しんぱいの虫

15日は、観音様の五重塔院のご縁日だ。

五重塔にお位牌をおまつりされている方は、
自由に塔に入館し参拝できる。

だから、きまってこの日だから、遊びに来られるお客様が多い。
お客様も、僕も、生活の一部として、習慣づけられている。

たまに、何かの理由でいらっしゃらないと、次の15日まで
心がざわざわしていけない。

「あれ?体でもわるいのかいな」
「何か失礼なことしちゃったかな」
心配の虫が、頭の中といわず、からだ中を、這いずり回るのだ。

「15日には、うちに寄って、五重塔をお参りしよう」
お客様にしつこく言っている。
「は、は、は」と笑って帰られるが、

言ってる本人は、すこぶる真剣なのだ。
僕を神経症にしたくなければ、顔を見せてね。
と心で哀願しているのだ。

わが店もベビーブームだい!

産まれた。産まれた。

いっぱい産まれました。
浮き草があんまりにも多すぎて、
めだかの夫婦を覗き見することすら難しくなったので
つい2週間ほど前、もうひとつのカルキ抜き用の鉢に
密集していた浮き草を別けた。

たぶんその浮き草にタマゴがついていたのだろう。
はじめ、「店長ーー!!赤ちゃんがいますよ!」
なんて、店の若い子が大声で呼ぶものだから、
「まさか捨て子」かと驚いて飛び出した。

これは、冗談としても、けっそ変えて飛び出したのは、事実でした。

鉢の中には1~2匹ふらふら何かが舞っている。
1mmもないような透明な物体。
「もしかして、ぼうふら?」

危うく流される憂き目にあうところを
メダカの子と、何とか診断されて、生存権を勝ち取ったメダカたちでした。

「しばらくそっとしておこう」が、
「さっぱり、忘れていた」に、誤謬が変化していた訳です。
結果的には、それがよかったみたい。

で、結果こうなりました。↓↓↓

体長2mm程度、黒々としてきました。
携帯の写真なので、ちょっとわかりにくいですが、とにかくごちゃ!といます。

お店にこられたら、覗いてみてね。

真面目にオヤジギャグ?

若い女性が
彫物を探しにご来店された。

お客様「お尋ねしたいのですが…」
boo  「いらっしゃいませ」
   「はい。どのようなことですか。」
お客様「鳳凰は置いていませんか?」

竜神や、倶利伽羅、歓喜天…などなどちょっと見当たらない、
特殊な仏像を得意とするわが社だが、
改めて考えると、ポピュラーなはずの「鳳凰」は、
何故かしら、彫ったためしがなかった。

boo店長  「ホー…」「鳳凰ですか」
お客様  「・・・・」
boo店長  「なんちゃって」
お客様  「・・・・」

そのまま、後ずさりして出て行かれた。
残された僕は、挨拶すら出来なかった。

つい2~3日前も、店の女の子に
「店長、親父ギャグ出ていますよ」と、
注意されたばかりなのに、全く意識になかった。

口に出てしまってから、
「は!」と気づき、
一生懸命フォローしようと、
全神経と我が脳内CPUを総動員して、瞬間的に出た言葉が
「なんちゃって」だったが、
それが、決定打になってしまったようだった。

