人の円(縁)ということ

今年卒寿になるお得意様が杖をつきながら訪ねてくださった。

「もう来年はこれなくなるから」との弁に、一抹の寂しさもあったけど、今までありがとうございましたという思いも同時に湧いた。

もう30年近くなりますね。お付き合いさせていただいてから。

やることなすことすべてプラスになる。そんな福の神みたいな事業家。
だが利益を中心に事業を進めたことはない。

だいだらぼっちが歩くところには、緑の種が巻かれるというけれど、まさしくその如く人生を歩めれた。

「事業は社会還元のため」
「自分の利益を考えない」
「適正利潤、適正価格」

彼の口癖で僕の心に刷り込んでくれた。

若き頃、新聞に載った記事を「あんたにあげる」と渡された。
若き青年実業家の彼の顔がうつり、事業は世のためとその事業精神を語っておられた。
それがあって今があると無言で伝えてくれたものと信じている。

米寿になった奥様が最近入院され顔をげっそり痩せられた。

「神仏に祈っても自分のことは祈らない」そんな彼が、
でも女房のことだけはねーーとぽそっと言われた一言は、くっと胸に突き刺さった。

また来年も会いましょう。。。よ。

清水谷師の葬儀

今日は午前中、伝法院にて11月に御遷化された浅草寺貫主のお葬儀に参列させていただいた。

ほんとうに寒かった。けれど天気には恵まれた。

いつも明るく受け止めてくださった清水谷孝尚師らしさを肌で感じさせていただいた。

お頼みごとは最善を尽くしてお受けしてくださって、こちらが恐縮するような結果をいつも残してくださった。

ご生家にあたる長野の常楽寺にも何度か足を運ばせていただき、今は天台座主となられていらっしゃるお兄さまである半田孝淳師とも親しくさせていただいたのはいい思い出である。

今日は店を開けられる時間の全くない中だったゆえに、記帳するにとどめて、とんぼ返りの参列だった・・・。

大導師をお勤めされたのが半田先生だったと参列した近所の方に後で聞いて、後悔しきりだった。忙中閑は、ぼくの師匠の言葉だが、もっと「閑」すべきだったと後の祭りだった。
挨拶は叶わないまでも、お顔を拝んでおきたかった・・・

きれいにしなくちゃ

年末が近づいて、あちこち気になる。

お掃除を見落としていた仏具が目に付いた。

真鍮製のものは空気に触れるとどんどん酸化して色がくすんできてしまう。

鳴り物はとくに音色までくすんできてしまう。

で、錫杖と印金が目に付いた。

以前は研磨剤入りのもので懸命に真っ黒になって磨いたものだが、どうしても磨き残しが出てしまうし何より匂いが残る。

なので、最近はつけおきタイプのものでサッとスマートに洗うことにしている。

これで・・・大丈夫かな。

そ・・・ん?あとは心を磨けって・・・・

お世話様

毎日つり銭でお世話になる5円玉。

お店が終わって売上の精算をしながら、ふとした一枚のコインに目がいった。
久しぶりにじっくり眺めてみた。

10円玉は、いつの間にやらギザのはいったものは一枚もなくなっていた。
そうだよね昭和33年が最後だもん。

5円玉は、ゴシック体の5円玉ばかりとなって、明朝体のものはこれまた一枚もなくなっていた。

よくみると昭和生まれもだいぶ少なくなっているなぁ。
けど昭和45年っていうロートルがあった。

ん?

僕が15歳の時に産声を上げたやつか・・・・
若いな・・・・

なんとも言えない気分になった・・・・

何屋さん・・・?

僕が店を始めた頃と比べるとご来店いただくお客様の変化は著しい。。。

当時はまだ真面目に仏壇中心の販売に精を出していたし、ある意味ありきたりの商品しかおいていなかった。し、販売トークでものの売れる時代でもあった。

でもしかし・・・いつまでもそういう時代は続かないもので、且つ、販売する側が嫌になってくるのであった。

外からの刺激。。。つまりお客様という刺激、情報が微妙に店主の意固地な心に光を当ててくれたのである。
ししてまた、外国からのお客様は、日本人の常識という純粋培養した価値観をグラグラと根底から揺らすのであった。

ま、そもそも今の店舗を新築した時の開店時は、仏壇は全く入れず故難波淳朗氏の個展をもって開店したのだから、初めから奇妙な仏壇屋だったのだと思う。

今も、仏壇は置くが念珠、仏像(仏壇用ではない)、香り用品、キャンドル、巡拝用品、書道用品、と狭い店内にこれでもかと押し込んでいる。

じゃ何屋さん?と問われれば・・・・仏壇屋。と応えることにしているのだ。
なぜか・・・伝統文化をお伝えしていくのが仕事なのだと考えるから・・・。
ひっくるめて考えれば「仏壇屋」に集約されるからなのだ。

