あれから・・・・

震災直後の3月17日の写真です。

被災地にローソクを送ろうかどうか迷っていた時の心境で写した一枚でした。
手元にあったローソクが被災地の灯りになればと思って準備していた矢先、ローソクは被災地には送らないほうがよいとテレビやラジオで注意事項として流れ、出鼻をくじかれた形でいました。

今考えれば送ってしまえばよかったのです。

この灯りひとつでどれだけ勇気付けることができたかもしれない・・・・

店もお客様が全く来ない毎日でした。

あれからもう一年です。

最近、義援金の募金は終了して下さいとある公的機関から連絡が入りました。
震災以降お店に置いている義援金の募金箱は概ね毎月3~4万を集めています。

途中義援金の配布の不透明さがマスコミで流れたりしたり、街頭募金の声も聞かなくなり、義援金の集まりも悪いと言われ出したのをも横目に見ながら、お店の募金箱はコンスタントに善意が集まっていました。

が、突然の中止の連絡です。

釈然としないTONは電話で確認しました。
だってこれからが、復興の正念場でしょう。

電話口の担当の方いわく、「念珠堂さんの募金はありがたいと思います。が、他のところに置いている募金箱にはほとんど集まらない10円20円なんていうのもあります」
のだそうです。

しかも、中央募金会に送金するときにかかる銀行振り込み手数料は来月から有料になってしまうので・・・

ということなのだそうです。

そんな馬鹿な。。。。

5年や10年で終るほど甘くないよ。
被災地に行かしてもらった時の正直な気持ちです。

長ーーい支援が必要だと言うのに。

熱しやすいが醒めるのも早い?

何か、どこか、おかしいよ。

いよいよ3月

寒い寒い2月も終わって、ようやく3月。

昨日までとは異なっていますようにと窓を開けてみた。
晴れ。じゃっかん暖かい。
今日は頑張れそう。。。。

小売業は、実に天候に左右される。

中には天候の悪い日だから来ましたという、通なお客さまもいらっしゃる。
だれでしょう・・・・・あなたです。

けれど大方のお客様の足は、天候、気温、にほぼ左右されてしまう。

あと、風、催事や風評、店主の心持、内輪の心のベクトルなどなど影響の種は尽きない。

心理学を毎日ただで学んでいるのだ。

小売業はこれだからやめられないのだろう。

経典って

携帯用の般若心経の教本とレコーダーの前に小学生の子供を連れた母親が商品を見ていた。

レコーダーには般若心経の読経が録音されている。

子供「お母さんおもしろいよ」

母親「うち死んでいる人いないから!」

終了!

であった。
子供の興味もその一言で切れてしまった。

「これはね、「つまらないことには気にするな」って言っているんだよ」
って、ちょっと要旨を話してあげたら、子供の好奇心はどんどん膨らんでいくだろうに。

子供が将来、人生の山坂で悩んだとき「お母さんこんなこと言っていたな」となるかもしれないじゃない・・・

教育の機会をひとつなくしたな。と思った。

TONは二十歳を過ぎた頃、一人の親友をなくした。

同じ趣味(引きずり込んだのだが)の自転車で木曾を走り、伊勢を走り、同じ汗を流し、人生を語り、悩みを話しながらの友人関係を続けていた。よき相棒だった。

ある日仕事中に彼の父親から電話が入った。
豊が死んじゃったよと電話口の向うで嗚咽していた。

山岳部出身の健康もりもりだった奴が・・・

「首をつった」
彼の父親の言葉の後に続ける言葉は自分にはみつからなかった。

それまでも悩み多きTONの人生観だったけどこの瞬間、音を立ててブッ潰れた。
(漫画の表現にショックを受けた時「ガーン」という表現方法をとるが、これは本当にそうなのだ。そうなる。本当にショックな時って「ぐわぁぁぁん」って頭の中で響くのだ。余談だが・・・)

「なるようにしかならないよね」
今日、目黒の若旦那(お客様です)と電話をしているときにふと出た言葉だった。

自分が友人の死後いろんな道を模索していた頃、般若心経に出会い、お経の内容に感動した。

お経は決して死んだ人に聞かせる言葉ではないと思った。事実そうだった。

生きている自分がどう生きるか、生きるべきか、のヒントを投げかけてくれているのが仏陀のことばなのだ。

あらためて当時のことを思い出させてもらった。

《無駄なように見えるのだけど》

お針箱の小さいものを想像して欲しい。
お針箱なんて言葉は死語かもしれないから、玉手箱みたいなもののほうが解りやすいだろうか、身と蓋都に分かれるケースだ。上からかぶせる箱のことを言いたいのだが・・・

