記念品になるか・・・

横断旗としてせっかく装飾用に作ったのだけれど、いざ現場で作業してみると、うまく設置できないのがわかった。残念。

しかたない。今年は、当日の来場者の方への記念品になるか・・・

白髭橋まで

今朝は、折り返し地点の桜橋でつい曲がらず、橋からいつも横目に見て、いつかあそこまでと思っていた上流の白髭橋に向かうことにしました。

桜橋までは、公園の様相で施設も整備されてきれいなのですが、上流域は昔ながらの堤防が2mくらい聳え立つ脇の小道。まったく表情が異なりました。

高速道路下という恵まれた?環境のためか、ブルーテントの住人が多く住い、女性一人ではちょっと恐いかな・・・などと思いながら気が付けば白髭橋に到着。

帰りついてから何キロ走ったのか調べたくなりました。

ネットを調べると、
ジョギングシュミレーターちゅうものを発見しました。

http://42.195km.net/jogsim/
便利な世の中です。

で、足取りを書き込んでっと。住いから駒形橋そして白髭橋、で復路。
調べてみると、今日のコースは5.8km
いつものコースは3.3km

ふ~ん。
ごはん一杯分の消費量だって・・・

いつかの空

ちょうど30年前の今頃の季節。
ところは・・・

小野小町のふるさと。
といわれている福島県小野新町。

国鉄の看板が今は何とも懐かしい。

仲間何人かと夜行で駅に降り立ち、なだらかな阿武隈を走った時のもの。

自分の自転車は友人に貸して手元になかったものだから、
急きょ競技で使っていたロードレーサーに泥除けを無理やりくくりつけ使用した。

ツーリングだからと思い、チューブラのタイヤより扱いやすいと思って、出始めたばかりの国産の700Cを使おうと、ホイールも組みなおし出かけた。

しかし、現実は無情だった。

何しろいつものような無茶な走りをすると、ちょっとした未舗装(僕らは地道といった)に出くわすと、パンクにつぐパンクで、何度足を止めざるを得なかったろうか。

ダウンヒルの爽快さも、地道の楽しさも感じるゆとりもなく注意深く路面の凹凸を気にしなければならなかった。

友人たちにも終いにはあきれ果てられ、肩身の狭い思いをした。

「オーマイゴット!」と叫んだかどうかは覚えていないが、
その度に、宙を見つめた。

空は蒼かった。
すこぶる清んだ春光の波に鯉のぼりがはためいているのがとても印象的だった。

何かあると、空を望むくせは、
もうこの頃には、僕の中にしっかりと根付いていたようだ。

それにしても
また行きたいなあ・・・

人の振り見て・・・

定期健診を受けてきた。

なんだか随分ひさしぶり。
採尿、検便と朝一で採ってっと・・・
緊張して、朝の4時に目がさめてしまった。
なんとチキンハートだろう。我ながら呆れる。

はじめてバリウム飲料という未知体験に挑戦。
会場外に停めてあったレントゲン車に入ると、異様な感じ。
挨拶がない。
初対面なんだよ。

黙ってカルテを受け取る。

「初めてなんですけど」
「・・・」
無視?

「これ飲んで」って炭酸ジュースの元のような粉を手渡される。

昨夜から水を飲んでいないし朝走ってきたから口の中はからから。
つばが出ないのだ。

「早く飲んで」
って、どう飲むの?初めてなんだよ。

半分口に入れてみる。
ジュワーッと発泡するのを待って飲もうとしたが、飲めるものではない。

「いいから全部口に入れなさい」

しかたなくぱさぱさの口に残りを入れる。
のどに引っ掛かってむせようとすると。
おもむろに水を出す。

(水があるなら始めから出せよ・・・)
言いたい所をグッとこらえる。

「はいこれを飲んで」
と、コップいっぱいのバリウムらしきものを渡す。
「ゲップしないように飲む」

まず一口。濃い豆乳みたい。
そう思えばなんてことない。
一気飲みした。

診療台に転がって、あっち向いたりこっち向いたりと、胃の中をかき回し、ゲップを堪えて・・・

終了後、下剤を渡されるが、これがまた混乱。
聞く人、聞く人みんな違う答えを言う。
「すぐ飲みなさい。バリウムがおなかの中で固まっちゃう」
「出なければ飲みなさい」

????

