変わったあ

表参道に足を伸ばした。

何年きてなかったろう・・・
同潤会アパートが取り壊されてからは全く来ていないから
10年以上ということになるか。


浅草のおじさんが来る所じゃなくなったみたい。

それでも一本道を入れば、閑静な住宅街はそれなりに残っていて喧騒さは逃れられる。
お客様商売していながら、人ごみは好かないのだから矛盾しているのかもしれない。

お坊さんの紹介で、創作家具の職人の個展に出かけたのだ。

こんな仏壇も洒落ていていい。


素朴な無垢材を使用して堅牢に造られていた。
さすがに家具職人の作だ。

浅草考

ここ最近自分の中のトレンディーは、なんといっても浅草の歴史。
兎に角かなりの時間を割いている気がする。

もともと歴史(日本史)は大がつくほどのめりこんで好きな分野だし、
仕事の一環で戸籍や過去帳も調査してきたし、それこそ墓石の設計依頼を受けて、菩提寺廻りも長い間携わってきた関係で寺院やお墓はそれこそ好奇心に磨きをかけるよいきっかけになってきた気がする。

調べれば調べるほど浅草の歴史は面白い。
貴重な物証は、残念ながら明治の廃仏毀釈と関東大震災、そして先の大戦で焼け野が原になったこともあって致命的に失われてしまった感もあるのだが、そこにロマンが生まれる要因もあるのかもしれない。
研究の余地がいくらでも残されている気がする。

のめりこんでいくに従って、それに比例して、
浅草寺日並誌など貴重な蔵書も手元に増えてきた。

蔵書名でお気づきのとおり近世の浅草文化史というのではない。

僕の関心事は、ただただ浅草寺篤信者第一号である土師中知つまり浅草神社で祀られている一之宮と浅草の曙のことに尽きる。
何しろ伝説的な部類の話しが実歴史をオブラートに包んでしまっている。
そこがまた神話っぽくて面白くもしてくれてはいるのだけれど。

浅草の語源にもなったという説もある藜(あかざ)の生い茂る湿地帯。
それが推古天皇36年当時の浅草の姿だった。
浅草観音を海中(浅草浦)から網で拾い上げ祀ったといわれる藜堂。
10人の童子の手によって庵は造られた。

藜堂の位置は二つの説がある。

一つが現在、戒殺碑の残る駒形堂がそれであり、
いま一つは、「一之権現社」として今の花川戸公園付近に近年まで存在した、
顕松院という浅草寺の一院であった。

残念ながら顕松院は明治中期に廃院となってしまい、自動的に藜堂も消滅した。

史跡(観音像を始めて祀った場所)としてこれほどまでに重要な堂であったにもかかわらず、いくら廃仏毀釈の嵐の中とは言え、何故、石碑ひとつ残さなかったのか不思議でならない。
そういう意味では駒形堂が藜堂の跡地である可能性が大であると思えてならない。

江戸期には三社祭りも今とはだいぶ様相を異にしていた。
船祭りとしての三社祭りの形態をとっていた。

浅草寺を出た神輿は浅草見附(浅草橋)まで渡御され大川(隅田川)に出る。
そこで羽田在住の猟師たち(先祖は浅草寺周辺の大川で漁をしていた)の漕ぐ舟によって川を遡上する。行き先はもちろん昔、浜成、竹成兄弟が観音像を掬い上げ上陸した地点である。

その地点が二通りあったという説に従って、上陸地点もそのとおりに行なわれていた。
駒形堂前から上陸する年と一之権現から大川に突き当たったところの舟付き場(東参道を東に隅田川の突き当たり)から上陸する年と二箇所を交互に行なわれていた。

二通りの説を江戸の人々は素直に信じて実行していたことになる。
実におおらかなものだ。

一之権現があるなら二、三之権現もあったのだろうがこちらは、はっきりしないようである。

そして藜堂造庵に加わった十童子も十社権現として浅草寺北側に江戸末期まで存在し、信仰を集めていた。

しかも、その末裔も浅草に代々連綿と続いていた(明治期まで嶋田家初め7家系確認できたという)のだから驚きである。

40年ほど前の毎日新聞の特集に浅草の歴史を特集した記事を発見した。

そこには、明治の廃仏毀釈がいかに凄まじく、国策として問答無用に寺院つぶしの嵐として我がもの顔に吹きまくられたかが記されていて、興味深い。

浅草寺と対を成していた浅草権現(今の浅草神社)を大鉈を振るって切り離したいきさつ。

代々浅草寺を守り続けてきた土師中知の子孫であった専堂家もここに消滅したいきさつ(ただし直系ではなくなったが傍系として守られてきたこと)。

代々秘仏として守られてきた観音像を時の権力で開扉させられたこと。
その調査官一行のその後の悲惨な末路など、寺と官権との攻防は、後世に語り伝えられねばならない事として山とあると感じた。

