改めて

毎日お店への出がけに雷門前を通る。
おかげで定点撮影は3年をゆうに越えてしまった。

「浅草のそら」は長寿企画になってきた。
このタイトルを書くと大阪のお客様を思い出すことになる。

四国のお遍路をしてきましたので表装して下さいと、巡拝軸の表装依頼をよく承る。
四国と耳に入ると、生レポートを書きつづけてくれたTさんを思い出すことになる。

秩父と聞くとJさんが頭をよぎる。

西国と聞くと春日部の三郎さんを思い出す。

ぐんだり明王を見るとデザイナーの・・・

薬師如来には・・・・

ルビー念珠を見ると江戸川の・・・

ハート腕輪を見ると仙台のSさんを、

百匁のローソクには・・・・・・・・

物は物であっても物ではない。
頓珍漢に聞こえるかもしれないが、一つ一つの品物には出逢いと物語が付いてまわる。
何一つ思いいれの無いものが無いことになる。

だから忘れようにも忘れられない。
忘れられないと言うことは、僕の心もそこにいつもある。
今の心かぁ・・・念ねぇ

「念珠堂」とはよくもつけたりと改めて思う。

へ~

昨日BSJAPANの7PMという番組に取材いただいてその番組内容を番組側でDVDに焼いてくれた。

わざわざ送ってきていただいた。

ここまでしてくれたのは初めてです。

番組のファンになっちゃおかな。
単純なものですよ。(^^;

懐かしい・・・

一体何年たったのだろう・・・・

店の倉庫は想い出の坩堝と化している。
と言うのも言いすぎだし、よほど整理整頓ができていないように受け止められてもいけないのだが、今まで活動してきた証拠品は、証拠品として残しておかないといけないと思っているだけの話しで、時代が埋もれている。

最小範囲で残して、あとは電子化するなりにしておこうと選別している。
どうだろう・・・出てくる出てくる・・・

小学校のタイムカプセルごっこは10年せいぜい20年で掘り出されることが多いと思うが、その域に達しているように思う代物も今回の捜索で数々掘り出された。

その中の一点となるが、讃祷歌の中国公演に合唱団の一員でついていったときの物だ。
川﨑大師の今は高橋隆天げいかを団長に恩師になる新堀智朝尼のお寺の詠唱団メンバーと西安、北京と回り、中国仏教会の重鎮の前でも歌わせてもらってきた。

何を歌ったのかきれいさっぱり忘却の彼方だったが、譜面を見るとあれよあれよと頭の中で3Dも真っ青、その光景それに当時の感動を添えた旋律が流れ出す。自動的というならばこれほどオートマチックなことはない。人とは不思議な器を与え備えられているものだと感嘆する。

もう二昔前の出来事になる。

みな故人になってしまった。

間もなく400万カウント

御陰様でまもなく延べで400万人の皆様のご来店をいただきます。

念珠や歳時記だけをアップすればよいのに、TONの感じた心象をぐだぐだ書いてしまい、それにまでお付き合いいただいていることに、深く深く感謝申し上げます(今のうちに(^^)。

CGIで自分で作ったTONちゃん日記は、2004年4月14日からなので、足掛け8年。
http://www.nenjudo.co.jp/topics/topics.cgi?page=390

ブログに変更したのが2006年5月12日からなので概ね6年。
http://http://http://ton.wp-x.jp/wp-content/uploads/image/ton.wp-x.jp/wp-content/uploads/imageblog/2006/05/index.html

ほぼ毎日の更新なので自分ながら読み返してみるとなかなか面白い読み物になっています。
へ~こんなこと考えていたの。。。
変わらないね。。。

等など、当時の大切なお客様も鬼籍に入ってしまった方も何人もいたり、読むと懐かしい空気が漂います。正にTONにとっては日記なのです。

CGI時代のブログは写真点数が多くはアップできないこともあって、文章で本音を吐露しているところが我ながらこっぱずかしくなります。

最近は・・・写真でごまかしてしまったりすることを覚え、ぐうたらTON助だなあと感じること大でいます。

オーダーの部屋もパート3まで真面目にアップしていたのだけれど、最近はブログ上で済ましてしまったり・・・

おかげでWEB店のほうが可愛そうな状態にあります・・・(^^;

近々、HPをリニューアルできるよう(全くコンセプトを変えて)頑張っています。。。

が、どうかなぁ。

まあこんなTONでございますが、どうぞ浅草念珠堂ともども末永くよろしくお付き合いのほどをお願いいたします。

もうそんな季節?

毎月送られてくる「靖国」の機関紙。

もう「み魂まつり」のお知らせが入っていた。

あ!そう・・・・

そんな季節になるのか・・・

38歳から昇殿参拝に毎月通う靖国神社通いも20年たった。
でも、杜を取り巻く空気はまるで変わらない。あいも変わらず、お盆を迎える頃になると国の命令で命を捧げた人々への感謝の念をおろそかにするかしないかを騒ぎ出す。
こんな論法がまだ行なわれなければならない国って本当に独立国なの・・・

いや…そう悲観することばかりでもないかもしれない。
参拝においても、遊就館に学ぶ人においても、若い人たちが格段に多くなってきた。
毎月一日だから休日ばかりとは限らない。それでも人の足は絶えない。

