初夢

最近は空を飛んでる夢を見ないなぁと嘆いていたら、昨夜おかげさまで飛びました。(^O^)

別に嘆くほどのこともないのだけどね・・・

夢の中の体はなぜこうも軽いのだろう。
そのことのほうがお・ど・ろ・き。

知り合いのお坊さんの師匠のお葬式のお手伝いをしているというシチュエーションもなにやら自分らしいのだけど、そこには古い知り合いがゴロゴロしていました。
夢だから自分勝手にできているといえばできているのです。

そのうち舞い上がってしまうのですが。

ん?いっしょにあっちに行ってしまうってこと?

いやいや、元旦に脚下照顧を感じたばかりのTON。

これは昇龍(のぼりりゅう)ということでしょうと完全に徹頭徹尾、思い込むことにした次第です。TONは思い込みは強いからね。

あ!春から縁起がいいわい。。。

新年は死んだ人を偲ぶためにある・・・・

今日お世話になった方から年賀状をいただいた。
その文面に、中桐雅夫の詩の一節が書かれていた。

「新年は死んだ人を偲ぶためにある・・・・
・・・・己が生き残っているのはなぜか問うためにある」

胸に響いた。

数年前まで東京周辺でなにかと話題になったことで、正月の墓参りがブームだということがある。覚えていらっしゃる方もおられるだろう。

TONも昨年の暮れにちょうどそんなことを思い出していたのだ。

最近お正月に墓参りするという声が減ったなぁ・・・あのブームはなんだったのかな・・・
と。

そこで、関西から来てくれる営業マンに何人か尋ねた。関西では当たり前のこととして、新年になればご先祖に挨拶に行きますよ。と、こともなげに答えるのが常だった。

一休禅師の歌には

「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」

とある。(一節には一休さんの歌に見当たらないという説もあるようだが)

正月早々何を縁起でもないと思われるかもしれないが、脚下照顧、自分というものを改めて見直す機会として与えられているのですよと読み解けば良いのだと思うTONなのであります。

神社仏閣に寒い中足を運んだり、手も足先も凍りそうな夜明け前に出かけてご来光を仰ごうとする精神構造は、日本人のDNAにしっかり組み込まれた己を振り返ようとする向上心の姿なのではないのだろうかと思わずにいられないのだ。

「きのうはあすに」 

新年は、死んだ人をしのぶためにある。

心の優しいものが先に死ぬのはなぜか、

おのれだけが生き残っているのはなぜかと問うためだ。

でなければ、どうして朝から酒を飲んでいられる?

人をしのんでいると、独り言が独り言でなくなる。

きょうはきのうに、きのうはあすになる。

どんな小さなものでも、眼の前のものを愛したくなる。

でなければ、どうしてこの一年を生きていける?

         中桐雅夫詩集「会社の人事」より    

1年の計というけれど・・・

昨日元旦はとにかく懐かしいお客様のオンパレードだった。

元旦の夢で懐かしい友の面影と出会ったことが今年の方向性を決める正月のモードとなっているようだし、今一度お店を始めるに至ったころのことを反芻してみる機会なのだと思っている。

ご来店くださったお客様の口から出る共通ワードが

「TONちゃん日記を読んでますよ」

だった。日々の思いつきを書き連ねただけなのだが、読み返してみるとまさに日記だなぁと実感させられる。

同時に、最近は手を抜いているなあとの自戒の念も。

このTONちゃん日記を慣れないcgiを駆使して2004年4月に始めて二年ちょっと、当時で始めたブログ形式に改めたのが2006年5月から・・・・だ・か・ら、今年で11年間続いていることになる。11年かぁ・・・・

二十歳を越える息子たちも年長さんから小学生の頃だったんだもの。

ブログの名称も一般名詞化していなかった頃で名称もウェブログだったし・・・

「浅草のそら」のお題も、2007年6月からだからこの6月で丸8年ということになる。

へ~~。

そしてブログに改めてからの訪問いただいたお客様が583万1649人いらしてくださっているということ。

何ともありがたいな・・・素朴な喜びがある。

サンタはだあれ・・・

クリスマスがくると決まって思い出すことがある。

次男は苦い顔をするだろうからあまり口に出さないが、彼は小学校高学年までサンタクロースを信じていた。

ある年のクリスマス。

吊り下げていた靴下をみるとに何やら入っていることに気がついた。

靴下の外から触るとガサガサ音がするから手紙のようだ。

そーーっと靴下から抜いてみた。案の定小さな手紙だった。

開いてみた。

「サンタさんへ」で始まる文章は、いつもご苦労様と気遣いの文章から始まっていた。世界中の子供たちのところに行って大変ですね・・・・と。
そして最後に当時流行っていたテレビゲームが欲しいと締めくくっていた。

手紙を開けた親のほうが胸が熱くなって、これならサンタクロースも癒されるに違いないと思いつつ元に戻した。

彼の希望した品物とは違うプレゼントであったけど枕元に何やら置いた記憶がある。

この日は子供という姿でサンタクロースは僕のもとに訪れてくれた。

もちろん、そのサンタへの手紙も僕たちへのプレゼントと信じ、大切に引き出しの奥に保存している・・・。

人の円(縁)ということ

今年卒寿になるお得意様が杖をつきながら訪ねてくださった。

「もう来年はこれなくなるから」との弁に、一抹の寂しさもあったけど、今までありがとうございましたという思いも同時に湧いた。

もう30年近くなりますね。お付き合いさせていただいてから。

やることなすことすべてプラスになる。そんな福の神みたいな事業家。
だが利益を中心に事業を進めたことはない。

だいだらぼっちが歩くところには、緑の種が巻かれるというけれど、まさしくその如く人生を歩めれた。

「事業は社会還元のため」
「自分の利益を考えない」
「適正利潤、適正価格」

彼の口癖で僕の心に刷り込んでくれた。

若き頃、新聞に載った記事を「あんたにあげる」と渡された。
若き青年実業家の彼の顔がうつり、事業は世のためとその事業精神を語っておられた。
それがあって今があると無言で伝えてくれたものと信じている。