その小さな玉手箱を真鍮の板二枚を使って上下の蓋部分と身を金づちで叩きながら成形する。出来上がったものは、蓋を身に乗せると音もなくゆっくりスーと滑るように落ちる。上等な桐ダンスの引き出しを閉める時のようななめらかさで。
これは0.1ミリの誤差でもスムーズに蓋は落ちない。

今時ならば、金型をつくりプレス機械であっという間に製作するだろうが・・・
一見すればどうということのない検便の容器のようなものなのに。

しかしこれは職人の技術をすたれさせないという僕らの仏具業界の使命のような仕事としてとらえられて作り続けられている。

最近、京都の職人と話す機会があった。
四分一という、銀と銅の合金を用いて密教の法具を製作する技術がある。
仕上がりにかける色合いがなんとも言えないもので好きな法具のひとつなのだ。

どんな小さなピンホールも一切許さない加工技術がないと理想の仕上げができなくなる。
とても難しい技術であることはわかっていたが、高額なものなので、数点しか店に在庫していなかった、というかできなかった。(^^;;

その最後の一点をはいてしまったので、再入荷しようと思ったのだが、帰ってきた答えは・・・

「もうできない」
だった。

「え!うそでしょ」
正直戸惑った。

「西海さんだめなんよ。高齢化でね・・・」

彼も素材がなければ何もできないわけで、それこそあがったりになってしまう。
必死になって素材を作れる職人を血眼になって捜している最中だった。

じつはこんなことが最近連続している。

無駄と思われることであっても、後世に残す技術と伝統を保持していかねばならない。

改めて足元に火がついていることに気付かされた。

お礼参り

http://http://ton.wp-x.jp/wp-content/uploads/image/ton.wp-x.jp/wp-content/uploads/imageblog/c/10234760.html

この日記を書いてからもう5年を越えている。

時の経つのは実に速いものだと改めて驚いている。

5年前の6月頃に引き受けた仕事は、観音菩薩の製作だった。

その観音菩薩のモチーフとなったのが、施主さんの実のお母さんをモデルの仕事だった。

ほぼ同年代の施主さんのお母さんであった。
昭和30年代前半当時の標準的な普段着であり、代表的な姿、割烹着(かっぽうぎ)を着て、おんぶ紐で子供を背負う「日本のお母さん」なのだった。

「このように彫ってください」と依頼され渡された写真を見るなに熱いものが止め処もなくこぼれた。
気づかれてはならじと苦慮した。
昨日のことのように思い出す。

そのお客様の再度のご依頼で、千手観音をご依頼いただいた。

今回も独特の仕様で彫ることはもちろんのことだった。
施主さん、つい最近大きな病気をしたのだという。
しかし、すれすれのところで死線を免れた。

俗に言えばあまりにもついていた。
しかし彼はそう考えなかった。
観音様の手が彼の手をひいてくれたのだろうと考えた。

そのお礼参りとして、お姿を彫刻するということ。

すこしでもそのお手伝いできることがとても嬉しい。

正月も終わり

琴の音も、この飾り付けも、特売も、昨日で終わりです。

以前とくらべたら、とっくに正月気分なんて無くなってしまっいたので、さばさばしたものですが、そう思う自分が少し寂しいですね。

どこへ行っても、つー


このために奈良に行きました。


とんぼ返りで京都泊。


京都は地蔵堂がこんな自然に溶け込んでいて羨ましい。
寺が生きている。


寺町を歩いていると鳩居堂に出会いました。


800年御遠忌で沸く知恩院を横に見て、っと。


松栄堂三年坂店。
さすが、老舗の建前を決して崩しませんね。ここは。

お付き合いのある会社に次々出会う。


清水寺の寺務所。期待していたものには出くわさなかったのだけれど、少々勉強になりました。


修学旅行客でごった返していて、人ごみの嫌いな(それで商売人かい)TONは、避けたい気持ちでいっぱいながら、リサーチがあったからそれもできず気持ちの中で大変でした。


