今日は朝9時から商店会の通りの掃除会から一日が始まりました。
相変わらずガムのポイ捨ては多いのですが、風が強かったせいか、ゴミは吹き飛ばされてしまったようで、きれいな通りとなっていました。何が幸いするかは解らない典型ですね。
おどろいたのは、地下鉄の出口から吐き出される人の多さ。
いつもは10時頃までのんびり掃除ができるのに、お客様の迷惑になることを懸念する。そんな人の量でした。
早々に切り上げとなりました。
TONちゃんの勝手な思いをいつも考える、お客様のこと、浅草念珠堂のこと。。。
今日は朝9時から商店会の通りの掃除会から一日が始まりました。
相変わらずガムのポイ捨ては多いのですが、風が強かったせいか、ゴミは吹き飛ばされてしまったようで、きれいな通りとなっていました。何が幸いするかは解らない典型ですね。
おどろいたのは、地下鉄の出口から吐き出される人の多さ。
いつもは10時頃までのんびり掃除ができるのに、お客様の迷惑になることを懸念する。そんな人の量でした。
早々に切り上げとなりました。
こんなに咲きました。
ちなみに被災地の花農家さんの苗です。
チューリップも芽が出てきました。
あとは・・・・人間の体感だけです。
柳の香りの線香という話しではない。
今は香り業界も四苦八苦というお話。
天然香料である沈香や白檀の品薄は値上がりを呼ぶこととなって、頼りにしていた専門業者は、事態を打開するのに四苦八苦している。
お香の殆どの材料は、印度や東南アジア諸国にまたがって輸入に頼らざるを得ない。
自然と香水香に比重がかかるようになる。
備長炭が花粉症対策に良いといえば備長炭が各メーカーしのぎを削る。
わが店にも一石を投じた備長炭のお香がある。淡路島の大企業とは決していえないが気持の良い商品を作るメーカーだが、花粉症に有効とわかると着実に売れた。
目をつけた大手が備長炭、備長炭とワイワイ作り出した。
ブームはあっという間に去った。
これはコーヒー・・・
同じ鉄を踏んで欲しくないけど・・・・どうかな。
昨日はある旅行会社から依頼されてお香の講演に出かけた。
しばらくこういう機会から遠ざかっていたこともあるけども、準備不足と時間配分の不備で予定していたことの半分も伝えられなかった。
依頼者側はお客様へのケアーの一環で行なうくらいの気持ちで軽く考えていたのだろうが、依頼された側としては、僕の性格もあるけれど・・・・完璧を考える。
どう完璧かといえば、お香の魅力を堪能してもらいたいし、間違って伝わっている常識を書き換えてもらいたいという思いも強いのだった。
例えば、お線香とお香の違い。お線香は安いものでお香は高級なもの。臭いと香りの違い。など、できれば供養の話しもしたかったのだ。し、それなりの資料も準備してきたつもり。
教室では香は焚けないから始まって(これはすんでで解決したが)全てひっくるめて一時間半の持ち時間は退出準備時間も含めてだったこと。そのあとは次の講義が待っていてぐずぐずしていられない・・・など寝耳に水の話しで、慌てた慌てた。
何だか受講者に申し訳ないのと充分言いたいことが言えなかったことで久々に落ち込んだ。
やっぱり香りを勉強するのなら、自分で験せる環境でないと・・・
で、今、自分にご褒美。
新伽羅だけどね・・・・
お香の講座を一日講師としてお受けすることになった。
何でか本職の(もちろんお香もそうなんだけど)念珠の講師の口はこないんだな・・・・
そもそも巡礼用品を充実させるきっかけもこれに近い状況から始まったものだし、そのときも念珠はカヤの外。
一時間半の講義になる。
本当は耳学問で行なうより、ワークショップ形式にしたほうが理解は早いと思うのだが・・・
まあしかたない。あきないで聞いてもらいたいといろいろ考えている。が、行き当たりばったりになるだろう・・・・
改めてまとめていると、忘れている忘れている・・・・
ついでに仏壇のことも調べてみるが・・・まあこちらは問題ないでしょう。
でも使わない脳みそはどんどん怠惰になっていくものだ。
元来好きで始めた事だから、一度目を通せば記憶は蘇るのだが。
こういう機会をボクのために与えてくれたのだな・・・
聴講者には申し訳ないけど・・・・
「専堂坊屋敷跡」なんて言われたって「何のこと?」でしょうね・・・・
屋敷跡がというのだから、何かの家のあと地なのだとわかるくらいでしょう。
