東照宮

徳川家康公が元和二年(1616)に没して、今年でちょうど400年という年回りにあることをご存知だろうか。

関ヶ原から16年、戦国の慶長から元和へ時代は平和になったことを宣布され、家康公は二年後に亡くなられた。
その没後400年という年を記念して各地でさまざまな催事が催されているわけで、身近でも江戸東京博物館でも関ヶ原展と銘打って行われている。

友人に東武でこんな企画しているよと教えられたのが、昨日。

御朱印ブームに乗っかって?東武鉄道沿線の各所にある東照宮(本家本元は日光だが)を巡ってくるというもの。

御朱印帳は特別なもので、その朱印帳でないと頂けない朱印がある。
早速、浅草駅に飛んだ。

友人から言われた二階の売店に行くと一階だと案内され、一階に行くと置いてないとすげない返事、それを見かねた駅務の女性が反対側じゃないかと別の売り場を案内し、行ってみるとここではないとまたまた言われ、結局、出口近くに目的のものとようーーーーーーーーーーーーーーーーやくにして出会うことが叶った。

「やってますよ~」と幟旗を出すでもなく、みなさんの意識にないとは・・・。
売店先に積んどくだけということではね。どこまで東武さん本気なの?と少々TON自身の毒気を抜かれた感じ。
けれどこれも神事なのだろう・・・。

で、やっと手にしたのがこちら。

カワイイ柄です。
スペーシアの日光詣出号もちゃんと入っている。

そして、今朝早速、浅草神社に詣でさせていただいた次第です。

とても日光まで行く時間はないけどね・・・

何ヶ月ぶりだろうか、春の梅の時期以来になっていた靖国神社に昇殿参拝に今日は無事行くことに成功。

成功?その言葉通りあらゆる条件をクリアしなくては出かけられない今だからこそ、また喜びもひとしおなのであるが・・・。

英霊に会いにいく以上気軽な格好では行くことはできない。
いつも額に汗をかきかき、九段の坂を重装備して登っていくのだ。

月初から雨でいやだーとの声もあるようだが、おかげで若干涼しいし、湿度の高さを我慢すればこんなに快適な参拝日はなかなかない。
雨に濡れた本殿も苔むした植え込みもオツに見える。

参集殿にはウィークデイということもあってかざわついた空気は流れていなかったが、それでも茨城県鉾田の遺族会のお年寄りの団体さんで活気はあった。

参拝の順番を待ちながらその顔顔を知らず知らず見ていたが、お年寄りと言っても7~80歳というところだろうか。戦中は幼い子供時代の方々ということか・・・

参拝を始めた頃は、まだまだ弾丸飛び交う中を行きて戻られた戦友会の方々の姿をよく見たものだけど、最近はよほどの時にしか同席することができなくなった。

時の流れとはいえ、当時を生きた証人の生の声がどんどん遠くなっている。時代の変わり目に焦る気持ちが湧いてくる。

参拝後、今日のお目当ての一つでもある大東戦争70年展の最終章を拝見しに遊就館に足を運ぶ。

じっくり見すぎて、時間がなくなり昼食も抜いた。海軍カレー食べ損ねた。

時代が変わるということか

30年以上こういう仕事をしていると色々なお客様の意見を聞くことができて、思わず苦笑せざるを得なくなることも、それ以上に文化の危機を感じることもある。

仏壇を収めさせて頂く時には、その家にとっては大変喜ばしいことなのだ。
なぜなら、先祖をお祭りできる家が入ることなのだから。ご先祖様のおうちを建てれることが喜びなのだ。

これはセールストークでも何でもない。いかに仏壇を買ってもらおうかと先祖の名を借りて商売をしようとしての言葉ではない。
TONがこの仕事を初めて10年くらいの間にお客様から教えていただいた言葉なのだ。

10年くらいというのはえらく限定しているけど・・・と思うだろうがめっきり減ってきてしまったということなのである。まだお年寄りが(といっても戦前生まれのお年より)一家のうちにいらっしゃって、信心のないTONにでもわかりやすく噛んで含ませていただくように教えていただいたものだ。
そういうお年寄りのおうちに伺うと決まってお赤飯が炊かれていた。
おめでたいことなのだから・・・。

時が移ると徐々にめでたいことという感触から離れていった。

実用的ということがあきらかに優先となってきた気がする。
それは肌で感じることで、必要に迫られてということが購入動機の割合が多くなったことにもよるのかもしれないが、赤飯で迎えられることは皆無になった。