横道にそれたが、僕の店が立地する雷門2丁目18番地先は土師長夷(土師中知の末孫)の屋敷があった場所に位置する。

土地の古老ですら、記憶にない。しかしこれも立派な文化史跡なのである。

文化史跡が浅草には溢れている。

正しくは「溢れていた」なのだが・・・
黎明期のものは地中深くに眠っているだろう。
中世から近世のものは、先の大戦でことごとく消滅したように見えるが、どっこい無形な姿で残されている。

明治大正昭和の急激な近代化の中で吸収していった外来文化を花開かせたのもこの浅草の一面ではあるのだが、その陰に1400年以上続いてきた歴史が土台としてある。
これがまた浅草なのである。

だからここ浅草は懐が深いのだとも感ずる所以かもしれない。

ようやく

毎日カレンダーに朝の体重と体脂肪を書き込んでいる。
もちろん、歩くか走るか体を動かしてからの作業なのだけれど。

1月28日つまりお不動様の縁日から始めたから、今日でちょうど4ヶ月続いたことになる。
脳内麻薬が出るようになったのか、朝の空気が気持ち良いためなのか、こんなに走ることが続いた経験がなかっただけに楽しい。

何たって、小学校の校内マラソンの練習中、全校生徒を前に校庭の真ん中で堪らず吐いてのびて、一躍注目を浴びることになったことは、子供心に深く傷ついた。
そんなだから余計楽しいのかもしれない。考えると心的傷は随分としつこく直りにくい傷だと思う。

ただ、今月6日に足を痛めてしまう。
左ひざに端を発し、わき腹、右腿、右腰と連鎖反応的に崩れる。
体って絶妙なバランスでもって保っているんだなと学ばせてもらった。

そんなわけで今日までろくに走れなくなっていた。
精神状態は最悪だ。
気持ちの上では消化不良を起こしていたことになる。

外に出ると小雨。
ストレッチをするとあまり痛みがない。よし。今日は思い切って行ってみよう!短い距離だけど桜橋までの往復をゆっくり走ることにした。
多少右足を引きずりながらも完走できた。

え~と、これで体重で-6.2kg体脂肪で-6%。
ピスト(競輪用自転車)一台を肩から降ろした勘定になる。

さて、もう一台降ろさないといけないな。

床屋のはさみ

祭りが終って気持ちの切り替えに1000円床屋に出かける。

ここ最近、あっちにもこっちにもこの手の床屋が浅草にも姿を現しつつあるけれど、
僕は決まって吾妻橋を渡って雲子ビルの根本に行くことに決めている。

1000円で整理券を受け取り、数分待つことになった。
暇そうにしていた髪ぼうぼうの長男を引っ張り出してつき合わせたから、逃げられぬよう奴を先に席に着かせたから、少ない店員のここでは、こういう状況になるのは必然なのだ。

女の店員さんが気を利かせて前の人をすばやく終えてくれた。
僕は正直なところ男性店員のほうが気に入っているから、後でもよかったのだが。

そうとはいえないもの。

席に着くと即チョッキンチョッキンと髪を切り出した。
刈ってもらいながらも、やはり男性店員の順番を待てばよいと後悔した。
恐る恐る髪にはさみを当てるとでもいうのか、思い切りがよくないのが髪を伝わって解るのだ。

上さんにこんな話をすることはできない。どうせ・・・
「細かいんだから」と馬鹿にされるだけだから。

でも、刈られる側というのはそんなものなのだ。

はさみの音ひとつで、感情やキャリアや体調が伝わってくるものなのだ。
うまい人、元気な人、地震のある人が刈ってくれたあとは、多少下手でも店を出た後気持ちよい。
そんなことを期待して床屋に入る人もあまりいないかもしれないけれど、僕は子供の時からそうなのだ。

だから、

「刈る側」と「刈られる側」、原因者と結果者とでは違うものなのだ。

とまれ。
よく考えてみると、僕も店で販売や念珠の製作をしている立場で、同じことをしていないだろうか

理容室ばかりにあてはまるのじゃないものな・・・

かゆいところに手が届く、お客様のニーズを満足してもらえる販売、製作ができているだろうか・・・

気づかせてもらった・・・。

一之宮商店会のデビュー企画

わが雷門一之宮商店会の誕生祭を5月16日、17日の
三社祭りにあわせて行います。

100mの短いアットホームな商店会ですが、
盛りだくさんの催しを企画しています。

梅后流江戸芸かっぽれの100人踊りが見所です。

お囃子は去年も・・・

皇乃会による和太鼓。

そして演歌歌手のお二方も応援にかけつけてくださるとなると・・・


一の宮志乃さん。
一之宮つながりなのです。
しっとりとした歌を聞かせてくれます。

永峰ゆう子さん。
「三社祭」の歌が威勢が良くていい調子です。

さあ!
あとは頑張らなくちゃあ!!

