朝歩き

どぎゃんとせんといかん。

何もしないとジリジリ重みを増していくこの体。
腰を10年前に痛めてからはどうも調子が悪い。
太ればなお悪くなるのは目に見えている。

ならばせめて朝は歩くべと、心してウォーキングをお不動さんの日から始めて間もなく2週間目。

朝のこの風景も見慣れてきた。

結果、体重-1.5kg。体脂肪-2%。身長変わらず。
心のどこかには自転車で100kmも走れば相応の結果が出るじゃん。という悪魔の囁きもあるにはある。

けれど、体重を絞るのが目的ではないのだ。
バランスを失った体を整えたいのが目的だから、これでいいのだ。
あとは副産物と考えている。そう思うことで悪魔は退散していく。

いずれ同じコースを走れるようにとは思うけど今は息が続かない。
腰が故障したらおしまいだもの。

だから今は楽しく歩くのがいい。

セント・バルタンデイ

こんな3Dのチョコを見つけた。

チョコのウルトラマンとバルタン星人。
30年代っ子には憧れの組み合わせだ。

話しの種に買おうかと思ったら、なんと1500円!

どうせもったいなくて食べれないからいいや。

それとも・・・
今年はあげないといけないのかな・・・
チョコ業界の販売促進のわなにまんまと引っ掛かるのもしゃくだし。
えーいどうしよう・・・

セントバルタン・・・いやいや、セントバレンタインデイ。

近し。

今日は勉強会です


今日は、蒲田で勉強会。


会場となった、大田区産業プラザ。
会場が地場産業振興のための会館だけにおもしろいブースが一階に用意されている。

(デジカメの心臓部の説明)

が、しかし時間がなく足早に会場に向かった。滑り込みだった。

店があると気になって、参加するにも決心が要る。

けれどそれ以上に収穫は大きいのはわかっているのだが・・・

ネット通販では第一人者の森本氏の09年の動向を学ぶ。


ちなみに、浅草念珠堂はOSMCの正会員。

ブログの流行をいち早く察知し紹介してきた氏だけに、学ぶところは大きかった。

でもとどのつまりは実行するかどうかなのだが。

今日は蒲田のそら


空はどこでも一緒かというと、そうでもないみたい。
浅草で隅田川の上をのぞくのと浅草寺の境内から見るのとここと・・・
微妙に違って見える。

心のせいかもしれないが・・・

子供の頃、母親の働いていた江戸染め物の工場がここ蒲田にあった。

当時は国鉄を使って横浜から通った。
子供心には冒険旅行そのもので、ワクワクとドキドキが同居していた。

親のそばが唯一、安心のバックボーンだった。

しかし、肝心の工場で母親とはぐれた。
「ちょっと待っていてね」と声をかけられた記憶もあるのだが
心細さに頭の中は真っ白になってしまった。

工場のおばさんたちの慰めも制止も全く耳に入らず泣き続けた。

二度と母とに出かけることはなくなった。

そんな記憶がつい昨日のことのようによみがえってくる。

この町にはそんな想い出がある。


京急蒲田の立体工事が着々と進んでいるみたいだ。

随分町の表情が変わるなあ・・・

今日の一言

「青春はまってくれないぞ」

はいはい。
分かっていますとも・・・さ。

こういう一言って意外に府に落ちることが多い。
根が素直なのか単純なのか・・・
表現は自由だが、とにかく「そうだね」と思える受容できる自分が好きだ。

迷うときやここぞと思うとき、
心に念じ、本をパッと開く。
案外そこに的確な言葉が載っていることがある。
ないときは三度までくり返す。

心を軽くしてくれる言葉を探す。

お試しあれ。

お化けが出るかな

足元に35㎜のフィルムが転がっている。

大晦日の大掃除のときにどこからか転がり出て、そのまま年を越したのだ。
HUJIFILM ASA400-24枚撮り、使用済み。

2000年にはネットショップを始めていたから、カメラはデジタルに切り替えた。だから少なくとも9年はたってしまっていることになる。

中身はなんだろう・・・
概ね自宅で撮っていたものだとすれば、子供成長記録だろうか。

今更という気もするし、見たい欲望もでてくる。

中身を見たいいう欲求と、お化けになっていたらどうしようという葛藤があるのである。そっとしとこうか・・・いやいや、今ならまだ救えるかも・・・くだらないと思われるかもしれないけれど躊躇している。