仏壇屋が家具屋になるのも日を待たないのではないかと思わされている・・・。

少し前にある方からお叱りをいただいた。
火がぼーぼー出て蝋がダラダラ垂れる。すすがめちゃくちゃ出る。

本和ろうそくをお買い求めいただいたからお小言を頂戴した。
洋ローソクがあたりまえの時代にあって、和ローソクの燃え方はとてつもなく火が大きい。

実は洋ローソクとて、もともと火が小さいわけなのではない。
芯の寸法を抑えることで出さないようにしているのだ。

と、いうことで快く引き取らせていただいた。

この燃え方にf分の一ゆらぎが隠されていて、人の心のストレスを癒してくれるのだということを理解していただいている方でないと使えないものなのだろうか・・・今は。

と考えてしまうTONなのである。

いいねぇ。。。和ろうそくの火は・・・・・

TON観音さま

少し以前から気付いてくれる方は気付かれたと思うけれど、TONちゃんの自画像がTONちゃん日記へのリンク画になっています。

上さんの実家(田舎というと怒るので)が長く養豚業をやっていた影響ですこぶるのつくぶた好きになったTONでありますもので・・・

と、同時に豚の足先、二股に分かれるブタの蹄のように、いつか二足のわらじになろうという気持ちと、これまたいつかは仏陀=ぶった=ぶた=TONにぴったりじゃん。

と、いうところから、いつかは観音さまのようでありたいとの願望もあってブータ観音様をTONの自画像としたいな~となったしだいなのでございます。。。。

ある日、お付き合いさせていただいている、上野のSさんと店で雑談しました。
そのうちに・・・・

「じゃ、頼んであげるよ」と軽く引き受けてくれたのでありました。
しかもひろみさんは仏像大好き人間だから。とはSさんの常日頃の口癖。

彼女のイラストはいつも目にしていたから、まさかね。。。と思うのが半分。そのうちにホイと持ってこられたのです。ホイっと。。。

見ると塗り絵用の線画でありました。

じゃ色をつけないと・・・と、なれないイラストレーターで色を落とし完成したのが、今の「TONちゃん日記」の表紙になっているブーちゃんです。

ある日、これまたその画像がSさんの目にとまり、

「店長こりゃないよ」

と、人の苦労も露知らずけなされて、「色塗ってもらうか」・・・としばし考え

数日後・・・

しっかり塗り絵してきてくださったのであります。

それがこちらでございまする。

仏像大好きのイラストレーターの田中ひろみさんが描いてくれた。
わ~~~い。

プロの手になる色づかいもさることながら、頭にちゃんと化仏(観音様の証です)が乗っかっているではありませんか~~(あの番組の調子で)

とすると今までの表紙のブータは観音様になろうとしてがんばっているTONちゃんそのものでありますな。
と自分なりに納得した次第なのであります。

さ、いつになったらブータ観音様に表紙は差し替えられるでしょう・・・・ね。

やっと5月

ようやく五月らしい気候に戻ったのではないだろうか。

こんな日は歩くに限る。

川向うの行きつけのメガネ店まで歩くことにした。
まあ、ご褒美なのか、タワーのすっきりした光景に出くわす。

片道1.5kmくらいはるのかな。
けど今は自転車には乗る気がしない。
だって・・・
今見ても痛いもの。

まず一本

怪我後の初仕立て。

が、TON創作のお守り念珠でした。

指のセンサーが過度に敏感になっているので、水道の水が針のチクチクに感じる有様で、そんな狂った指で正絹紐を触っても、荒縄で擦られている感覚で痛いのなんのって・・・

指も思うように使えないし・・・

でも・・・創っていられるのって一番だね。

ともよ遠方よりきたる

ブログ上に自転車でこけたお話を書き込んだために思いもかけない方々のご訪問をいただいた。

講義していた担当の大学の授業を早々に切り上げてお見舞いに来てくださったN氏。
情報分析の結果、フランケンシュタインのような状態になっていたかと思っていたけど意外に元気なので安心したたとおっしゃって帰えられた。

田無から顔を見に来てくれたM女史。
同じく包帯でぐるぐる巻きになっていたかとおもっていたらしい・・・

フェースブックやメールでも頂戴してやはり大同小異の状態に想像の産物と化していたようであった。

電信情報社会はありがたい一面と、書き方一つで想像の翼を広がりすぎることをも可能にしてしまう怖さを(この場合は申し訳なさを・・・)感じた。

ま。たしかにね。。。

ここ最近の記事を読み返してみるとね。
事故ったあとの、顔面制動した歯抜けの画像を出しておけばよかったのよ。とは、上さんの弁だが、まぁ・・・百聞はなんとやらというのだから・・・

でも、そらぁ・・・いくらなんでも・・・

まして心の傷は映し出せないもん。

有るはないの実地。。。

「いつも有るはいつもない」を書いたのが先週の土曜日。

あって当然と考えることは人の傲慢だと自分なりの感じ方を書いたのだが、その夕刻早速といってよいのか、身を持って経験しなさいとの仏の勧めなのか、最近手に入れたばかりのミニベロに乗ってさっそうと近くまで所要を足しに出かける途中、早速、体を張って実証してしまった。

手に入れた時、自転車はやたらと重心が前にあるすこぶる乗りにくい代物だった。
出かける前に調整が必要だなぁと感じながらも、用を足すのはすぐ近くだからと工具を手にする億劫さを優先してそのまま未調整の自転車で出かけた。
で、前転半回転を演じてしまったのだ。

