ともよ遠方よりきたる

ブログ上に自転車でこけたお話を書き込んだために思いもかけない方々のご訪問をいただいた。

講義していた担当の大学の授業を早々に切り上げてお見舞いに来てくださったN氏。
情報分析の結果、フランケンシュタインのような状態になっていたかと思っていたけど意外に元気なので安心したたとおっしゃって帰えられた。

田無から顔を見に来てくれたM女史。
同じく包帯でぐるぐる巻きになっていたかとおもっていたらしい・・・

フェースブックやメールでも頂戴してやはり大同小異の状態に想像の産物と化していたようであった。

電信情報社会はありがたい一面と、書き方一つで想像の翼を広がりすぎることをも可能にしてしまう怖さを(この場合は申し訳なさを・・・)感じた。

ま。たしかにね。。。

ここ最近の記事を読み返してみるとね。
事故ったあとの、顔面制動した歯抜けの画像を出しておけばよかったのよ。とは、上さんの弁だが、まぁ・・・百聞はなんとやらというのだから・・・

でも、そらぁ・・・いくらなんでも・・・

まして心の傷は映し出せないもん。

有るはないの実地。。。

「いつも有るはいつもない」を書いたのが先週の土曜日。

あって当然と考えることは人の傲慢だと自分なりの感じ方を書いたのだが、その夕刻早速といってよいのか、身を持って経験しなさいとの仏の勧めなのか、最近手に入れたばかりのミニベロに乗ってさっそうと近くまで所要を足しに出かける途中、早速、体を張って実証してしまった。

手に入れた時、自転車はやたらと重心が前にあるすこぶる乗りにくい代物だった。
出かける前に調整が必要だなぁと感じながらも、用を足すのはすぐ近くだからと工具を手にする億劫さを優先してそのまま未調整の自転車で出かけた。
で、前転半回転を演じてしまったのだ。

重心が前よりすぎの自転車は下り坂に弱い。
まして小さな車輪となれば・・・前転の危険はつきものと理解していたのに。。。

歩道から車道へ出たところに人を避けようとした。。。ところまでは覚えているのだが、あっという間に地面に顔面制動していた。

人がTONの横を避けてすり抜けているのを感じつつも気丈に起き上がり・・・実際は、手は痺れ、足はモツれ、声も発せられなかった。
転がっていた折れた前歯を拾い自転車を引きずるって歩道までたどり着くのがいかばかり長かったことか・・・

両手とも針で刺されるような痛み、滴り落ちる血をハンカチで抑えうずくまるしかなかった。

体の痛みもさる事ながら、見知らぬおっさんとは言えべしゃんとカエルのように車道の真ん中で潰れているおじさんを避けて通っていったアベックがいたことに・・・おじさんは心が痛んだ。

以前見たテレビの番組でどこかの国で交通事故でうずくまる人をなにも手助けしないで行き交う人のモラルの低さを嘆く番組があったが、どこか似ているな。この光景・・・。

なんで転がったんだろう・・・
なんで自転車なんてほっぽり出して逃げなかったんだろう・・・
そもそもなんであの道通ったんだろう・・・

とぐるぐる頭の中を駆け巡る。

若けりゃ、ひょいと後ろに飛んで転がるなんて考えられないのに・・・

ん?

有るはないって書いたばかりじゃん・・・

痺れる指でキーボードを打ち込みながら、ハタと感じたTONであった。。。

ちょっと早いですけど。。。

ちょっと早いですけど・・・

このTONちゃん日記、600万人目の閲覧も時間の問題となりました。

多い時で一日4000人少ない時でも1000人前後のご来店をいただいていつのまにか丸九年。

CGIで自作していた以前の日記も含めると、とうに大台は突破してしまいます。

これもご愛読の皆様のお陰様。と平身低頭感謝申し上げます。

本にしたら良いのにとのアドバイスもありますが、好き勝手なことを書き散らしているのでなんだかね・・・

心の変化、自分の年齢の変化に環境の変化に伴う?興味の対象の微妙な違い。
はおもしろいなぁと読み返してみて思います。

ただ、「浅草のそら」は定点観測としてはもうすぐ10年。

一時は気圧計も導入したりもしましたが、気圧計が故障(電池切れなのですが)してからは映像だけに逆戻り。

10年続ければ、これっていい資料だよなとひそかに思ってます。

東北大震災の3.11の朝も変わらず記録していますからね。

流行歌を聞くと当時の思いや風景が脳内に再現されると言いますが、TONにとってはそれに近い大事な思い出の栞になりつつあります。

まだまだ書きたいことは山ほどありますが、おいおいと書いていきたいなと思っています。

これからもTONちゃん日記、お付き合いの程をよろしくお願いしまーーーす。

600万回を踏んだ人ご連絡いただきたいなぁ・・・などと・・・

走り禅

毎朝ここのところさぼらずに走っている。
さぼるといえば聞こえが悪いが、ヘルニアと古い?腰の骨の一部の骨折もちゆえに、気をつけながら・・・というのがより現状に即した表現ではないかと思う。
2009年の1月からだから9年続いていることになる。