個の精神は、ちゃんと正見をもって時代を捉え始めているのかもしれない。

あとは国が国家としてどこの国でもその国の宗教施設、宗教で慰霊を行なっているように、国が自然体で国の柱となった方々をお祭りできるようになればと願うばかりだ。

子供の目

ゴールデンウィークを利用してコンピューターの中に溜まりに溜まった画像を整理している。

すると、子供が小学校の時に自由研究で同じ班の子供たちと一緒に店にインタビューに来てくれたことがあった。

浅草の子供は商売人の子供が多くて、何屋でもよかったのだろうが、仏具屋というのは珍しがられて同じ班のこどもたちに推挙されたのだろうと思う。

よく覚えていないが息子も含めて4、5人の子供たちがはにかみながらインタビューしていった。

その発表会に使用したときの絵がこの絵だった。
それをお礼にと言っておいて行ったものだった。

10数年ぶりだろうか。

わが念珠堂も子供たちの目から見るとこんなイメージに映るようで面白い。

きれいなものを置くというのは大切だなと改めて気付かせてもらった。気がする・・・

ありがとう・・・・

遠野の物語りをお話ししてくれましたね。

遠野弁で語られる物語は、母親の仙台バイリンガルで耳の慣れている僕でさえ30%の理解力だったです。

そもそもKさんとの出逢いがそんなお話からの出逢いでしたね。

お付き合いさせていただいてから20年近くたちました。

出征兵士の夫との別れの話しでは、二人して泣き出してしまい店内にいながら困ったものです。

しかし、泣くなと言うのは無理です。

だって、当時結婚と言っても顔も見たこともない相手と形だけの婚姻であり、おまけに祝言にも出征準備で妻だけの式。

それではあまりにも妹がかわいそうだとお兄さんが一時集合となる練兵場に連れて行ってくれたという。

遠目に「あの人だ」と指差す方向に夫となる方が偶然にも出会えた。
兄に促されて一言二言もじもじしながらの挨拶。それが帰らぬ人となった夫との最初で最後の出会い。

10代のKさんに戻って話してくださいましたね。

Kさんのおじいちゃんが大将時代に建立したお寺は岩手でも有名なお寺になっているけれど、Kさんが男の子だったら寺を継がせたのにと顔を見るたびに惜しがっていたおじいちゃんのお話し。

そのおじいちゃんに小さい頃から仏の供養について広い敷地に点在するお堂を巡りながら散々鍛えられてきた話し。

寺に寝泊りしなら小僧と同じ生活をしながら思春期を迎えたお話し。

お寺の本尊になる大木の切り出しの話し。

北海道の親戚の家を残すために北へ向かう話し。

北海道では馬二頭を操りながら農作をされていた話し、その腕を買われて全国の農業指導をされていた話し。

お坊さんにならない代わりに終生人助けに生きようとカイロの草分け的存在となった話し。

60歳を越えた齢にバス待ちの列を乱す傍若な若者を合気道でエイと投げ飛ばした武勇伝。

東京に来て数十年たつけど、遠野弁は健在でごめんなさい30%の理解力しかなくて。
でも充分伝わりましたよ。

80歳を越えてもリュックを背負い灼熱の夏も寒風吹く雪の日も文字通り走り回っていた姿は、冷暖房完備の店内にいながらもあくせくしているものにとっては脱帽でした。

140cmに満たないだろう本当に小さい体ながら、大男を投げ飛ばした話しに代表される正義感、毎月東大病院の解剖学を欠かしたことがなかった、時間があっればあらゆる本を真剣に読んでおられましたね。そんなパワーがどこに隠されているのだろうといつも教えられてきました。

もう90歳だったはずですよね。

Kさんまたいつか逢いましょう。

本当に、ほんとうにありがとうございました。

親切?

ある団体から届いた総会参加有無のはがき。
返信はがきが付いている往復はがきとなっていた。
忙しくてとても行けないので、お断りの内容を返信はがきにしたため、表書きの先様の下に敬称を入れようとすると・・・・

返信先にはすでに御中が印刷されていた。

ん?

なんかおかしいぞ。
「御中」とは
団体の誰に出してよいか確定されていない時や、団体名そのものに対しての敬称とおもっていたが・・・・

印刷されている・・・

個人に置き換えれば・・・

「俺様」あてか。

ふ~~ん。

書く手間を省いてくれたのだから
親切と思うべきかな・・・

本題から・・・・逸脱

写経を二十年続けていただいている群馬猿ヶ京近くのお寺「佛心寺」でお施餓鬼があるというので写経メンバーと出かけることとなった。

朝の11時からというので交通渋滞を考えて6:30に浅草を出発した。
上は85歳を筆頭に7人ばかり。
こういうとき年齢にたがわず行動派が揃っているといつもながら思う。

予想は見事にはずれて、9時過ぎについてしまった。
驚いたのは住職。

高速のサービスエリアで仕入れた情報を思い出し、
群馬サイクルスポーツセンターに行ってみることにした。
ロードレースがあるという。

ゾクゾクと集まるレーサーたち。

こういう光景を見ると血が騒いでくる。

杉木立の向うにコースがあるのだが、練習風景は撮り損ねてしまった。

いやーーここにいたかったぁ・・・

おかげで1時間はあっという間に過ぎ去ってしまった。
ご婦人たちもなにやら僕に調子を合わせてくれて、一緒に騒いでくれた。

のんびりし過ぎて危うく本命のお施餓鬼に遅れるところだった。

住職いわく日本一小さいお寺です。


梅です。
桜はまだまだ咲きません。

お寺の精進料理はおいしゅうございました
徹夜で作っていただいたゴマ豆腐は美味しかったぁ・・・・

雨男のTONもどうやら参加者の晴れ女にかなわなかったとみえ、帰路に着くまで一雨も降らせなかった。