けが人の背後から一刀両断したようなものだ。
二度と来てくださらないだろうなあ。

もっと、しっかり磨かなくちゃあなるまい「オヤジギャグ」。

チベットの空気

久しぶりのMさん夕方にご来店。
この方がいらっしゃるととたんに
空気が、チベットになる。

それもそのはず古派の正統な伝承者。
日本人では彼のみではないだろうか。

いつも忙しそう。

久しぶりにラサに行ってきたといって
ドーンと写真帳を渡された。

なかなかなじみのないチベットのイメージ作りにと
M氏自ら、バザールを中心にそれこそ何十枚と撮り、
分厚い写真帳をわざわざ作ってきてくれたのだ。

行ったこともないはずなのに、その風景には懐かしさを感じる。

すっかり話しに弾みがかかり、
閉店時間を2時間もオーバーして興じてしまった。


おー。人のほねまで数珠にする。
高僧のもので、何代もかけてつくるのだそうだ。
ちっともおどろおどろしさはない。

長~~いおつきあい

昨日は、長ーーいお付き合いをしたいなあと
打算を含めた願望を書いたが
今日は、今までの長ーーーいお付き合いしてくださっている
お客様のこと。

いまでこそ個人情報保護法で一から万事であるけれど
昔はのんびりしたものだった。

お店には、芳名録を置き
とにかくご来店くださったら
買ってくださった、下さらないは
まったく頭になく、ご記帳いただいた。

また、お客様のほうから、「あら書いちゃおうかなあ」
なんて、足跡を残したがる方も多かった。

「○○市○○町○番地 電話番号 血液型 星座・・・」
コメント「またきま~~す」

なんて、信じられないほどの、おうようさである。
のんびりした時代だった。

そこにまた、次のお客様がコメントを書いていく。
なんてことも往々にしてあった。

まさしく紙媒体の掲示板状態である。
これこそお客様の生の声である。

その声に聞き従ってきたら、今の店になっていた。

だから、お客様の声は、聞き逃せない。
うちの継続の鍵なのだ。

芳名録に、いたずら書きをしていった、
やんちゃな子供たちが、
今度は我が子を連れて、ご来店されるようになったのだから、

どうりで、白髪が増えたと思った。

長ーーーいおつきあい

仏壇を置かない仏壇屋のためか、
一見、何屋かわからないのだろう。

とにかく、いろんな世代のお客さまが、いらしてくださる。
洋の東西も問わない。

商品を自分から勧めたことは、一度もない。
だから、こだわることもなく自由に話ができる。
お話させていただいていて、
各世代、それぞれにおもしろい。

今日は、見るからに普通の小6の男の子。

しかし、とにかくよく知っている
侮れない。

はじめに目に付いたのが、
頭は像で、体は人の仏像二体が抱擁している姿の聖天さま。
次々に仏像を指差しながら、感動にむせている。

あ!歓喜天(聖天)だ。
あ!吉祥天だ。
あ!五大明王だ。
あ!四天王だ。
あ!文殊菩薩だ。
あ!あ!あ!・・・
感動の山を築いた。

一応見て回ると、
今度は、質問の嵐。

聞くわ、聞くわ・・・
機関銃のようだ。
いつ弾を仕込んでいるんじゃい。

お釈迦様はいつの人ですか?
本当に生きていたんですか?
何で痩せてるんですか?
厨子に入れないといけないんですか?
厨子はどんなのがいいんですか?
1000円で買えますか?
???・・・・

最後は、お母さんに阻まれて
ドクターストップと相成った。
そう、僕がダウン寸前だったから。

ブレーキを掛けてくれなかったら
明日の朝まで質問が続いたことだろう。

将来はお坊さんになるのが夢なんだって。

またおいで。
お坊さんになって蜜月関係で
タック組もうね。

蓮ちゃんその後の後

蓮ちゃんは、小さくなったけれど元気満タン

赤んぼメダカが、こんなに大きくなりました。
まるまる太ってこちらも、元気元気です。

いつのまにか産まれちゃってました。
見えるかなあ。
親に食べられないように別けないといけないというのだけれど
別けようがないのです。
さて、どうしようか。

割烹着

オーダーの仏像を彫るため、どうしてもラフを起こさないといけない。
いつものことだけれど、なかなかエネルギーのいる作業だ。

うちにお客様から、依頼を受けるときは、
おおむね、 どこにも行く場がなくなって、いよいよとなり、
相談に来られる場合が、圧倒的に多い。

ということは、彫る対象が難しいか、
難しい割には予算が限られていらっしゃるか、

要するに他では、断られ、でも、どうしても彫りたい
という方がほとんどだ。
いうまでもなく念珠堂ファンのお客さまは、もちろんのことである(^^;

少し前に、お受けした仏像も、、
亡きお母さんを写実的に表現する。

これは、実にエネルギーが必要。
「思い込む」というものすごいエネルギーだ。
お客様以上に惚れ込まないと出来ない。

見れば、昭和30年頃の写真なので、
細かいデティールは、
書き起こさないと彫りに回せない。

これまた懐かしい「割烹着」に「ねんねこ」「和服姿」。
これは、忘却のかなたにある映像だ。

割烹着なんて、どういう構造だったっけ
てなぐあいで、うすぼけた記憶をたどるが
なかなか、形にならない。
3丁目の夕日を見直し、資料を集め見比べ…

早朝、チャングムの30話を見ながら
デッサンをおこし終えた。

ようやく完成。
すこしだけ、ホッとした。

デリバリーを考える

通販をしていると
デリバリーに対して、いつも考えさせられる。

デリバリー業者にも二通りある。

ひとつは、お買い上げの商品を配送できさえすればよいと、
割り切って考え、とにかく安い配送代であればよい。と考える場合
僕はネットで頻繁に購入する。要はヘビーユーザーと思う。
買うときは、とにかく届けばいい。破れてさえいなければ。
この程度でよいと思う。

