墨田公園内の大寒桜です。
まだ寒そうに咲いていました。


満開


この雨空ではね・・・

みぞれだよ・・・
TONちゃんの勝手な思いをいつも考える、お客様のこと、浅草念珠堂のこと。。。
墨田公園内の大寒桜です。
まだ寒そうに咲いていました。


満開


この雨空ではね・・・

みぞれだよ・・・
どの香りが好きですか?
そう聞かれて目の前に置かれていたパフュームの瓶をいくつも鼻を近づけてみた。
何やら甘ったるいの、辛っぽいの、フルーティーなの・・・
これがいい。
そこには#30と書いてあった。
席に戻ると同席の者曰く、ピーチの香りね。
ピーチ・・・
で、目が覚めた。
たわいもない夢なのだけれど、生まれて始めての出来事だったのだ。
夢の中で香りをはっきりと認識したのは初めて。
ついこの間は、初めて味を認識したし。
次は何を認識させてもらえるのだろう。
出かけようとしてドアノブに手をやると・・・

ヤダ!
行くな!
そういってもね・・・
錯視のパターンを試してみた。
まんまと全てに騙された。
自分も普通の人だったなと思うのだ。

どちらが太ってるの?

どちらが長いの?

こんなにあります。
http://www.psy.ritsumei.ac.jp/~akitaoka/catalog.html
人の視覚・・・
奥が深いぞ・・・
NHKの小さな旅をたまたま見ていた。
昨年12月江ノ電が難病で10年前江ノ電の運転手になる夢を見ながらも他界した少年のために運転士の辞令を出したことを知った。
朋(とも)君、天国で思いっきり走ってください・・・。
江ノ島電鉄(神奈川県藤沢市)は22日、「運転士になりたい」という夢を持ちながら10年前、難病で亡くなった少年(当時16歳)に運転士の辞令を発令する。
少年は亡くなる4日前、運転席に試乗してハンドルを握る夢をかなえたが、毎日新聞神奈川県内版で当時のいきさつを知った深谷研二社長が
「ぜひ夢の続きを」と、本物と同じ辞令書を少年の父親に手渡すことにした。少年は東京都大田区の会社員、新田和久さん(56)の一人息子で、先天性心疾患「拡張型心筋症」だった朋宏さん。
4歳の時に母親を同じ病気で失い、約11年間、同県茅ケ崎市の施設で育った。
見舞いに来る和久さんとよく江ノ電に乗り、「大きくなったら江ノ電の運転士になるんだ」と語っていた。試乗は容体が悪化した98年11月11日、江ノ電の全面協力で実現した。制服、制帽姿で運転席に乗り込み、運転士の後ろで全線の旅。
その後、検車区で「タンコロ」の愛称で知られる108型車両のハンドルを握り、運転士と一緒に動かした。
当初は反対していた関東運輸局(横浜市)も「聞かなかったことにする」と黙認したという。10年後の今年10月、和久さんの知人で東京都品川区の塾経営、石井彰英さん(53)が感謝の気持ちを込めて江ノ電の精巧な模型を同社に寄贈。
これを報じた12月3日付の記事を読んだ深谷社長が「他の仕事を休んででも、早く朋宏さんに夢の続きを」と職員に指示した。22日は、江ノ島駅(藤沢市)で辞令を交付した後、利用客のボタン操作で動くように改良した模型電車の出発式もある。
