墓マイラー

「墓マイラー」が静かなブームらしい。

墓まいり+er ということで、「墓参りする人」らしい。
旧知の線香会社の営業(これが横山やすしに瓜二ついつかご登場願おう)が教えてくれた。
日経の6月20日版の切抜きを渡された。

日経で話題にするくらいだから、ある程度そんな動きがあるのだろうけれど、初めての単語。
じゃあネットではどうだろうかと調べると一万件を越える。
さほどではないが、こんな新造語が浸透していることに驚いた。

墓参りといってもご先祖の墓を熱心にお参りすると言うことではないようで、歴史に登場する名のある方々、現在の有名人等々、古今東西の別け隔てなく見て回る。
しかも若い人たちに人気があるのだという。歴史もののブームはこういう形にも形を変えて顕れるのかな。

巡礼だって、僕の店で巡礼用品を取り扱い始めた頃には、明らかなマイノリティーだった。
写経にしても然り。そもそもの仏教にしても然り。だったもの。
考えれば今の若い人と言う場合、僕が店を始めたころの若い人たちはみな同年輩以上になってしまっている。その子供たちと言うことになるのだ。
時の移ろいと、人の興味は本当に変化するものだと改めて感じさせられる。

もっとも
人の死を深く見つめて、その本質に迫ろうと墓マイラーが動き出したというところまで行けば面白いと思うのだが。

勝負運がよくなるようにと、鼠小僧の墓を削って持っていく不心得者とまでは行かないまでも、花を手向け経の一環もあげてあげるくらいのことをしてほしいな。と思うTON店長なのであった。

せいろがん・・・昭和の記憶

朝、TON店長はおなかが下った。
たいへんな急降下ものだった。

お食事中の方がいらしたらごめんなさい。
そこで正露丸を久しぶりに薬箱の奥の方から探し出し飲むことにした。
鼻につく匂い。相変わらずのクレオソートの匂いだ。
若い人はもしかしたら呑むことなどできないのではないか・・・

考えると、正露丸は子供時代、手放せない存在だった。
なんてったって、昭和の時代の万能薬だったもの。

おなかが下れば正露丸。車や汽車酔いにも正露丸。
当時は寝冷えと言う言葉がまだよく使われていたような気もする。
(今はあまり耳にしないなあ)ちょっと調子がおかしければ、
「正露丸のんどきなー」
家庭の特効薬であり頼るべき存在だった。

胃腸のことは何がなんでも正露丸に行きつくことになっていた。
そのせいかこのクレオソートの独特の匂いがいつも生活の中に漂っていた。

ラッパのマークには大変お世話になった。

そのクレオソートが体に良くないのだとか、まことしやかな噂が流れた時期もあった。
けど、あの根拠はどうだったのだろうかな。

クレオソートの匂いにパブロフの犬(ブタ)状態のTON店長は、
匂いを嗅ぐだけで、おなかの中が固まりそうな気がするのだからたいしたものだと思う。

事実、もう調子はよくなりかけている。

それでもなお

20年来お付き合いのある問屋さんが閉店間際に飛び込んできた。
今日来店するとのアポイントもなかったからちょっと驚いた。
もっと驚いたのは、いつにもなく雄弁であって、切り口上であったことだった。

昭和一桁だし耳も遠くなったから声のでかいのは仕方ないにしても

「もう仕事辞める」
という。

80歳近い歳になって、仕事を受けるため人間関係を保つのに疲れたと言う。

「80歳近くて仕事ができると言うことはそれだけでも感謝でしょ。」
僕が言うと、知らん振りしている。

閉じた耳には届かなかった。

「でもここに来るとホッとするょ」

少し気を楽にして帰路に着いた。

いつか見た空

去年の暮れに足の骨を折った粗忽息子の足に埋っている金具をとるための再手術の打ち合わせに、朝一で赤羽の病院まで付き合わされた。

赤羽はやはり遠い。

半年振りの病院は8時の開始時間にも関わらず超満員状態でほぼ半日つぶれてしまった。

とにかく時間が有り余るだろうと、昨日買った船井幸雄の「資本主義の崩壊最終ラウンド」という本を持って行ったが、意に反して半分の時間は爆睡して過すことになってしまった。