で、最後はここでまた空。

結局、TONは仕事と切れない人間なんだね。
あ~疲れた。

いよいよ動き出した

商店会で里親になっているお守り猫「御縁門」の最終プロジェクトがいよいよ動き出しました。

何故最終かと言うと、浅草神社から旅立って、終の住処になる所探しだったからです。

行き先は宮城県の牡鹿半島沖に浮かぶ田代島、別名「猫島」に決まりました。

今日は、その田代島にゃんこプロジェクトの責任者の方々が、当雷門一之宮商店会に表敬訪問して下さいました。

商店会側のTONと企画部長とプロジェクトの方とでお茶を飲みながらまず歓談。

まだ見ぬ(HPでは見ていただいています)御縁門の今までの経緯をお話しさせていただきました。

「150匹の猫たちは、東京藝大の学生さんたちが精魂込めて命を吹きこんだ猫たちなんです」と、企画部長。

「紆余曲折はあったのですが結局は御縁門が行きたがっているとしか思えないんです」とTON。

ぼくらの言葉に、深くうなづいてくださいました。

プロジェクトの方に今回の津波被害のことを伺いました。

まだ島は手付かずの状態だそうです。

工事業者の手配ができなくて先に進めないのが現状。
しかも島の生命線ともいえる埠頭は、海面下に沈んだままだとか。

だから、「潮の状態が良くないと御縁門を陸揚げできないのです」
とのことでした。

島はたいへんだ・・・・正直そう思いました。

お茶もそこそこに、企画部長とにゃんこプロジェクトの皆さんとで浅草神社に向かってもらいました。

初対面。

「うぉー、すごい」

の、感嘆符だったとか。

島の守り猫になってね。

ようやく

ブレーキ不備の自転車、摘発件数が急増http://www.news24.jp/articles/2011/09/30/07191687.html

以前もブログで、にわかサイクリストの横暴を書いた記憶がある。

なんちゃってピスト(ピスト:競輪場で使う競技用自転車:ブレーキは前後ともついていない)。
ぼくはそう呼んでいる。

道路交通法が変わったのかと、久々に走り出したロートルサイクリストは驚いた。
公道を走る以上、自転車も最低限度の装置が必要なのだ。

例えば、
ブレーキは前後2個のブレーキが装着されていること。
ライトがついていること。
警笛が装着されていること。
リフレクターがついていること。etc.

しばらくぶりに自転車を乗り始めたら、やたらと目に付くのが、ピストのフレームで町乗りの自転車に改造しているサイケな車。

前ブレーキだけ装着していればよいほうで、中には前後外しているのもいる。
もちろん警笛もライトもない。
夜道など後ろからこられたら、フリーのラチェット音のしない固定ギアのピストでは、用心深いTONでもひかれてしまうかも。

昼間かっこよく走っていればまだ可愛いが、信号も守らず、縦横無尽に疾走している姿は、哀れさすら感じる奔放さをもつ。そんなに足に自信があるなら、箱根の山を越えておいでと。

恰好悪いぜ!

やっと摘発され始めたかと言う感じ。

ピストにブレーキをつけないのは、競輪場で協議中、ブレーキによる接触事故を起こさないため後ろのギアを固定しているのだ。
競技場を出れば自宅までの道のりには、仮ブレーキをつけて帰ったものだ。

それでも自分の過失が、競技をしている他のサイクリストに対しての責任を感じ、サイクリスト全般の質を疑われるような事がないように、迷惑をかけない様にと注意していた記憶がある。

ついでに言えば、
自転車を分解して袋につめ電車やバスで距離を稼ぐ「輪行」についても考えてしまう。
輪行という行為も同じ理屈で、いつも気をつけていた。

今は、無料ですいすいと改札口を通過していく。

久しぶりに輪行をしたときに、あれ!と驚いた。
当時(30年前頃)は、自転車は300円の手回り品切符を買って、手回り品扱いで、「特例」としてサイクリング協会員(競輪選手と)のみに輪行は許されていた。

もし乗客とのトラブルや事故があれば輪行という行為そのものが消滅される運命を常に抱えている時代だっただけに、サイクリスト一人一人の行動には常に責任感と自負がついて回っていた記憶がある。

最近のなんでもOK的風潮に、無軌道な人間によるモラル低下はサイクリング人気にも影を落とすのではと危惧を覚えるTONなのだ。

思わぬ贈り物

八月の終わりごろに来店されてブータン布製手作り経本の話をして行かれたラグーナ出版の方から小包便が届いた。

ちょうど1ヶ月。
http://http://http://ton.wp-x.jp/wp-content/uploads/image/ton.wp-x.jp/wp-content/uploads/imageblog/a/11245415.html

新しい商材との出会いということもあったけれど、精神科医に通う患者さんによる患者さんのための出版社と聞いていただけに、興味津々だった。

取引条件のお手紙だけかと思っていたのだが(見本本を1冊くらいはとは期待していたけど)、こんなに送っていただいた。

ありがたく頂戴し、昼休みに目を通してみた。

「綜合失調症」02年までは精神分裂病と呼ばれていた精神疾患である。
精神病の分野は遠い世界に感じていた。

いただいた本を読んでいると、まださわりしか読んでいないが、全国に31万人超の患者数があって行き場のない7万人の患者数が入院していることを知った。
人口の0.7%に及ぶ。

足を踏み入れられない世界と思ってのは無知からくるものだった。
実は心の表裏のようなもので、綱渡り的に正常?通常に見えるだけなのかもしれないとさえ思えてきてしまうのだ。

せっかくの御縁だもの。

もっとよく研究してみようと思わせてくれた。