しげしげ見ていると、たった24枚撮り、よくても36枚捕りの中によくまあ収まったものだ。
被写体を撮りたいという欲求を当時はよくこの枚数で我慢できたものだと思う。

中学時代はリコーオートハーフが我が家の唯一のカメラだった。
解像度は滅茶苦茶に悪かったけれど、フィルムを小さくこま割りしてくれるから通常の2倍枚数を撮ることができた。
高いフィルムを買えなかったBoo家では非常に重宝した(おまけにモータードライブだったし)。

それでもせいぜい36枚撮×2+α=80枚程度が限界。
子供心にこれは凄いと感じた。ついでに現像代も凄いことになった。

今は僕の携帯電話ですらメモリーが1ギガだから・・・3000枚以上は撮れる勘定。
普段何気なく使っているけれど、改めて考えると技術の革新は凄いことだ。

フィルム時代は限られた資源、資産のバランスの中で、渾身の一場面にチャンスを絞って画面を切り取っていた。フィルムがもったいなくてやたらと撮れなかった。
好き放題に撮れないだけに、一枚一枚に魂がこもっていた。
デジタルになって何となくこの一枚に対しての思い入れが希薄になったような気もする。こんなこと感じるのぼくだけかなあ。
まあシャッターチャンスに賭ける勝負の世界は同じなのかもしれないが。

気に入ればとっておく。気に入らなければ捨てる。デジタルならでは自由自在の世界。自由な反面これって日本人の美徳を失わせたかもしれない。限られた資源の中で工夫を凝らすと言う発想に鈍化をもたらしたのかもしれない。
まあこれもデジタル文化かな。などと、どうでもいいことにあーだ、こーだとこねくり回す思考がそもそもおじさんなのかもしれない。

簡単にしかも自由に写真を撮れるのは楽しいものね。

やはり、フィルムの中身が見たくなってきた。
お化けの出現を覚悟で、近くにある現像無料のDPEに出してみようっと。

保身

彼は間違いなく誰も文句の付けようのない正真正銘のヒーローだった。

社会の悪を見過ごせなかった。
強者が弱者を甚振る姿に耐えられなかった。絶対に許すことはできなかった。

いかなるときも弱者の側にいた。
勝ち目のない喧嘩とわかっても矛盾を感じれば、命がけで闘った。文字通り命をぽんと投げ出す覚悟をいついかなる場面でも、失うことはなかった。
ポーズではなくまさに命がけで。

そんな彼を民衆は徐々に理解し、彼のあとについた。いつしか彼をヒーローと祭り上げた。

彼は名声をほしいままにした。

いつしか強者の中にも彼の側に立つものも生まれた。
彼の側に立てば富と名声のおこぼれをいただけると打算する者たちも彼の回りに増えていった。
彼の助言は国の進路を決定する者たちまでもが参考にするほど強大なものにそして危険を孕むものにもなっていた。

彼が語る一言一句は、書き取られ心の指針とされていった。

きらびやかな名声と富の中で彼は美しい妻を迎え入れた。
子供にも恵まれた。
そこに保身が生まれた。

どうすればこの地位と名誉を継続することができるだろうか。
そう考えるようになったとき、彼の一言一句からは光が失われていった。失敗を恐れるようになった。
英断を下し犠牲を最小限に抑えることより、決定を、闘いを先延ばしすることを覚えた。

為政者をも恐れさせた名刀も、保身という錆びが刀身を覆いつくしていた。

冒険を恐れるヒーローに民衆は敏感に反応した。
一人また一人彼は自分たちの友ではないと気付き始めていった。
一度堰が切れると地に落ちる名声は止めようがなかった。

彼は何がそうさせたのか気付くよしもなかった。

と言う所で目が覚めたのだ。

枕元にあった封筒に「保身」とだけ書いて、夢の続きを見ようと目を瞑った。が、外の雨音に目が冴えて残念ながら第二部は見損なってしまった。

昨夜みた「20世紀少年」の影響が少なからずあるかもしれない・・・
単純なやつ。