となるのです。

タイムスケジュールは明日アップしますね。

迷う

もう来週は三社祭り。

先駆けて神田祭が始まる。
http://www.kandamyoujin.or.jp/kandasai/h21/index.html

「御仮屋すごいから見ておいでよ」との声に、じゃ見てこなきゃ・・・
とばかりに腰を上げているうちに電話がなって目黒の若旦那じゃないの。

「阿修羅展よかったですよ」
「阿修羅もよかったけれど、もっとよかったのは当時の念珠が展示されて・・・」
当時の技術の高さとほうぐに対する職人の心を語ってくれた。

ふ~~~む・・・

http://www.tnm.jp/jp/servlet/Con?pageId=A01&processId=02&event_id=6113

さてどうしよう・・・

寝返り

夢の途中で屋根から落ちる。谷に落ちる。
ガクッと来る事がホントにまれにではあるけれど数年に一度くらいに起こる。

生きた心地がしないガク!なのである。
目がさめて、夢で良かったと正直に思う。

夢的にはあまりよくないと聞いた事があるけれど、
生きていることに感謝できるのだから、僕的には良しとしている。

どうも昨夜無理に寝返ったのか、腹筋を痛めたみたい。
肋骨でも折ったかと思うほど左側のわき腹に激痛が走るので起き上がれなかった。
そういえば、寝ながらグキッて遠くのほうで聞こえたなあ・・・
おかげで朝も走れないし、歩くのもおぼつかない。

これこそ夢であってほしい・・・と思うのである。

変化する香り

お線香にしてもお香にしても製作工程は、母材であるたぶの木や炭を粉状にしてそこに香りの元である香料を添加して作る。

天然香には、金より数倍高い!と高価な材料の代表格として知られることとなった伽羅を初め、高騰を続けている沈香、白檀、などの香木素材に漢方の薬種を練りぜて作る。人工香料を練り混ぜて作る安価なものまでさまざまである。

時々前の時と香りが違うとお叱りを受けることがある。
「なんで違うんだ」
というのである。
まさしくごもっともなご意見と丁寧にお受けさせていただく。
ご意見はご意見として心からありがたく思う。

香を扱うものとして、知っていただきたいこともある。
あまり線香メーカーは口にしないのだが、
彼らは、血のにじむような努力を続けている。
何のどりょかかといえば、もちろん香りの努力に違いないのだが、不安定要素に対していかに安定させるかということなのだ。

人工香料を使うものならば、まだしも(それでも母材は「たぶの木」という天然素材で香りは不安定)天然香料の香りは、文字通り天然なのである。

100木あったら100木の個性がある。
一本の香木でも部位によって全く異なるのである。
副素材の丁子だウイキョウだとした漢方薬種においてもその収穫の年々で香りは異なる。

そうしたおてんばな素材をつなぎ合わせて、イメージに合った香りに近づけるのである。
代々伝わる調香表なるものが、各メーカーには残されている。要するに香りの設計図であるが、門外不出のお香屋の命である。
それを元に香りを組み立てる。

しかし先ほどのとおり、素材は刻々変化する。
その不安定な香りを均しながら、安定した香に仕上げていくのである。
そして最期の味付けをするのは人間の感覚なのであるが、このあたりになると神業としか言いようがないと僕は常々感じるところだ。

同時に、しばしお使いいただく側にもいくらでも不安定要素は考えられるのだ。

季節、気温、湿度、空気の流れ、部屋の状態、部屋の匂い、
香の形、燃え方、燃やし方、保管の仕方、保存期間、
本人の体調、心の状態、etc.エトセなのである。

いい例が、
料理が毎度毎度美味しいと感じるだろうか。
お酒がいつもいつも美味しいと感じるだろうか。
食べる側がデスクワークして食べるのか、スポーツや労働のあとで食べるのか、はたまた病み上がりで食べるのか、体調いかんによって、またその時の環境はどうなのか、ムード溢れるロマンチックな中で食するのか、家事や仕事に追われ、文字通りせわしない中で食するのか、それこそ感情いかんによって味は七色変化するのである。

いわんやこれほど感情と直結している鼻という人体の器官が、常に同じセンサー値を出せるはずがないのである。

香の道をたしなむ者やパフューマーなどプロの香り師として常に安定させるために体調管理に怠らないことを知っている。

ちょっと頭の片隅に「香りは変化する」とだけ残しておいて欲しいなあと思うのである。
香りこそ「無常」なのである。

どう生きるか

1年で10年肉体が衰えるという難病のカナダの少女アシュリーさんが18歳の誕生日を目前に亡くなられた。と、今朝の情報番組で知った。

http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00153634.html

何度かテレビでドキュメントが流されたりして話題をそのつど示すこともあったが、めまぐるしい今の世の中、記憶に残ることは少ない。
しかしそんなこととは関係なく、本人もそして母親を含む回りの人間も現在進行形で、難病と闘っておられたのだなあと、今さらながら感ずるのである。

彼女の持つ難病はプロジェリアといい、800万人に一人という、遺伝子レベルでの難病のようであり、まだ根本原因も治療法も突き止められていない。

彼女と同じ病を持つアメリカの友人ジョン君(故人)は、レポーターの質問に、
「人生はどう生きるかなんだ。長さは重要じゃない」と話した。
また、アシュリーさんも「死ぬことは覚悟している」とも。

心を打たれた。