潅仏会(花祭り)

とにかく参拝の人垣で埋まっていた。
抜け道を知らなければ、前にも進めない有様。

花祭りに以前は、当店からも手伝いを出させていただいていた。
それでもたりない参拝者のうねりである。

白像は、浅草寺幼稚園の園児が、
代々の年長さんが、引っ張ってくるお役目。

浅草の子供たちは、少なからず仏教行事に必ず縁がある。

位牌殿である五重塔院も花祭りを喜んで、見下ろしているようだ。

「白鷺の舞い」も浅草に四半世紀いながら、
まともに見たのは
初めてのこと。
若干興奮して追いかけた。

追いかけて先回り。
追いかけて先回り。
そのうち先回りしすぎて、どこかに行っちゃった。

あ!伝法院に入ったのか…

春はスローライフ?

ちょっと上野まで足をのばしても、
桜の勢いについ立ち止まることが多くて
なかなか、目的地に着かない。

帰りは帰りで、なかなか店にたどり着けない。

こんな色合いにも心奪われて。

堂上げ、堂下げは来週でした。

示現会の影響は、大きかった。

堂上げ、堂下げは今日ではなかった・・・
以下のとおりでありました。

浅草神社本社神輿

3月24日(土)「堂上げ」
 午後6時05分浅草神社神職神霊入れの儀斉行
 午後6時50分神社発進本堂前に移御
 午後6時55分本社神輿三基 浅草寺本堂前に到着 本堂御扉開扉
 午後7時00分「堂上げ」開始
 午後7時30分浅草寺一山式衆読後、手締めにて解散

3月25日(日)「堂下げ」
 午前11時10分浅草神社宮司祝詞奏上、浅草寺一山式衆読経
 午前11時30分「堂下げ」開始
 午前11時45分「堂下げ」終了
 午後 4時00分本社神輿三基浅草神社へ還御し神霊返しの儀斉行

初雪

何の花だっけ。

いまだに植物の名前が覚えられない…
好きなんだけどねえ…

ぼやく。

そんなぼやきにめげることもなく
通りは、花で埋め尽くされる。

どうでもよいが、今日、雪が降った。

3月10日に想うこと

3月になると決まって戦争の、というか、
空襲のことが頭から離れなくなる。

横浜市民でいたときは、
さほど気にも留めない話題であったのだが、

東京に、引越した初日に東京慰霊堂に出くわすほど、
過去、帝都と呼ばれていた、東京と言う町には、
爪あとが、ここそこに残っていた(る)。

横浜は、子供の頃、空襲で焼け落ちた焼け焦げたビルが、
馬車道から本町にかけて、かなりの数残っていた。

幼い頃の記憶だったからか、浜っ子には、
戦中の文化史財という意識が薄いためか、
かまわず真新しい町に生まれ変わってしまったために、
目に触れて残るものは、数少なくなったように感じる。

一方、東京においては、成人してからの記憶であり、
そしてまた、商売柄ということも一役買っているのかも知れない。

「慰霊堂」つまり「陸軍被服廠(ひふくしょう)跡」は、
当時とにかく、恐ろしかった。

訪れたのが、夕刻と言うこともあったが、
何ともいえない雰囲気を漂わせていた。

鈍感な僕でも、これくらに霊気は感じる。
そんな状況だった。

政教分離とかいうことで、東京都が直接手を出せない。
ゆえに、外郭団体をつくり、公園管理を依頼していた。
国の政策で亡くなっていった多くの命に対して、
なんともはがゆい「管理」をしていたのだ。

地元有志、仏教会が供養を続けていたが、
誰よりも一人の心ある方の頑張りによって、
供養が支えられていたことをある縁を通じて知った。

もう四半世紀が経ってしまった。

信じられないほど整備され、
何十万柱の無縁仏が眠っているなんて、
これっぽっちも感じない、
明るい公園内にわずかながらホッとするのだ。

4月15は横浜空襲。
http://www.history.independence.co.jp/ww2/index.html

海は広いな・・・

忙しい時間を割きに割いて、国際展示場までアシを伸ばす。
「japan shop」最終日に何とか滑り込んだ。
本当に久しぶりだった。

でもどうーーしても、

確認しておかないとならないことがあり、
出かけたが、

行くと連鎖反応的に次から次に
課題が生まれてくる。

問題解決に行ったのか、
課題をもらいに行ったのか、わからなくなった。

昼飯はまず取らない。
一緒に出かけたものならわかるけれど
よほど忍耐強いか、
好みが全くもって同じかでもない限り

へとへとに疲れ果て、文句の固まりになって帰るのが落ち
というような、廻り方をする。

要するに貧乏性なのかもしれない。
しかし、向学心に燃えているんだ、と言って欲しいと
本人は希望している。

まあとにかく、本日も独楽鼠のように、
くるくる廻った廻った。
目も回った。

そんなときブースのはずれからみえる東京湾は
生きた海とは思えない鉛色であっても、

ホッとする景色なのだ。

散華

今日は、遅くなっちゃった。

と少しばかりあきらめながらも

月初めの参拝に、九段下に走る。

出迎えは、いつも大鳥居と狛犬。

ふっと、見ると、何度みたかわからない狛犬の顔が

やけに新鮮に見えた。

少しばかり、こっけいな顔の表情に

つい立ち尽くしてしまう羽目になった。

昇殿参拝を終えてさっと帰るはずが、

どうも遊就館は、抜くことができない。

若い頃は、同じ若者としての立場で、

命(みこと)の遺志を、自分と比較して読んだ。

今は、

19、20という子供たちが、国と家族を想って散華した心を

親の目で読むようになった。

そうなると、遺書は、また違った輝きを発して

見えるようになった。

ふと見上げると

恐いくらいだ…。

上を見上げると、どんな都会にいても
自然を感じることができる。

自然を感じると言うことは、
生かされていると言うことを確認できること。

何千mも空気の層がのっかっているんだ。僕の頭に。