教も)が根付いていることが肌身に感じた。

最近、大玉の腕輪がよく売れるようになってきた。
テレビでも場違いなほどの大玉が芸能人の腕を飾っているのを目にする。
そのあたりが、影響しているだろうことも感じはする。

トレンディーと言えばそれまでだけれど、
本質を知ってつけてくれるようになればもっといいなあなどと
淡い期待も捨てていない。

和蝋燭

燭台の試験をずーっと続けている関係で
和蝋燭を何本も燃やし続けている。

こんなに和蝋燭を燃やし続けたことは過去にない。

でもおかげで和蝋燭の炎のよさを改めて認識させられた。

見れば見るほど、炎の高さと言い、揺らめきと言い
美しいなあとうっとりしてしまう。

これから、冬に向かって心がしぼむようなことがあったら
炎の暖かさに、心をなごませよう・・・

あ!そうか!

和(なご)む蝋燭だから、
和蝋燭 か。

富士山

富士の麓に見込みのお客様を訪ねる。
せっかくここまで行くならば…
富士のお山が手招きした。

朝、空を見るとまあまあの天気。

ユーミンの歌は、こんな光景かななど今の世代の人には
ちょっと、謎かけのようなことを思いながらひたすら西に急ぐ。

中央ハイウェイ♪

レンズ雲。
UFOが隠れているかもしれない。

20代中盤が最期の登山だったけど
今度登るのはいつのことやら。

南アルプスがよく見えた。

行きの慌しさと一転して、
帰りは、高速を使わずに帰ろうと地図とにらめっこ。

山中湖から道志街道が延びているのに気付いた。
自転車で散々走った慣れた道。郷愁に駆られて決定した。

5合目の涼しさと打って変わってうだる様な暑さの中、
富士急ハイランドのコースター群を横目に
「絶対乗らない」と心によぎりつつ、
山中湖西岸を通って、道志道へと歩を進めた。

僕が自転車で走っていた頃は、全線砂利道で、
たまに農家の軽トラとすれ違う川沿いののんびりとした田舎道だった。

途中には、日の出屋というランプの宿があり、
いのししを食わしてくれた。
何度か自転車仲間と酒宴をしたのを思い出す。

その想い出の館を探すが記憶が搾り出せない。
だって全線舗装、二車線、道の駅…とあんまりにも変貌し、
想いの糸がたぐれない。愕然とした。

30年ってやはり長い。
改めて気付かされた格好だった。

リセット

最近、夜行での遠出をしなくなった。

初めて夜汽車に乗ったのは、小学校に上がる前
虚弱体質の骨皮筋衛門の僕を見かねた宮城の叔父が
一冬、田舎暮らしさせた方がよいという判断で
上野発の夜行列車♪で連れて行かれたときだった。
・・・
もっとも、常磐線の夜行普通など一昔に前になくなって
しまったようだが。

子供心に不安の一言。
その寂しさとも期待感とも言えぬ思いを越えた先に
田舎暮らしの末、コロコロ丸くなって帰省するのだ。
すっかり様変わりして帰ってきた。

大げさではなく人生リセットさせてくれたことは確かなのだ。

最近、なにか足りないなあと思うと、
実はリセットの時間がない。

仕事で出かけるときは、車で動いてしまうか、
遠ければ飛行機や新幹線と言うことで、
長くても数時間あれば到着してしまう。

うたたねする間に、目的地についてしまう。

仕事を中断して出かけるということは、
トイレでやりかけが残っているような気持悪さがあって、
ついつい時間に追われる移動手段になる。
目的地が全てなのだ。
ようするに、道程は必要ない。

ドラエモンのどこでもドアーがあれば、
それで用が足りる生活に慣れきっているのだ。

夜汽車に一人で乗り込み、駅を離れる郷愁感は堪らないものがある。

夜中にふと目が覚めて、カーテンの隙間から外を覗けば、
どこかの見知らぬ駅を素通りしていたり、
海岸沿いのコンビナートの水銀灯のオレンジ色に映し出される
不気味な映像だったり、
山中だったり、寝静まった住宅街であったりと、

異空間を飛び回っているような錯覚に陥る。

そして寝ても覚めても目的地に着かない。
そのうち、あきらめて考え方に変化が出てくる。

目的地に着くのが目的ではなく、
乗っている時間も目的の大部分であること。

それがいい。

あきらめる。
すると、揺られている時間を楽しむようになってくる。
瞬間瞬間を楽しまざるを得なくなる。

なんだか人生とダブる。

そんなリセットの時間が最近ないなあ…

ちょっとお天気オヤジ

今日もうなぎのぼり間違いなし。

株価はドッコーンと落ちたけど、
気温は、どんどこどんどこレッドゾーンに上がるだろう。

「昔は涼しかったよね」
友人が漏らした言葉に反応して少し調べてみた。

1987年8月
店の修行時代。
東京はクーラーをかけて寝るんだと知って文化の違いに驚嘆した年。
平均気温27.3℃ 
酷暑日(35℃以上)は0日!、真夏日(30℃以上)21日、熱帯夜(25℃以上)10日

1967年8月 
小学校6年…クーラーなどなかった我が家。
平均気温28℃ 
35℃以上は0日!、真夏日26日、熱帯夜15日!

1961年8月
小学校1年タライで遊んでいたガキンチョ時代。扇風機もなかったよ。
平均気温26.8℃ 
35℃以上は1日、真夏日23日、熱帯夜10日!

ちなみに今年は、平均気温29.4℃
酷暑日1日、真夏日10日、熱帯夜9日

41年間で平均気温で3度も上がってる。
確かに、子供の時より暑くなってるなあ。

だからどうしたって?

まあ頑張るしかないですね。

今日も・・・