もうひとつは、
販売店のイメージを損なわない、営業のフィニッシュマンとしての
運命共同体と考える場合とがあると思う。
高額商品を扱う場合や、メンタル性の高い商品は、
後者でないと、商品を道端に投げるようなものであろう。

町の電気屋さんがいまだに、(というか今だから)
量販店の販売力をものともせず、勝ち残っていけるのも
メンタル部分が、とても大きいからだと思う。

一部の量販店だったが、昔、エアコンを注文した。
技術の担当が、取り付けに来た。
ほどなく取り付けを終え、記念すべきスイッチオン。
送風口からは、まあまあ涼しい風が出ていた。

彼らが帰ったあと、もう一度、涼もうとスイッチを入れる。
期待して風に当たる。が、いつまでたってもなまぬるい。
再度、電源を入れなおしてみるが、温度がいっこうに下がらない。

全く原因がわからない。
クレームをつけるが繁忙期のため時間がかかるという返事。

結局、稼動できるようになるまで、1週間強を要した気がする。

もし近所の電気屋さんから購入したものであったなら、
すぐに飛んできてくれて、
その日のうちに用は足りだろうと思う。
この差は大きい。

○○引越しセンターが、
「私たちの仕事は運輸業ではない、サービス業だ」という徹底した考えが
引越し業者として、転勤族の奥様方からきわめて高い評価を受け
業績を伸ばした話は、あまりにも有名であるが、
運輸業は、すべからくそうなのだと思う。

人は物を買うのであるけれど、物を買っているのではない。
夢を買うのである。

その夢は、包みを開けるその瞬間まで続いている。
(もちろん、使用していただく後々まで続く)

夢を抱いてお買い上げいただいた商品。
ドアツードアの最終のドアで、もし気配りが足りなければ
全ての夢はそこでしぼんで、全ての心のドアは閉じられてしまう。

だから、デリバリーは、「他社」ではないのである。
「同志」でなければならないと思う。
「異体同心」であって欲しいと思う。

商品を配送業者に手渡すたび、
「ちゃんと配慮して渡されますように」

と、思いながら預けるのが、日課なのである。

自信

競輪の現役選手がいらしてくださった。
自転車と聞けば、つい商売抜きで
根掘り葉掘り聞きたくなるのだが、
ここは、グッと我慢して、動機のみ伺ってみた。

勝負の世界は、一発触発の世界綱渡りの連続だ。
走路妨害を受けたり、当たりを受けたりと
命がけだけに、「身を守るものが欲しい」
のだという。

なるほど、そういうものか…と
命を走路にさらしながら生きている方の言葉に
重みを感じた。

僕もこういう仕事をしてくると、
今まで、いやっ・・と言うほど
「念珠をいただいてから、ご利益あったヨ」

という報告をどれほどいただいてきただろうか。

交通事故に、スポーツに、テスト勉強に、
果ては詐欺に会うところを寸前で守られた話まで。
枚挙にいとまがない。

でも僕は、売りたいが為のご利益は、話したいとは思わない。
自分の経験以上のことは話さない。
だって、これは、心の問題だもの。

心が前向きにあると、
さらに言えば、「前向きにいようと努力する」だけでも
何故か順調にいくことが多い。

成功しなければいけないという努力ではない。
前向きになろうと「思う」努力である。

けれど人の心は、いつも波を打っている。
聖人君子でさえ、一定でないことを考えれば
僕もふくめた一般の人なら
嵐の中、ただよう小舟のように揺らいでいるのは当然だろう。

だからこそ、心を形に表現しておくことが有用と思う。

それが、輪ゴム一本でもよい、石ころ1個でもよい。
「前向きの時の心」を象徴して形にしておいて欲しい。

念珠はお釈迦様に縁のあるもの。
お釈迦様を故事とする念珠だから、薦めたい。

それを見るたびに、

自信と勇気を取り戻して欲しいのだ。