米寿になった奥様が最近入院され顔をげっそり痩せられた。

「神仏に祈っても自分のことは祈らない」そんな彼が、
でも女房のことだけはねーーとぽそっと言われた一言は、くっと胸に突き刺さった。

また来年も会いましょう。。。よ。

清水谷師の葬儀

今日は午前中、伝法院にて11月に御遷化された浅草寺貫主のお葬儀に参列させていただいた。

ほんとうに寒かった。けれど天気には恵まれた。

いつも明るく受け止めてくださった清水谷孝尚師らしさを肌で感じさせていただいた。

お頼みごとは最善を尽くしてお受けしてくださって、こちらが恐縮するような結果をいつも残してくださった。

ご生家にあたる長野の常楽寺にも何度か足を運ばせていただき、今は天台座主となられていらっしゃるお兄さまである半田孝淳師とも親しくさせていただいたのはいい思い出である。

今日は店を開けられる時間の全くない中だったゆえに、記帳するにとどめて、とんぼ返りの参列だった・・・。

大導師をお勤めされたのが半田先生だったと参列した近所の方に後で聞いて、後悔しきりだった。忙中閑は、ぼくの師匠の言葉だが、もっと「閑」すべきだったと後の祭りだった。
挨拶は叶わないまでも、お顔を拝んでおきたかった・・・

きれいにしなくちゃ

年末が近づいて、あちこち気になる。

お掃除を見落としていた仏具が目に付いた。

真鍮製のものは空気に触れるとどんどん酸化して色がくすんできてしまう。

鳴り物はとくに音色までくすんできてしまう。

で、錫杖と印金が目に付いた。

以前は研磨剤入りのもので懸命に真っ黒になって磨いたものだが、どうしても磨き残しが出てしまうし何より匂いが残る。

なので、最近はつけおきタイプのものでサッとスマートに洗うことにしている。

これで・・・大丈夫かな。

そ・・・ん?あとは心を磨けって・・・・

お世話様

毎日つり銭でお世話になる5円玉。

お店が終わって売上の精算をしながら、ふとした一枚のコインに目がいった。
久しぶりにじっくり眺めてみた。

10円玉は、いつの間にやらギザのはいったものは一枚もなくなっていた。
そうだよね昭和33年が最後だもん。

5円玉は、ゴシック体の5円玉ばかりとなって、明朝体のものはこれまた一枚もなくなっていた。

よくみると昭和生まれもだいぶ少なくなっているなぁ。
けど昭和45年っていうロートルがあった。

ん?

僕が15歳の時に産声を上げたやつか・・・・
若いな・・・・

なんとも言えない気分になった・・・・

何屋さん・・・?

僕が店を始めた頃と比べるとご来店いただくお客様の変化は著しい。。。

当時はまだ真面目に仏壇中心の販売に精を出していたし、ある意味ありきたりの商品しかおいていなかった。し、販売トークでものの売れる時代でもあった。

でもしかし・・・いつまでもそういう時代は続かないもので、且つ、販売する側が嫌になってくるのであった。

外からの刺激。。。つまりお客様という刺激、情報が微妙に店主の意固地な心に光を当ててくれたのである。
ししてまた、外国からのお客様は、日本人の常識という純粋培養した価値観をグラグラと根底から揺らすのであった。

ま、そもそも今の店舗を新築した時の開店時は、仏壇は全く入れず故難波淳朗氏の個展をもって開店したのだから、初めから奇妙な仏壇屋だったのだと思う。

今も、仏壇は置くが念珠、仏像(仏壇用ではない)、香り用品、キャンドル、巡拝用品、書道用品、と狭い店内にこれでもかと押し込んでいる。

じゃ何屋さん?と問われれば・・・・仏壇屋。と応えることにしているのだ。
なぜか・・・伝統文化をお伝えしていくのが仕事なのだと考えるから・・・。
ひっくるめて考えれば「仏壇屋」に集約されるからなのだ。

止まる時

朝の番組で宮城県石巻市の養生に浮かぶ田代島、別名猫島の今を放送していた。
そうか・・・

被災の年に復興の手助けとなればと、どデカイ猫のオブジェを猫島まで持っていった時のことを思い出した。

画面に映る猫島の風景に災害の爪あとは見えなかった。
地盤沈下で海水面に没した埠頭も、5mを越す堤防を軽々乗り越えて海辺で作業していた漁師のお母ちゃんたちを呑み込んだ津波の残した残骸も、瓦礫の山も、綺麗に補修されて新たな漁具小屋や作業小屋も建ちどこにでもある平和な漁港を映し出してしる。

でも僕が伺ったときは縞が傾いているのか僕が傾いているのかと思われるほどの悲惨な光景が此処彼処にあって目と心に飛び込んできた。


朝起きると街の影すらなくなっているのが痛々しかった石巻港。


小さなフェリーに乗らないのではないの?と危ぶまれた。。。


山のように積まれていた石巻港。


待っていた猫たち。


ここでも・・・


ようやく安住の地に。

もうこんな光景は見たくないなと思う心と忘れてはいけないという心とが同居して今にいるのだ・・・。