念珠堂を含めた雷門2丁目の500坪をこえる場所(1400年前はもっと広大だったようですが)浅草という土地の郷士の屋敷が建っていた場所なのです。
隅田川は当時は海が内進していて、一面まだ海で浅草浦と呼ばれていました。
その海で漁労をしていた二人の兄弟漁師、檜前浜成、竹成の兄弟。全くその日は魚はかからず、掛かるのは人がたのもの。こんちくしょうと言ったかは知りませんが生みに投げ返す。
何度網を打っても、たびたび掛かるのは投げ返した人がたのもの。
早々に凌をうち切ってその人がたを土地の郷士に見せに行ったといいます。
郷士はそれが「観音菩薩」であると見きわめた。霊験あらたかな菩薩様であると兄弟に教えると同時にその尊像を自宅に祀り本人出家して生涯祀ったと言われているのです。
その郷士が、土師中知(はじのなかとも)と言う方で、浅草第一番の篤信者ということになるわけです。
実はその屋敷がこの一帯に広がる広大な屋敷に当たるのです。
土師中知の直系は半僧反俗、つまり妻帯を許され、が代々浅草寺のいっさいを仕切っていたことは知る人ゾ知るなのです。
その役職を専堂坊と呼び、特別な権限も併せ持っていました。
明治の廃仏毀釈も震災も戦火も乗り越えてきた文化的伝統も、残念ながら63代続いた専堂坊は平成2年に消滅してしまいました。
四半世紀たって、今は土地に住んでいる土地っ子でもその名称を知る人は激減しました。
で、その名跡を残すことを目的にしたのがこの碑の建立だったわけです。
碑を建立して一ヶ月近く経ちましたが、見落とすような場所なのですが、案外関心を持ってくれださるようで、観光のお客様が、碑の前で写真を撮られたり、資料を求めに来られたりします。
昨日まで専堂坊?ってなに?だったのが普通に語られている。認識されるようになっている。何だか不思議な気もします。面白いものだなぁとも思います。
過ぎ去ることを追うことなかれ
いまだ来たらざるを念うことなかれ
過去、そはすでに捨てられたり
未来、そはいまだ到らずなり
されば、ただ現在するところのものを
そのところにおいてよく観察すべし
揺らぐことなく、動ずることなく
そを見きわめ、そを実践すべし。
ただ今日まさに作(な)すべきことを熱心になせ
たれか明日死のあることを知らんや
まことに、かの死の大軍と
逢わずということはあることなし
よくかくのごとく見きわめたるものは
心をこめ、昼夜おこたることなく実践せん
かくのごときを、一夜賢者といい
心しずまれる者とはいうなり
「一夜賢者経」
大蔵経に収録されるお釈迦さまの説法のひとつである。
お店の布施本にしているムディターのだいぶ以前の号に掲載していた松原泰道先生の一文に改めて感動した。
過去にしがみつくのでなく、明日に憧れるのでなく、今日一日に精一杯の自分を生きる。
今の時代、なんと必要なことなんだろうか。
好きな人は好きだよね・・・
こっちも・・・
ただ・・・
飲めませんけど・・・・
どうも後味が悪い・・・
決着をつけてやるぅ。。。。
やはり結果を出すべきだった。。。。
思い出すぞ・・・・
眠くて眠くて意識朦朧と観ていた正月時代劇「白虎隊」の話し。
も一度おさらいのつもりで夕べ録画を見直してみることにした。
んん・・・・ そうそう・・・ そこまでは覚えてる・・・・
家定が死んじゃうんだよね。
天子様が崩御されるんだよ。毒殺だと騒ぐ・・・・
で・・・・・・
ジャーン
「第三部に続く」
あ・・・・
ぁぁ?
第三部があったの・・・・
あと二時間ちょっと残しているじゃん。
どうりで覚えていないわけだ。
一幕だけ観ておしまいにした。
無理をしたのがそもそも間違いの元だったのです。
同じ徹は踏まない。
これが今年の自己標語なのかも。。。。
Fbのお友達の一年の計に触発された格好になるのですが、ここにわが店の原点があります。
いつも戻らないといけません。
昨年も数え切れない出会いをさせていただきました。
そして帰らぬ人となられたお客様も・・・・
私的なことになりますが、一昨年は妻の母を、去年は自分のを送り出すことになっていよいよバトンを任された気持ちで新たな年の出発となりました。
どんな出逢いが待っているのだろう・・・
ことしも一喜一憂しながらの商道をさせていただくのだろうと思います。
初心をいつも心に灯しながらの商いをしなくちゃぁ。。。。