8月の上旬に手術と決まって、愚息はため息を漏らしながら肩を落としていた。

きっとこんな心境かも・・・

そろそろ

ふと気づくともう一年もまともに自転車に乗っていない。
秩父を半分終えてからすっかりおとなしくなった。

僕の中ではママチャリは自転車のうちに入らないので、ロードかランドナーでの自転車ツーリングのことなのだが。

禁断症状が出てもよいのにこう長くじっとしていられるのは、朝のジョギングにエネルギーがそがれているからだろう。とも思う。

30年ぶりに復活したマイ自転車は、いつでも乗れるようにスタンバイ状態なのだけれど
乗らない二番目の理由がある。

握力が落ちた。
あきれるくらい落ちてしまった。
以前は一人で大型の仏壇くらい持ち上げていたのが夢のようだ。

要するに、握力が弱くなると言うことはつまるところブレーキの効きが悪苦なることを意味している。
最近のブレーキシステムは30年前と全く異なっていて、自動車で言えばパワーブレーキみたいに僅かな力で大きな制動力が得られる。

僕の時代の自転車は、人の力:制動力が1:1、下手すれば、1:0.5なんていうのもざらにある。
よくこんなブレーキで山道を70km80kmで下っていたものよと驚く。今にして思うと。

独身時代とい身軽さもあったのかもしれないが、スピードがとにかく怖くなかった。
何キロ出ていようが砂利道だろうが、すっ飛ばしていた。

こぶし大の石があろうが、大穴が口を開けていようが平気のへいちゃらだった。のにー。
変われば変わるもんだ。とあきれる。

以前、子供たちと伊豆修善寺のサイクルスポーツセンターの山周りコースを走ったとき、貸し出しの慣れない車と言うハンディーもあったけれど、子供らは親の心配をよそにノーブレーキで急な下り坂をすべり落ちていった。「怖くないんか!」心で叫んだ。

今の自転車で巡礼を一回り終えたら、最新の自転車を作りたいなあ。

もちろんブレーキ操作の楽なやつで。

最近・・・

最近仕事を家に持ち替えても、玄関のドアを閉めて荷物を降したたとたん、もうかばんを開ける気力がなくなる。

持ち帰らなきゃいいじゃんと思うのだが、持ち帰らないといけないかなと焦燥感を感じて、つい重いかばんになる。

けど、家に帰ってしまうと、バッタンキューとなってしまう。

このくりかえし。

そろそろ見切りをつけなきゃと思うのだが・・・

諸行無常

仙台に住む叔母が亡くなったと姉から連絡が入った。
おまえどうする?と聞くから、「明日母を車に乗せて行ってくるわ」
と応えた。

叔母さんといつも言っていたが、正しくは祖母の妹にあたるのだから大叔母ということになる。

90歳をとうに越えているのだから大往生と言えば言えなくもないが、やはり寂しい。

青春時代は、熱烈な恋をして、恋人を追って阿武隈の山を越えて駆け落ちを企てた。
寸前に捕まえられ泣く泣く戻された武勇伝?をもつ血気盛んな女傑でもあった。
彼女を見ると竜馬の乙女姉さんとダブってしまう。

僕は幼年時代、あまりの虚弱体質に周りから心配されて、この家に預けられた一時期がある。

めっぽう男気の強い叔母ではあるが、同時にすこぶる情の深い人でもあった。
自分の子供と変わらず怒り愛し励ましてくれた。

田舎の水と空気と愛情に育まれて、数ヶ月の田舎暮らしではあったけれど、ものの見事に虚弱体質のキョの字も感じさせない悪がきになっていた。

母親が迎えに来たときそれが誰だか忘れるほど田舎に溶け込んでいた。
(単に薄情なだけかもしれないが)
もしそのまま田舎においておかれたならば間違いなく、別の人格の僕に成長していたことは間違いないだろうと思う。

そんな叔母も夫を先立たれてからは目の病気を患いついに失明し、30年来ひっそりと田舎家に暮らす身となっていた。

逝くことは、順番であるのだ(順番で逝ける事はある面、幸せなことでもあるのだけれど)、もうそこにいないのか・・・。諸行無常というけれど、なんだかとても不思議な思いに駆られる。