和久さんは「ここまでしてくれた江ノ電を(将来の夢に)選んだ朋宏を褒めてあげたい」と感激している。
テレビを見ながら、法規を弾力的に運用(無視)してOKする運輸局も粋だし、少年のそして家族を失った父親の心に灯火を灯した江ノ電もいい。
なんだろう・・・
企業の動きとしては久しぶりに感動した。
WEB2.0的企業とでも言うのかな・・・
http://www.47news.jp/CN/200812/CN2008122201000133.html
新聞を読んでいると、最近体温が36.5度の平均体温に至らない低い体温の人が増えているのだとか。
人間、体温が1℃低下するだけで様々な症状が出る。
調べてみた。
免疫力が37%低下する。
アレルギーや感染症を招きやすくなる。
基礎代謝が12%低下する。
脂肪の燃焼がし難くなり太り易い体質になる。1日/700kcal分も消費エネルギーが低下するため、従来通りの食事を続けた場合一ヶ月で約1~2kg体重が増加する計算に。
体内酵素の働きが50%まで低下する。
栄養の吸収だけでなく、体温の基になる熱エネルギーの生産力も低下するため、疲れやすく倦怠感が現れる。
ガン細胞やウイルスの活動が活発になる。
ガン細胞やウイルスは、体温が35℃前後の時に最も活発に活動を始め、増殖し易いことが判っています。
原因は、一年中夏型の生活をしている所にあるようだ。
空調の効いた部屋で暮らし、食生活でもアイスを食べたり冷たいジュースを飲んだりと変化に乏しい。お風呂も湯船に入らずシャワーしか浴びない。入ったとしても冷たいビールでプハー。そんな生活が常に胃腸を冷やして代謝を鈍らせてしまうのだそうだ。
う~ん。
我が家は夏暑いし、冬ぎんぎんに寒いし、冷たいビールも追いていないし・・・どうりで暑苦しい連中が揃っているわけだ。
ただ、我が家の三男も小さいうちから35.8度が平熱で驚いた記憶があったっけ。
なんだかボーっとしているのはこのためかと思いたいけれど、中学から運動部で走り回っているうちに平熱に戻っていた。
低体温のせいにはできなくなった。
昔からホワイトカラーと話すより、
職人と話すほうがいい。
昔の技術の仕事をしていた時も設計しているより、現場で職工の技術を見たり真似をして石組を手伝ったりしていたほうが好きだった。
こちらが好きなものだから、職人も気心を知っていろいろ教えてくれた。
けんち石を削る時は、この角をこうして・・・とかめんどくさいだろうに、ひよっこのこの技術者に教えてくれたものだ。
作るのが好きという気持ちの根底な部分は、どでかい構造物を作るのも、手のひらに入ってしまう念珠のような小さなものまで全く同じ心が働く。
銅器の町へ行けば、鋳型から絵付けまで職人の手元を見ている。
塗りの職人も木地の職人も蒔絵の職人もきりがないほど飽きが来ることはない。
悪いことに自分の手で同じ作業をしたくなってしまうから始末が悪い。
僕の店で家紋や位牌の文字をお願いする職人は区内に何人かいる。
でも家紋を描かせたら、この人の右に出る人はいないだろう。