東京なんやらとか、手賀沼なんやらだとか大会に出ようと思って走っているわけではないのでタイムを考えたことはない。
いや、ないというと嘘になる。

走り始めたころは、何キロを何分何秒と記録していたのだから。
6kmを25分で走ったのが最短で、30~35分でコンスタントに雨がふろうが、雪がふろうが一ヶ月休まず走っていた。月平均180kmのペースで走っていた。

初心者がそんな走り方をすれば悲鳴が上がるのも時間の問題。
案の定半年で、腰に来た。
そこではじめて病院でヘルニアと骨折が見つかったわけだ。

ランナーズハイというのも経験してしまうとそう言われても休めない。

10日もおとなしくして腰の痛みが引くと早速飛びだした。

腰にガードルを巻いたまま。

腰をかばうと、膝に来た。右膝に来て、左ひざに移って、また右に来て腰に来て・・・

と、こんな堂々巡りしているうちに、なんで走っているんだろうと考えてしまいだした。

・・・・・・

日が昇る暗闇の中、ひたひた自分の足音に呼応するように、脳波もひたひたS波を奏でる。
その波の中に時々ポン!とイメージがわくのだ。
なにやら考えようとしていても考えつかないイメージばかりなのだ。

書き留めておけば良いのだが、足を止めることができない(今は簡単に止めちゃうけど)。だからどんどん垂れ流しだった。その中でも二三のイメージだけはなんとか持ち帰る。

天台宗の十二年籠山行を満行された師と長く親しくさせていただていたが、行の最中のイメージをよく話してくださった。ふと思い出してなんだかよく似ていることに気がついた。
とても比較できるものではないけれどね・・・

そう・・・走ることで自分の中に何かを感得させてくれているんだなと思い当たったTONなのだ。。。

そうかぁ・・・自分にとって行みたいなものね。。。

どうりで走破後の締めは駒形堂で馬頭観音様へのお参りなのだから。

あけましておめでとう・・・・

「あけましておめでとうございます」

の春節の日。が今日。

きっと横浜の中華街(僕の意識はいつまでも南京町なのだが)は、爆竹が鳴り響いて賑やかなのだろう。帰りたいな・・・

春節という単語。
数年前までは話題に上らなかったのに(話題になっても広まらなかったし)経済が伴うとあっちでも、こっちでも春節、春節で騒ぎ始めるマスコミ。中国からの観光客が押し寄せる観光地、爆買いのさま・・・

2月といえば、商売では落ち込む月なのだが、旧暦の新年を祝うこの日を取り入れることでバレンタインどころではなく、とてつもなく大きな経済効果が見込まれる。
となると、見逃すはずはないか・・・・

でも日本とて、明治に太陽暦が導入されるまで陰暦がもちいられていたわけで、決して異文化なわけではない。

むしろ日本の五節句にしても、和歌の世界でも、文化の根底にはお月様の満ち引きが大きく関わる旧暦のほうが納得できる。

梅雨のさなかの七夕まつりでひこ星と織姫はどれだけ涙を流してきただろう。桃の節句と言いながらまだまだ桃の花は咲いていない・・・

ひょんなことから日本人の旧暦への気づきが生まれると楽しいと思うのだが・・・・

何処にも青春有り

おはようございます。

朝、NHKのカラーアーカイブスの放送を見ていて出遅れてしまいました。ハハ(ノ∀`)

モノクロフィルムをカラー化するなんて大した技術だね。。。と思う気持ちと
暗黒の時代なんて言っても、ちゃんと色はあったじゃないのという思いの交錯が実感。

昭和一桁の先輩たちは、生まれながらに戦雲の時代を生き青年期は戦後のドサクサを掻い潜るそんな時代にあった。そんな青春の中にいたんだなと亡くなったおふくろのことを思い出した。

母ははキラキラとした青春なんてなかったと口癖のように言っていた。
でもねよくよく聞き出すと、軍需工場の非番の時は、集団デートして奥多摩に行ったり、浅草を遊んだりと、私よりよほど東京の繁華街を知っている。
それなりにその時代の中で煌めいていたんだよなぁ。

いついかなる時代でも、心を失わなければ青春の中にいる。煌く青春の。

さて、今日も頑張らなくちゃ。

こんなところに・・・

昨年の暮れに入庫はしたものの、見本分しか入らなかったニャンコ達。

どこに行ってしまったかと思っていたら・・・・

さすが猫は自由人(?)です。

お店のそこかしこ、こんなところでゆったりしていましたよ。

今日は成人式なんだね・・・

テレビ報道を見ていて、昨日が成人式と思っていたのだが、どうやら地方地方によって、成人式は異なるようで、街には綺麗なおべべを着た成人ホヤホヤの若者たちの姿が目に入る。

