時代

昨日は義兄の母親の葬儀でした。
昨年の母の葬儀から半年。
再び近い親戚が集まることになり、遠路の親戚の中には初めて会う顔もあって、亡き人のおかげを感じさせられた。

姉家族とは、共働きの我が家としては格好の保育所だった。
正月ともなれば世の保育園は休園となり、乳飲み子を抱えた6人家族はにっちもさっちも行かなくなる。肉親はそんな我が家の臨時保育園になってくれた。
あちらも3人の子供たちそこに4人が合流するわけで、面倒を見てくれた姉夫婦には今でも頭が上がらない。
芋を洗うようにとは巧く表現した喩えでまさしくそんなことが毎年の行事だった。

一人独立し、二人独立していくことで、当家の子供たちも人の世話のいらないとしになってくるとなかなか泊りがけで世話になる機会もなくなってきたわけで、顔を合わせるのもままならなくなってきた。

この世に息をしたその時から見ていた甥や姪たちがわが子を抱いて、わが子をあやしている姿。姉のお産に付き合いながら、その悲鳴にたじたじとなり産院を逃げ出してきたそのときに生まれた三十路を越えた甥に運転してもらう車に案内してもらう。
そんな親族たちの姿をボーっと一日見ていました。

自分の中身を見れば20年、30年経っていようが殆ど変わらないつもりでいても、着実に時間は経過しているのだ。

時代がひとつ繰り下がった実感が湧いてきたのでした。
そして、命の連続ということもを・・・・・

梅もおしまい?

もう・・・・・

桜だよ・・・・・

季節は・・・・・

だって・・・・・

梅好きなんだもの・・・・

そういう問題じゃあない・・・・・

般若心経

フェースブックを見ていたら、般若心経の現代語訳に出会った。

いやいや・・・超現代語訳というべきか・・・・も。

TONにはチーチキチ♪の合いの手が入ると読み安いのだが・・・・。

皆様にはどう感じるでしょうね。

春を待ちきれず・・・

今日は朝9時から商店会の通りの掃除会から一日が始まりました。
相変わらずガムのポイ捨ては多いのですが、風が強かったせいか、ゴミは吹き飛ばされてしまったようで、きれいな通りとなっていました。何が幸いするかは解らない典型ですね。

おどろいたのは、地下鉄の出口から吐き出される人の多さ。
いつもは10時頃までのんびり掃除ができるのに、お客様の迷惑になることを懸念する。そんな人の量でした。
早々に切り上げとなりました。

やなぎ

柳の香りの線香という話しではない。

今は香り業界も四苦八苦というお話。

天然香料である沈香や白檀の品薄は値上がりを呼ぶこととなって、頼りにしていた専門業者は、事態を打開するのに四苦八苦している。

お香の殆どの材料は、印度や東南アジア諸国にまたがって輸入に頼らざるを得ない。

自然と香水香に比重がかかるようになる。

備長炭が花粉症対策に良いといえば備長炭が各メーカーしのぎを削る。
わが店にも一石を投じた備長炭のお香がある。淡路島の大企業とは決していえないが気持の良い商品を作るメーカーだが、花粉症に有効とわかると着実に売れた。
目をつけた大手が備長炭、備長炭とワイワイ作り出した。
ブームはあっという間に去った。

これはコーヒー・・・
同じ鉄を踏んで欲しくないけど・・・・どうかな。

ご褒美

昨日はある旅行会社から依頼されてお香の講演に出かけた。

しばらくこういう機会から遠ざかっていたこともあるけども、準備不足と時間配分の不備で予定していたことの半分も伝えられなかった。
依頼者側はお客様へのケアーの一環で行なうくらいの気持ちで軽く考えていたのだろうが、依頼された側としては、僕の性格もあるけれど・・・・完璧を考える。

どう完璧かといえば、お香の魅力を堪能してもらいたいし、間違って伝わっている常識を書き換えてもらいたいという思いも強いのだった。
例えば、お線香とお香の違い。お線香は安いものでお香は高級なもの。臭いと香りの違い。など、できれば供養の話しもしたかったのだ。し、それなりの資料も準備してきたつもり。

教室では香は焚けないから始まって(これはすんでで解決したが)全てひっくるめて一時間半の持ち時間は退出準備時間も含めてだったこと。そのあとは次の講義が待っていてぐずぐずしていられない・・・など寝耳に水の話しで、慌てた慌てた。

