ことば

お手紙を頂いた。

ブログつながりでお友達にさせていただいた神戸のお客様から、長く続けてこられたおお店を閉店しますというお知らせだった。
驚いた。あんなにいきいき料理創りをなさっていたのに。。。まだ若いよ。。。どうするの。。。。

きっと、眠れぬ夜をも悶々としながら、苦渋の決断をされたんだろうと行間から滲み出る「気」が胸を刺すようだった。

料理人であるオーナーの故障からとあった。
体の不調で存続できないとなることはどんな思いだったろうか。

お手紙を書こうと思って筆をとるが一行も書けないで筆をおく。

昨年、被災地に支援物資を持っていった。

学校の職員室に案内され、紹介していただいた。
一言お願いしますと振られたが・・・・石巻から北上した道中の景色が頭の中を巡り巡って、言葉にならなかった。

ぎりぎり限界のその場に置かれると、言葉と言うのは無力なものだとついぞ思ってしまう。
でも言葉によって生きると言うことも、それなりに生きてきたTONの人生の中で経験もしてきた。

心がことばという生きた記号の真ん中に住みついていてさえくれているなら、きっと生きた言葉となって相手を生かすことができるのだろう。

だから、今、発した言葉は、どういう動機で発した言葉なのか、常にチェックする。

お逢いしたなぁ・・・・

突然行って驚かそうかなぁ。。。。

いろいろあるなぁ


こういう新聞はじめて見ました。

仏具の業界って古いのかもしれないが、商品の緩衝材に古新聞が同梱される。

地方色豊に、その土地ならではの地方紙が入っていると、つい読みいってしまう。

京都からの便にはこういう題字の新聞も。
作業が止まった。もちろん。

気づき

毎日、道を掃除していると、いろいろな「気づき」を与えてくれます。

そして「気づき」は「福」だと思います。
商人として大事な、お客様の動向が手に取るように見えてくる。各お店の状況もはたまた、通りの企画や、将来像。。。などなど。

トイレの神様の歌がはやってから、トイレ掃除をする人が増えたとか・・・
「お願いします」と言って他人のトイレ掃除をして回る経営者組織もあり、修養団体もあります。掃除するためだけにお金を使って参加するのだとか。

汚い仕事なのに体験者たちは揃って「きもちよかった」と判を押したように感想を述べられるようです。

禅宗のお坊さんの基本は作務(さむ)と言いますが、作業する禅ということなのだそうです。

もしかしたら手を汚す仕事の中に、神様っているのかも知れませんね。

掃除中、道行く人に「ごくろうさま」とか「ありがとう」とか言われることもあります。もうすでに報酬は「気づき」としていただいてしまっているので、感謝の言葉は余禄の気持ちで受け取ります。

なんだかとても申し訳なくなります。

とうとう。。。。

一年前もこの時間。

パートさんたちが休憩を取り終わり、TONが最後に昼食をとっていた。
狭い部屋に弁当に口をつけた。二口、三口。

「ユッサユッサ・・・・」

あれ。地震。

つい先日も揺れたばかりだし、「またか」というのが正直な気持ち。
30秒くらい揺れたのだろうか、ジャブのような揺れはとどまるどころか、方向を変えて揺れだした。

「これは違うぞ」と思って、小部屋を飛び出した。

出たとたんに今までにない横揺れが襲ってきた。

縦長のショーケースは片足立ちしながら揺れている。
商品はそのたびに右に行ったり左に行ったり。。。。

香炉のいくつかが横っ飛びして足元に落ちた。

「ガチャン」

お客様を非難させなければと見るとパートの子と抱き合って出口付近で固まっている。

「外には出るな」叫んだように思う。

その後も仏像は飛び跳ね、仏具は転がり、念珠はフックからはずれ。。。

あれから一年か。

今のところ無事。

忘れようにも忘れられるものか。

忘れないためにも

被災地東北出身の元米米クラブの石井竜也は何もできない自分に対して赦せず悩んだ末に、この歌に行き着いたのだという。

自分のできることで支援していく。谷村新司のアドバイスによるものだった。
アーティストはアートによって勇気付ける。

僕らは何ができるか。

競争である。

愛する競争なのだ。

そんな気がする。

あれから・・・・

震災直後の3月17日の写真です。

被災地にローソクを送ろうかどうか迷っていた時の心境で写した一枚でした。
手元にあったローソクが被災地の灯りになればと思って準備していた矢先、ローソクは被災地には送らないほうがよいとテレビやラジオで注意事項として流れ、出鼻をくじかれた形でいました。

今考えれば送ってしまえばよかったのです。

この灯りひとつでどれだけ勇気付けることができたかもしれない・・・・

店もお客様が全く来ない毎日でした。

あれからもう一年です。

最近、義援金の募金は終了して下さいとある公的機関から連絡が入りました。
震災以降お店に置いている義援金の募金箱は概ね毎月3~4万を集めています。

途中義援金の配布の不透明さがマスコミで流れたりしたり、街頭募金の声も聞かなくなり、義援金の集まりも悪いと言われ出したのをも横目に見ながら、お店の募金箱はコンスタントに善意が集まっていました。

が、突然の中止の連絡です。

釈然としないTONは電話で確認しました。
だってこれからが、復興の正念場でしょう。

電話口の担当の方いわく、「念珠堂さんの募金はありがたいと思います。が、他のところに置いている募金箱にはほとんど集まらない10円20円なんていうのもあります」
のだそうです。

しかも、中央募金会に送金するときにかかる銀行振り込み手数料は来月から有料になってしまうので・・・

ということなのだそうです。

そんな馬鹿な。。。。

5年や10年で終るほど甘くないよ。
被災地に行かしてもらった時の正直な気持ちです。

長ーーい支援が必要だと言うのに。

熱しやすいが醒めるのも早い?