ぼくの成人の頃は、式に対してちょっとけじめの色合いが強くて、式のお知らせが来た時から緊張しまくっていた。

そんな緊張感を携えて臨んだ記憶があったが今の青年たちはどうなのだろうか。
一度聞いてみたいものだ。

ただ・・・当時、つまり40年前の自分は、もうすでに働きながら大学に通っていたし、酒もタバコもぐいぐいやっていて、記憶を失うほど酩酊することもしばしばだったし、いっちょまえの顔をして土方のオヤジたちと渡り合わなければならない土木屋でいたわけで、しいてこれから大人の仲間入りだーー!という開放感や感激はなかった。

ただ、ひとりポツネンと式に参加した緊張感だけがどこかにあって、横浜の総合体育館の会場を出た時の開放感が、唯一、二十歳の印象だったような記憶が残る。

そのあと何をしたのかなぁ・・・・
なぁんにも記憶に残っていない・・・

ただ、式場への緊張感と開放感のみが刻まれているだけで、そういう意味では、けじめとも言えるこういう行事がそのときは分からずとも、のちのちになってじわじわと、五臓六腑にしみてくるのかもしれない。

切れない糸

「切れない糸ってないの」
とときどき要求されることがある。

しかしこのご要望は、「死なない体にしてください」と同じレベルのことをおっしゃっているのである。

かたちあるものは必ず消えていく。

諸行無常を教えてくれるのが仏教ではないのだろうか。

まして一番身近な法具といえばプロもアマも等しく仏教徒である以上必需品の念珠である。

法具には一つ一つ必ず意味があり、悟りに近づかせてくれるはずなのである。

そこには気づきが必要なのはもちろんだが、佛の教えを学ぶ思慮も必要だろう。

佛から頂く悟りへの法具であるを前提にしてもう一度見直す必要を感じる。

年末になるととくに門徒の方は子供の頃から仏壇の仏具を磨かされてきたのではないだろうか。
金ピカの色になるまで、ピカールかなにかの金属磨きでゴシゴシゴシゴシ・・・
「その汚れは心の垢だよ。ちゃんと磨きなさい」と。

煩悩を金属磨きで落とせるならこんな楽なことはないと思うが、方便なのだ。
法具を大事にする心、ご先祖様に綺麗なご物販で星させて頂く、掃除なんて嫌だと思う気持ちを押して忍耐の心を養わせる・・・etc・・・

でなければ作務という掃除、作業、etc・・・これはれっきとした行となる。つまり悟りへの第一歩となる。

ただし、そこに気づきがなければ、単なる掃除であり、いやな労働であるとしかうつらなくなる。

ひとつひとつのできごとには意味が有る。佛が何かを教えてくれているという前提で見直してみたいと自分も書きながら思い出した。

これも僕なりの気づきなのだろう・・・

桜より梅

ろうばい(蝋梅)が例年より2週間ほど早く咲きだしたと朝のニュースで流れていた。

大雪を降らせるこんな寒気の厳しい中で、実に可憐な黄色い妖精のような花がポット枯れ枝に色を落とす。

人々の目を楽しませ、明日への希望すら勧めてくれる。

日本といえば桜の国だ。

様々なところに桜はなくてならない。
桜の花が田植え時期を教える指標になることで桜木
桜餅、桜湯、

ぱっと咲いてぱっと散っていくその姿、潔さは日本人の生き方にまで影響してきた。
侍の家ではそのぱっと散るがあだとなり、家の衰退を嫌い家紋として用いられることは少なかったようだが・・・

そういえば合格通知は桜咲く。だったね・・・

桜も日本の真心として海を渡る。
ワシントンのポトマック川縁に咲く桜は東京市長の尾崎行雄が寄贈したものだがハナミズキが返礼として日本に送られてきた日米友好の証でもある。

靖国神社の標準木のソメイヨシノが咲く時をもって東京の開花宣言になり、待ってましたとばかりに桜の名所はゴミの山・・・おっとっと・・・人の歓楽の地へと変貌していく。

TONも以前はその一人でなかったとは言えず、饗宴の輪の中で楽しくリードして過ごさなかったとは口が避けても言えない一人であることは、カミングアウトしておかないといけないのだが・・・

桜の花を見ると、日本人のDNAがわさわさ動き出すのは止められないのだが、

桜の名所に住んでいるゆえに人的公害に悩まされるということ無きにしも非ず。けれど、おかげでここ浅草が潤うということで享受しているということもおろそかにはできない。

桜が日本人と切っても切れない深い仲ということを書いたのだが、好き嫌いで言うならば、最近のTONは、寒さを意とせぬ梅に軍配を上げてしまう。
なんとも心が動かされる。

清楚さ、可憐さの立ち姿なれど、梅林などに観るように、多く集まった時の見事さは息を呑む美しさにみちる。

隅田川沿いの梅たちも蕾を膨らまして準備をしているのだろうな・・・