結局夕方に飲んだ。
しかし、ゴロゴロもグルグルも何の一声も兆候がおきない。

夜中の12時過ぎに白いものが普通の形で出た。
下剤の効果は?何ともない。

で今朝、変わらずジョギングに出る。
帰り道、あと300mで我が家。というところで・・・

グルグル・・・ギュー・・・

え!

グルグルグルグル・・・

今更・・・

なんで!

という訳で、青い顔して(たぶん)飛び込んでぎりぎりセーフ。
実に実に検診に振り回されっぱなしの一日でした。

ジンクス

26日は朝のジョギングの最中は雲の多いお天気であったけれど、なんとか持ってくれていたが、ぱらついてきてしまった。

当日は仏壇の納品が午後に予定されていたので、通常ならば心配するところだ。

が、が、店を開いてこの方、仏壇の納品に(墓石も含めて)雨に祟られたことは一度もないのが僕の自慢?なのである。

嵐の日に収めたこともある。
何もそんな日にと言われる御仁もいらっしゃるかと思うけれど、どうしてもその日しかダメというお客様もいらっしゃるのだ。

で、しかたなく叩きつける雨と風の中納品先に向かう。
お客様の家を数百メートルという時になってワイパーのスイッチを切った。

仙台まで納品したときもそうだった。
東北道は、ずっと雨。
だって台風が追いかけてくるんだもの。

早朝に仙台について、仮眠して向かうことにした。
目がさめると陽光がまぶしかった。
台風一過の日本晴れ。

虹まで見せて歓迎してくれる。

そんなことはざらにあるのだ。
雨男の僕が雨の神様を引き寄せるのかもしれないけれど・・・
先祖のお家を新築するのだから、皆(ってだれだって?)きっと喜んでくれているのだろう。

だから仏壇の納品となると天気の心配はしたことがない。
いつも安心している。

僕のジンクス・・・
今だ破られず。

どう生きるかだなあ・・・

テレビで藤野高明さん(70)のことを知った。

両眼失明、両手とも手首から先がない。

終戦間もない子供時代、河原で拾った金属筒が不発弾とも知らず、遊んでいるうちに爆発。
共にいた二歳年下の弟の命を奪い、自らも二重苦の身体となった。

腕のない氏は盲学校からも拒否された。
指先が使えなければ点字が読めないからだ。

ある日、ハンセン病の患者さんが唇で点字を読むことを知った。

彼は一念発起し独学で唇で点字を読む訓練をした。
二十歳を過ぎてようやく盲学校中学部に編入した。

現在、聾唖学校教師を務めあげ第二の人生を講演活動などに送っている。

そんな氏が、人生を振り返り、
「自らの人生は人に支えられ感謝できる人生だった。生まれてきてよかった」と語る姿に涙を禁じえなかった。

http://mainichi.jp/universalon/clipping/archive/news/2009/01/20/20090120ddm012040005000c.html

http://www.jp.onkyo.com/tenji/fijino_sakuhin.htm

東京マラソン私考

東京マラソン当日にも少し触れたが、
自分なりにマラソン効果を検証してみたくなった。

主催者ではないので数字的なものはつかんでいないのであくまで主観的なものである。

35000人という人数を1200万人の首都を交通規制して決行するということ、
その大人数を大きな事故なく何事もなかったかのように終われるは、大したものだと思う。敬意を評するに値する。

42.195kmを走らんとする応募者が3万5千人の枠をはるかに越えた。ランナーに選ばれることすら難しいと聞く。
健康志向を反映しているためだろうか、ランナーがこれほどまでに多かったのかと改めて驚かされる。

考えるに、都民が参加者の何パーセントを占めるのだろうか。
ランナーにとって首都東京を走ることは、やはり楽しいものだろう。
しかし、願わくは、

「都民がひとつとなる」と謳う以上、ランナーの選出に多少の優先順位を設けてもよかったのではないだろうかと思った。
つまり東京在住、在職者を優先して走ってもらうということだ。
ランナーに差をつけるのは申しわけないがそれくらいのローカリティーさもあってもよいように思う。