重心が前よりすぎの自転車は下り坂に弱い。
まして小さな車輪となれば・・・前転の危険はつきものと理解していたのに。。。

歩道から車道へ出たところに人を避けようとした。。。ところまでは覚えているのだが、あっという間に地面に顔面制動していた。

人がTONの横を避けてすり抜けているのを感じつつも気丈に起き上がり・・・実際は、手は痺れ、足はモツれ、声も発せられなかった。
転がっていた折れた前歯を拾い自転車を引きずるって歩道までたどり着くのがいかばかり長かったことか・・・

両手とも針で刺されるような痛み、滴り落ちる血をハンカチで抑えうずくまるしかなかった。

体の痛みもさる事ながら、見知らぬおっさんとは言えべしゃんとカエルのように車道の真ん中で潰れているおじさんを避けて通っていったアベックがいたことに・・・おじさんは心が痛んだ。

以前見たテレビの番組でどこかの国で交通事故でうずくまる人をなにも手助けしないで行き交う人のモラルの低さを嘆く番組があったが、どこか似ているな。この光景・・・。

なんで転がったんだろう・・・
なんで自転車なんてほっぽり出して逃げなかったんだろう・・・
そもそもなんであの道通ったんだろう・・・

とぐるぐる頭の中を駆け巡る。

若けりゃ、ひょいと後ろに飛んで転がるなんて考えられないのに・・・

ん?

有るはないって書いたばかりじゃん・・・

痺れる指でキーボードを打ち込みながら、ハタと感じたTONであった。。。

ちょっと早いですけど。。。

ちょっと早いですけど・・・

このTONちゃん日記、600万人目の閲覧も時間の問題となりました。

多い時で一日4000人少ない時でも1000人前後のご来店をいただいていつのまにか丸九年。

CGIで自作していた以前の日記も含めると、とうに大台は突破してしまいます。

これもご愛読の皆様のお陰様。と平身低頭感謝申し上げます。

本にしたら良いのにとのアドバイスもありますが、好き勝手なことを書き散らしているのでなんだかね・・・

心の変化、自分の年齢の変化に環境の変化に伴う?興味の対象の微妙な違い。
はおもしろいなぁと読み返してみて思います。

ただ、「浅草のそら」は定点観測としてはもうすぐ10年。

一時は気圧計も導入したりもしましたが、気圧計が故障(電池切れなのですが)してからは映像だけに逆戻り。

10年続ければ、これっていい資料だよなとひそかに思ってます。

東北大震災の3.11の朝も変わらず記録していますからね。

流行歌を聞くと当時の思いや風景が脳内に再現されると言いますが、TONにとってはそれに近い大事な思い出の栞になりつつあります。

まだまだ書きたいことは山ほどありますが、おいおいと書いていきたいなと思っています。

これからもTONちゃん日記、お付き合いの程をよろしくお願いしまーーーす。

600万回を踏んだ人ご連絡いただきたいなぁ・・・などと・・・

走り禅

毎朝ここのところさぼらずに走っている。
さぼるといえば聞こえが悪いが、ヘルニアと古い?腰の骨の一部の骨折もちゆえに、気をつけながら・・・というのがより現状に即した表現ではないかと思う。
2009年の1月からだから9年続いていることになる。

東京なんやらとか、手賀沼なんやらだとか大会に出ようと思って走っているわけではないのでタイムを考えたことはない。
いや、ないというと嘘になる。

走り始めたころは、何キロを何分何秒と記録していたのだから。
6kmを25分で走ったのが最短で、30~35分でコンスタントに雨がふろうが、雪がふろうが一ヶ月休まず走っていた。月平均180kmのペースで走っていた。

初心者がそんな走り方をすれば悲鳴が上がるのも時間の問題。
案の定半年で、腰に来た。
そこではじめて病院でヘルニアと骨折が見つかったわけだ。

ランナーズハイというのも経験してしまうとそう言われても休めない。

10日もおとなしくして腰の痛みが引くと早速飛びだした。

腰にガードルを巻いたまま。

腰をかばうと、膝に来た。右膝に来て、左ひざに移って、また右に来て腰に来て・・・

と、こんな堂々巡りしているうちに、なんで走っているんだろうと考えてしまいだした。

・・・・・・

日が昇る暗闇の中、ひたひた自分の足音に呼応するように、脳波もひたひたS波を奏でる。
その波の中に時々ポン!とイメージがわくのだ。
なにやら考えようとしていても考えつかないイメージばかりなのだ。

書き留めておけば良いのだが、足を止めることができない(今は簡単に止めちゃうけど)。だからどんどん垂れ流しだった。その中でも二三のイメージだけはなんとか持ち帰る。

天台宗の十二年籠山行を満行された師と長く親しくさせていただていたが、行の最中のイメージをよく話してくださった。ふと思い出してなんだかよく似ていることに気がついた。
とても比較できるものではないけれどね・・・

そう・・・走ることで自分の中に何かを感得させてくれているんだなと思い当たったTONなのだ。。。

そうかぁ・・・自分にとって行みたいなものね。。。

どうりで走破後の締めは駒形堂で馬頭観音様へのお参りなのだから。