何か、どこか、おかしいよ。

いよいよ3月

寒い寒い2月も終わって、ようやく3月。

昨日までとは異なっていますようにと窓を開けてみた。
晴れ。じゃっかん暖かい。
今日は頑張れそう。。。。

小売業は、実に天候に左右される。

中には天候の悪い日だから来ましたという、通なお客さまもいらっしゃる。
だれでしょう・・・・・あなたです。

けれど大方のお客様の足は、天候、気温、にほぼ左右されてしまう。

あと、風、催事や風評、店主の心持、内輪の心のベクトルなどなど影響の種は尽きない。

心理学を毎日ただで学んでいるのだ。

小売業はこれだからやめられないのだろう。

経典って

携帯用の般若心経の教本とレコーダーの前に小学生の子供を連れた母親が商品を見ていた。

レコーダーには般若心経の読経が録音されている。

子供「お母さんおもしろいよ」

母親「うち死んでいる人いないから!」

終了!

であった。
子供の興味もその一言で切れてしまった。

「これはね、「つまらないことには気にするな」って言っているんだよ」
って、ちょっと要旨を話してあげたら、子供の好奇心はどんどん膨らんでいくだろうに。

子供が将来、人生の山坂で悩んだとき「お母さんこんなこと言っていたな」となるかもしれないじゃない・・・

教育の機会をひとつなくしたな。と思った。

TONは二十歳を過ぎた頃、一人の親友をなくした。

同じ趣味(引きずり込んだのだが)の自転車で木曾を走り、伊勢を走り、同じ汗を流し、人生を語り、悩みを話しながらの友人関係を続けていた。よき相棒だった。

ある日仕事中に彼の父親から電話が入った。
豊が死んじゃったよと電話口の向うで嗚咽していた。

山岳部出身の健康もりもりだった奴が・・・

「首をつった」
彼の父親の言葉の後に続ける言葉は自分にはみつからなかった。

それまでも悩み多きTONの人生観だったけどこの瞬間、音を立ててブッ潰れた。
(漫画の表現にショックを受けた時「ガーン」という表現方法をとるが、これは本当にそうなのだ。そうなる。本当にショックな時って「ぐわぁぁぁん」って頭の中で響くのだ。余談だが・・・)

「なるようにしかならないよね」
今日、目黒の若旦那(お客様です)と電話をしているときにふと出た言葉だった。

自分が友人の死後いろんな道を模索していた頃、般若心経に出会い、お経の内容に感動した。

お経は決して死んだ人に聞かせる言葉ではないと思った。事実そうだった。

生きている自分がどう生きるか、生きるべきか、のヒントを投げかけてくれているのが仏陀のことばなのだ。

あらためて当時のことを思い出させてもらった。

《無駄なように見えるのだけど》

お針箱の小さいものを想像して欲しい。
お針箱なんて言葉は死語かもしれないから、玉手箱みたいなもののほうが解りやすいだろうか、身と蓋都に分かれるケースだ。上からかぶせる箱のことを言いたいのだが・・・

その小さな玉手箱を真鍮の板二枚を使って上下の蓋部分と身を金づちで叩きながら成形する。出来上がったものは、蓋を身に乗せると音もなくゆっくりスーと滑るように落ちる。上等な桐ダンスの引き出しを閉める時のようななめらかさで。
これは0.1ミリの誤差でもスムーズに蓋は落ちない。

今時ならば、金型をつくりプレス機械であっという間に製作するだろうが・・・
一見すればどうということのない検便の容器のようなものなのに。

しかしこれは職人の技術をすたれさせないという僕らの仏具業界の使命のような仕事としてとらえられて作り続けられている。

最近、京都の職人と話す機会があった。
四分一という、銀と銅の合金を用いて密教の法具を製作する技術がある。
仕上がりにかける色合いがなんとも言えないもので好きな法具のひとつなのだ。

どんな小さなピンホールも一切許さない加工技術がないと理想の仕上げができなくなる。
とても難しい技術であることはわかっていたが、高額なものなので、数点しか店に在庫していなかった、というかできなかった。(^^;;

その最後の一点をはいてしまったので、再入荷しようと思ったのだが、帰ってきた答えは・・・

「もうできない」
だった。

「え!うそでしょ」
正直戸惑った。

「西海さんだめなんよ。高齢化でね・・・」

彼も素材がなければ何もできないわけで、それこそあがったりになってしまう。
必死になって素材を作れる職人を血眼になって捜している最中だった。

じつはこんなことが最近連続している。

無駄と思われることであっても、後世に残す技術と伝統を保持していかねばならない。

改めて足元に火がついていることに気付かされた。