ずっと以前から、TON店長は、マイナーな自分の「姓」を求めて俗に言うルーツ探しと言うことに手を染めた・・・というかいまだに継続中である。

偶然(仏教的には必然なのだが)仕事先で回った土地にマイナーな自分の姓が履いて捨てるほどあったことに驚嘆したのがそもそもの発端だった。

その興味の輪は、周辺に拡がっていった。

出張で行く先々でまず挨拶代わりに行なうことは、電話ボックスに陣取るのだ。
何をするかと言えば、50音別電話帳の「に」のページを開けて同姓を舐めるように探す。
全て書き写して持ち帰る。電話ボックスは貸切となる。迷惑な話だ。
隣県に同族と思われる人々が多くいることも知った。

お墓はまず黙って横切れない。
必ず一基一基覗き込んで墓標まで確認していた。
そんな興味が高じてお墓の仕事につこうとは思いもしなかったが・・・

そんなことが20年は続いただろうか。

おぼろげながら、分布が見えてきた頃にインターネットが普及し始めた。

ネットにルーツ探しのホームページを見つけ、苗字探しをライフワークにしている人たちの多さに驚いた。

あるサイトに出会い、全国の電話帳データベースを利用して僅かな金額で調べてくれることを知った。
依頼した次の日、添付メールが届き、全国の世帯数と分布をあっけなく知ることができた。

おかげで丸の内にあるNTTのセンターに行って暫く篭城する計画は中止となった。
二十年かけて未完の作業が一晩で終了した。ちょっとばかりつまらなくなった。
インターネットの怖さも感じた。同時に何かができそうな期待感も生まれた。

マイナーと思われた僕の姓は、全国に約3500世帯の同姓がいた。

今まで自分の研究成果以上の発見は、兵庫県の明石市に極端に多く分布していることがわかった。なぜここに多いのかは今もって解らない。
同時にその地方の方々が揚羽蝶の平家紋を使用していることも知った。
ふ~ん。兵庫県か。

実は神戸の付近には一方ならぬ深い縁があったのだ。

子供の頃のことゆえ今はどこにどうしているものやら所在も生死すらも不明なのだが。
いつか見つけてみたい人がいた。

そんな意識を持ち始めてからやたらと西に縁ができた。

縁とは不思議である。
出逢う人出逢う人、慕わしくて仕方がない。

原因があるから、結果がある。
もしかしたら、ご先祖が随分とお世話になっていたのかもしれないな。
冗談交じりに聞こえるが案外本人は真剣だったりする。

どういう縁に触れて、どういう結果に誘導されるのかはわからない。
けれど、とにかく僕にできることは、今を最良の出会いと感じて、最善を尽くすだけ。

そう思いながら出逢わしてもらう。
何とも言葉にできないほど実に楽しい。

今日はどういう縁のつながりなのだろう・・・
と思いながら次の出逢いを期待する。

ひさびさ

テレビ東京のガイアの夜明けを久しぶりに見過ごさず(寝過ごし)にすんだ。

http://www.tv-tokyo.co.jp/gaia/backnumber/preview090609.html
見なさいとばかりに上さんがチャンネルを回したのだ。
(今は回すといわないかな)

自転車がテーマだった。
通勤族に自転車が見直されていること。
自転車のユニクロ「アサヒ」の躍進のこと
アシスト自転車が原付の販売台数を上回ったこと
新システムの駐輪スペースのこと
などなど興味に尽きる内容だった。

ただね・・・

抜本的な自転車が既存の交通体系の中でどこを占めていて、現実どうなっているのかという投げかけがなかった(エピローグに一言だけあったけど)ことは残念だった。

もちろん自転車乗りからすれば、自転車は軽車両であって、車道を走り都市間交通の一助と思っている。

でも自転車を操作するほうにどれだけ意識をもって乗っているかと言う意識の格差は、ことを複雑にしている問題と思う。

交通マナーの問題で取りざたされる事だって、低速車と高速車をニ系統で考える所までいっていないし、実際の自転車レーンの問題だって、どうみても付け焼きとしか言いようのない姿に映ってしまうのだ。

朝のジョギングコースでも自転車を猛スピードで疾走させてくる通勤族の猛威にさらされている。いつかぶつかるぞ。

もうそろそろ行政も本腰を入れるときなのじゃないのかな。