まあとにかくランナーを軸にして沿道の協力体制、は大したもので「都民がひとつとなった日」と大方の人は認めざるを得ないのではなかったのかと思う。
参加者に対する応援熱にはすばらしいものがあった。
日本人の他者への奉仕心を再確認される。

経済的波及効果はいかに。
人が集まればそれ相応のお金を落とすものだ。
参加者とその応援に回る家族、知人友人。
沿道に押し寄せる応援の人並みはいわずと知れたこと。準備に要した延人数と経費。一年をかけて準備に怠らず次回を準備しているのだ。

走る側、見守る側、双方が感じる都市景観への再確認。
日ごろ車目線でしか見つめない幹線道路も江戸時代さながらの速度と目線で見つめると警官はまるで違って見えてくる。
これは都市再生のための人々の認識のベースになるのではないかと感じる。

「東京もいいじゃない」東京は私のふるさなのだという思いの定着。
「花咲き花散るよいも、銀座の柳の下で・・・♪」
東京を多くの人が前向きに捕らえ、愛した時代はいつまでだったのだろう・・・

交通規制の厳格さとスピーディーさはたいしたものだ。
ただ、この部分は日本人の生真面目さが良くも悪くも出てしまう。
一度方針が固まるとファジー部分の入る余地がなくなるから、不停止ならあくまで不停止、一方通行ならあくまで一方通行、通行止めならあくまで通行止め、軍隊の隊列の中にあって軍事境界線に行くような気持ちである。催事そのものが極端に窮屈に感じてしまうのは僕だけだろうか。

好き勝手に書いてしまったが、企画側は大変だったろうと思う。
でも地元も大変だったのだ。
でも大変だ大変だともしお互いが思うだけならば、いっそ辞めてしまったらいい。

0から1にひとつ駒を進めたことは、偉大なことだと思う。
必ず大きな実りを見せるのだと、主催側と受ける側のお互いが未来を信じて、次の一歩を積み重ねることが大切なのだと思う。
そのためこにはベクトルをあわせていかないとダメだよね。

あるがままでラジオ出演

ひょんなことからラジオ番組にゲストで招かれた。

残念ながらというか、よかったというか、東京周辺では聞けないという。
団塊の世代に向けての応援歌のような番組で「おやじの時間」という。
仕事のこと、趣味のことを促されるままにしゃべらせてもらった。

何しろスタジオなんて始めての経験。しかも見学ではなくて出演して録音されるのだから要領がちょっと気分が違う。全然わからないしね。

ある程度打ち合わせを兼ねた雑談をした。ぼくにはこれがすでに本番かと思っていたのだが・・・
その後「じゃあ本番行きまーす」だって。

雑談中に要旨を話しちゃった。
あと何を話せばいいの?
またくり返すの?と思うとゲップ・・・

と、思いきやパーソナリティーの質問は、実に上手かった。
さすがにプロは違うと感心しながら、リードされるままに語らせてもらった。

二週間分を録るのだという。前半が仕事の話し。次の週分が趣味の話し。もちろん自転車談義に他ならない。

終了時、「あっという間でしたね」と話されたが
僕にはえらく長い夢から覚めた感じだった。

東京では聞けないからとプレゼントされたCDは、かばんに入れたままほとぼりが冷めるまで封印しよう・・・


左がパーソナリティーの船橋さん。
右がTONちゃんね。

青森放送  3/14・21(土)6:30~7:00
西日本放送 3/14・21(土)8:00~8:20
大分放送  3/15・22(日)6:10~6:20
北海道放送 3/15・22(日)5:00~5:10
岐阜放送  3/19・26(木)19:00~19:30

ディレクターの秋元さんCDありがとうございました。
しばらく封印ですが・・・

子供の頃は都会に降る雪をどれほど待ち望んだことだろう。

ちらりほらりでも降ろうものならば狂喜して走り回ったものだ。

今は・・・
降るなよ・・・
積もるなよ・・・

全く勝手なものである。

ただ、決して年齢ゆえにどうこう変化したものではない。
立場と責任が変わるだけで同じものを見ても感じる心は変化する。

人の心のなんと微妙なことよ・・・