弓道で使う矢筒のこんなでこぼこの表面にまで紋を描く。
つてをたどって持ち込まれることも多いのだと自慢げに語ってくれた。


こよりで組んだ時代物の矢筒なのだそうで、地元の職人に手に負えなくてはるばる鎌倉持ち込まれたのだという。
なかなかのできに自慢をする気持ち、いたいくらいよく解る。
朝歩きを始めてから、気付く事がある。

まだ夜明け前の薄暗さの中歩き出すので、足元は薄暗い。
特にカーブは道路の内側を通過しやすいので、道端に無造作に転がっているそれに足を落とすことになるのだ。
要注意だ。
そうでなくても歩道の真ん中にそれは、意外に多く落ちている。
ワンこのかりんとう。
危うく犬の落し物に足をとられる事が多い。
昼間は人目を気にしてビニール袋を持ち歩く人が多いけど、いったいいつ落とすのだろうか・・・
定点撮影とは、
一定の地点から事象の変化を撮影して、変化を捉えたもの。
とでもいうのかな。
今は、スカイツリーの現場に興味を持って撮り続けている。
計画が持ち上がる前から、東武の操車場は、撮影の対象になってはいたがこうも変化しようとは夢にだに思わなかった。
考えると何を好き好んで、こんな事をしているのかよくわからない。
気付くと、子供の頃から好んで同じようなことをしつこくしつこく行っている。
筆頭は、チンチン電車の走る道と廃止されて変貌していく町の有様。
車庫の様子。風情の変化。
失われていく海岸が山の様子。
町の写真。ビルの屋上からも360度撮り続けた。
おまけとしては、
お化粧する前後の変化も撮った。
最後の一つを除いて失われる何かに郷愁を感じたのだろうか。
為政者、計画者と呼ばれる人の愚かさに対しても。
また、刻々と変化する事象の姿に「生きている」ということを感じるのだろうか。
よくわからない。
けれど心ひきつけられて、衝動的にカメラを向けている。
撮った地点もよく覚えている。
しばらくは、タワーの動向と、
失われていくであろう足元の下町の素朴さを撮り続けそうである。
朝の三時に目が覚めてずっと調べものをしていた。
というのも、昨日NBさんと話をしている中で憤懣やるかたない思いに駆られたからなのだ。
どう考えても理解に苦しんだ。
戸籍を調べに母親と区役所に出かけた。
そこの窓口の反応は、
「お調べの戸籍は見つかりません」というものだった。
「戸主」で調べても、「家族の名」で調べても検索にかかりません。
それはおかしいと問い詰めた。数年前には同じ戸籍課から戸籍の表記の訂正を打診してきたという記憶があると伝えた。
職員は「勘違いじゃありませんか」
という内容のものだったというのだ。
「検索」という単語にもしかしたらコンピューター化?
ピンときたNBさんは、窓口の職員に戸籍が電子されたのはいつですかと聞いた。
職員は、19年に行われたと答えた。職員は動揺したようだった。気付いたのだ。
「それからは私は相手にされなくなって、母ばかりが標的にされてしまった」
結局、平行線のまま役所を後にした。
この町で育ち、仕事をし、嫁ぐ日までの歴史はどこへいってしまったのか・・・
腹が立つやら情けないやら、買った最中を振り回して帰ったと話してくれた。
窓口の職員の不誠意がもろに伝わる話だった。
「よく我慢しましたね」
僕ならそこのトップにねじ込んでしまうだろう。
戸籍が出ません。ちょっとしたミスでした。という単純な問題ではないのである。
その人の一家の歴史に関わる重大な問題なのである。
戸籍が初めて作られたのは明治5年。
明治4年4月4日の太政官布告によるものだ。
明治期に二度、大正に一度、昭和に一度、戸籍は法の改正によって作りかえられた。
戸籍法の改正で戸籍が作りかえられると古い戸籍は即刻処分されるということはない。
80年の保管義務が生じるのだ。
(逆に言えば、80年を過ぎたものは処分してよいということでもある)
その古い戸籍を改製原戸籍と呼ぶ。
(結婚や脂肪で戸籍から抜けた戸籍を除籍簿といい、これも80年の保管義務がある)
電子化される前の紙媒体の戸籍は、改製原戸籍となり80年保管義務が生じるのだ。
それを調べない怠慢さに血が逆流する。
聞きながら、戸籍を扱うものの姿勢を疑った。
僕の手元には明治19年式の戸籍の写しがある。
平成3年に家ルーツ調べで小平市役所に出かけて行ってもらってきたものだ。もう役所には残っていないかもしれない。
家とてヨークシャーのかけ合せで生まれてきたわけではないのだ。
ちゃんと親があり祖父母がありそのまた祖先がいる。
戸籍法が施行されて初めに作られた俗に「壬申戸籍」と呼ばれる戸籍は身分制度の遺産を受け継いでいて人権問題に抵触するという理由から、法務局に封印されてしまっているので、僕の保管している原戸籍が最古のものとなってしまった。
しかし、この資料だけで1844年まで遡れる。代数でいえば7代となる。
達筆な文字でこと細かく記載されているので、読み解くにはなかなか難解だが、内容はとても興味深い。
地名一つとっても、神奈川県多摩郡鈴木新田→東京府北多摩郡小平村鈴木新田→東京都小平市花小金井・・・と同地点でありながら行政の都合で刻々と変化する。
明治の時代に千葉に転出して村を創っていた者がいたり、麻布区に住んでいたりとか一族の歩みの概略も理解でき、同時に町の変化も想像するに難くない。
ということは、この資料は家の歴史のみならず町の歴史ということであり文化なのである。
自分というものが突如として地上に産み落とされたのではないということなのである。
先祖がいて、育てる環境(町)が綿々と続いてきたということなのである。
少しずつ少しずつの歩みが蓄積されて発展し、今があるということなのだ。
事情で過去を残したくない人を除けば、本来それをも含めて宝とならなければならないのだろうが・・・
戸籍には、着実に先祖たちが残し続けてきた足跡が記録されている。
そこのところを、戸籍を電子化する皆さんにはとくと理解してもらいたいものだと思う。
名前一字にも意味がある。つまり思いが込められているということなのだ。
草かんむりも草の廾もあれば十十もある。
徳にも德も徳も意味はことなる。その字にした理由があり思いが込められている。
人や家の歴史を取り扱う事の恐ろしさを感じて欲しい。
と同時に文化を扱っている誇りを感じとって欲しいとも思う。