止まる時

朝の番組で宮城県石巻市の養生に浮かぶ田代島、別名猫島の今を放送していた。
そうか・・・

被災の年に復興の手助けとなればと、どデカイ猫のオブジェを猫島まで持っていった時のことを思い出した。

画面に映る猫島の風景に災害の爪あとは見えなかった。
地盤沈下で海水面に没した埠頭も、5mを越す堤防を軽々乗り越えて海辺で作業していた漁師のお母ちゃんたちを呑み込んだ津波の残した残骸も、瓦礫の山も、綺麗に補修されて新たな漁具小屋や作業小屋も建ちどこにでもある平和な漁港を映し出してしる。

でも僕が伺ったときは縞が傾いているのか僕が傾いているのかと思われるほどの悲惨な光景が此処彼処にあって目と心に飛び込んできた。


朝起きると街の影すらなくなっているのが痛々しかった石巻港。


小さなフェリーに乗らないのではないの?と危ぶまれた。。。


山のように積まれていた石巻港。


待っていた猫たち。


ここでも・・・


ようやく安住の地に。

もうこんな光景は見たくないなと思う心と忘れてはいけないという心とが同居して今にいるのだ・・・。

本物

ばたばたと忙しないなかに埋没している間にお昼を過ぎてしまいました。

ここ数日を利用して、いくつかの観光地を見学してきました。
観光地をいろいろ回ってくるけど、行けばお客の立場です。お客様の目でものが見られます。おみやげを買います。どんな空気を吸わしてくれるのか、感動を与えてくれるのか、胸に残すものを与えてくれるのか。そんな思いで回ってきました。

日々の業務は毎日は迎える立場です。
実践させてもらいます。

浅草は何のかんの言っても恵まれた土地だと思います。

何もしなくても毎日何十万人もの観光のお客様がお見えになります。

それでもね・・・新陳代謝が激しいのも現実です。

人の多さにあぐらをかいている店もまま散見します。
3.11あとの閑古鳥がカーカー鳴いていた状況を思い出さないといけない。とおもう今日この頃のTONです。

当たり前なんて一つもないのだから。

いろいろ観光地を見て回ってきて、とんがった所(特化)に人は集まるなと改めて思いました。本物を味わいたいということかな。

今週もよろしくおねがいしまーす。

さてがんばろーーっと。

未来への責任

昭和三十九年十月十日。
もう50年も前になります。

東京オリンピックが思い出されます。

やはり、今日のようないや、もっとピンカンの晴れでした。

10月10日は一年を通じて統計的に晴れの確立が高い日なのです。

テレビにかじりついて開会式を見ていたという記憶はないのですが・・・

当家にはまだテレビという文明の利器はなかったのであります。

ただ、子供心にワクワクしていたのを思い出します。

高速道路や新幹線が開通したり、数年後には万博が控えていたり、高度成長期と相まっていたしイケイケムードに満ちていました。
マイナスイメージを感じさせるものは子供の目には届きませんでした。

そんな中でのオリンピック開催。

なんだろう・・・子供でも国の先行きに希望が溢れていたのを覚えています。

そんな感触、この時代にどれほどあるだろう・・・今の子供は可愛そうだと思うのはいけないことなのだろうか・・・

やはり大人の責任だよね。

よ~~~く考えてみよぅ

友人と話していた。
小学校のマーチングバンドに自分の孫が参加している。
そこは全国大会に数度優勝している常勝校。

マーチングといえば、体育大学で一糸乱れぬ規律の採れたあの場面を想像するだろう。
そこに楽器を加えての動きを小学生が行う。
あの重い太鼓やホルンや様々な楽器を操りながら近世の採れた動きを見せて監修を魅了させる。
魅了すると書いたが、未弄させるには魅了させうるだけの訓練が必要なのだ。

私立の学校ならユニホームから練習場まで完備された中で練習が行える。しかも全国大会となればだ。しかし公立校となるとふだんの練習できる場所すらままならないという。

今年も全国大会を控えて(勝ち残ってきたということだ)まとまっての練習を行ったという。
すると近所からクレームが入る。なんでもクレームを出すところは決まっているのだという。

学校は百年を優に超える歴史のある小学校だ。
一方そこに長く住んでいるとは言ってもせいぜい戦後の話。

学校の周り、特に小学校といえば元気な子供たちが我が物顔で騒ぐのが当たり前。
校庭を静かな学校なんて聞いたことがない。
それこそ憂いてしまう事態だ。

そこを承知で移ってきたのではないのかな・・・・

そしてうるさいとクレームを出す。ふ~~~ん。

少子化に歯止めがかからないと問題になるが、大人の寛容さの欠如に歯止めがかからないというのとどちらが先か・・・よ~~~く考えてみよう。

雨の日は・・・

今日は雨なので濡れても良いようにこういう靴を履いてきました。

ふふふ・・・・

実は・・・

クリート(自転車ペダルに足を固定する金具)がつけられるサイクリング用なのであります。

秩父霊場周りに一度しか履いていないかったからですね、慣らしがてら履いてきました。

が・・・・滑る!滑る!滑る!

オフロード用にとは言え自転車に乗ってなんぼの靴だったのでした。

クロスカントリー用が欲しくなったTONでした。