何だか受講者に申し訳ないのと充分言いたいことが言えなかったことで久々に落ち込んだ。
やっぱり香りを勉強するのなら、自分で験せる環境でないと・・・

で、今、自分にご褒美。
新伽羅だけどね・・・・

一日講師

お香の講座を一日講師としてお受けすることになった。

何でか本職の(もちろんお香もそうなんだけど)念珠の講師の口はこないんだな・・・・

そもそも巡礼用品を充実させるきっかけもこれに近い状況から始まったものだし、そのときも念珠はカヤの外。

一時間半の講義になる。
本当は耳学問で行なうより、ワークショップ形式にしたほうが理解は早いと思うのだが・・・
まあしかたない。あきないで聞いてもらいたいといろいろ考えている。が、行き当たりばったりになるだろう・・・・

改めてまとめていると、忘れている忘れている・・・・
ついでに仏壇のことも調べてみるが・・・まあこちらは問題ないでしょう。
でも使わない脳みそはどんどん怠惰になっていくものだ。

元来好きで始めた事だから、一度目を通せば記憶は蘇るのだが。
こういう機会をボクのために与えてくれたのだな・・・
聴講者には申し訳ないけど・・・・

専堂坊屋敷跡の碑ができてから

「専堂坊屋敷跡」なんて言われたって「何のこと?」でしょうね・・・・

屋敷跡がというのだから、何かの家のあと地なのだとわかるくらいでしょう。

念珠堂を含めた雷門2丁目の500坪をこえる場所(1400年前はもっと広大だったようですが)浅草という土地の郷士の屋敷が建っていた場所なのです。

隅田川は当時は海が内進していて、一面まだ海で浅草浦と呼ばれていました。
その海で漁労をしていた二人の兄弟漁師、檜前浜成、竹成の兄弟。全くその日は魚はかからず、掛かるのは人がたのもの。こんちくしょうと言ったかは知りませんが生みに投げ返す。
何度網を打っても、たびたび掛かるのは投げ返した人がたのもの。
早々に凌をうち切ってその人がたを土地の郷士に見せに行ったといいます。

郷士はそれが「観音菩薩」であると見きわめた。霊験あらたかな菩薩様であると兄弟に教えると同時にその尊像を自宅に祀り本人出家して生涯祀ったと言われているのです。

その郷士が、土師中知(はじのなかとも)と言う方で、浅草第一番の篤信者ということになるわけです。

実はその屋敷がこの一帯に広がる広大な屋敷に当たるのです。

土師中知の直系は半僧反俗、つまり妻帯を許され、が代々浅草寺のいっさいを仕切っていたことは知る人ゾ知るなのです。

その役職を専堂坊と呼び、特別な権限も併せ持っていました。

明治の廃仏毀釈も震災も戦火も乗り越えてきた文化的伝統も、残念ながら63代続いた専堂坊は平成2年に消滅してしまいました。

四半世紀たって、今は土地に住んでいる土地っ子でもその名称を知る人は激減しました。
で、その名跡を残すことを目的にしたのがこの碑の建立だったわけです。

碑を建立して一ヶ月近く経ちましたが、見落とすような場所なのですが、案外関心を持ってくれださるようで、観光のお客様が、碑の前で写真を撮られたり、資料を求めに来られたりします。

昨日まで専堂坊?ってなに?だったのが普通に語られている。認識されるようになっている。何だか不思議な気もします。面白いものだなぁとも思います。

一日菩薩・一日仏

過ぎ去ることを追うことなかれ
いまだ来たらざるを念うことなかれ

過去、そはすでに捨てられたり
未来、そはいまだ到らずなり

されば、ただ現在するところのものを
そのところにおいてよく観察すべし
揺らぐことなく、動ずることなく
そを見きわめ、そを実践すべし。

ただ今日まさに作(な)すべきことを熱心になせ
たれか明日死のあることを知らんや

まことに、かの死の大軍と
逢わずということはあることなし

よくかくのごとく見きわめたるものは
心をこめ、昼夜おこたることなく実践せん

かくのごときを、一夜賢者といい
心しずまれる者とはいうなり

「一夜賢者経」

大蔵経に収録されるお釈迦さまの説法のひとつである。

お店の布施本にしているムディターのだいぶ以前の号に掲載していた松原泰道先生の一文に改めて感動した。

過去にしがみつくのでなく、明日に憧れるのでなく、今日一日に精一杯の自分を生きる。
今の時代、なんと必要なことなんだろうか。